2019/11/26

ミケーネ文明/オルコメノス遺跡 Orchomenos


中部ギリシア・ボイオティア地方 Boeotia のオルコメノスは、ペロポネソス・アルカディア地方のオルコメノス Arcadia Orchomenos と区別するため、「ミニュアース・オルコメノス Minyean Orchomenos」とも呼ばれている。


オルコメノスの町と遺跡

位置 中部ギリシア・ボイオティア地方/アテネ~北西90km・テーベ~北西35km

古代の都市国家であったテーベ Thive の北西には、ギリシア最大のコパイス湖 Lake Copais が存在し、かつての都市国家オルコメノスはその西湖畔に位置していた。
コパイス湖は19世紀後半の大規模な干拓事業で排水され、今日その名称は広大な農耕地・「コパイダ平野」へと変更された。人口約5,000人、現在のオルコメノスの町はその干拓平野の西端部に位置する。オルコメノスは農業を主とするギリシアの典型的な地方都市の一つである。

市街地の西側、今でも標高300m付近のアクロポリスに紀元前4世紀後半に建造された都市国家オルコメノス城壁を残す山地から、東方のコパイダ平野に向かって突き出るように岩の尾根が延び、その麓に天井崩落のミケーネ様式の大型トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb が残されている。

トロス式墳墓の発掘ミッションは、1880年代、トルコ西海岸の世界遺産トロイ遺跡やアルゴス地方の世界遺産ミケーネ宮殿遺跡の円形墳墓Aなどの発掘で歴史的に有名となった、19世紀のドイツ人実業家シュリーマン Johann Heinrich Schliemann とドイツ考古学チームが実施した。

ミケーネ文明・オルコメノス遺跡・トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb, Orchomenos/©legend ej
オルコメノス遺跡・トロス式墳墓
トロス内部~入口
ボイオティア地方/1982年

世界遺産/ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A Grave Circle A, Mycenae Palace/©legend ej
世界遺産/ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

世界遺産/トロイ遺跡・西入口傾斜路 Troy, Turkey/©legend ej
世界遺産/トロイ遺跡・西入口傾斜路(復元)
トルコ・西沿岸地方/2004年


トロス式墳墓・「ミニュアースの宝庫」

オルコメノスのトロス式墳墓の建造は紀元前14世紀であった。トロス内部の床面の内径は14mと非常に大きく、ギリシア本土ではミケーネ遺跡に残る内径15mの「アトレウスの宝庫」や内径14.5mの「クリュタイムネストラの墳墓」に次ぐ、現在、確認されているミケーネ様式のトロス式墳墓では最大級の墳墓と言える。なお、研究者の間では、このトロス式墳墓は「ミニュアースの宝庫」と呼ばれている。

GPS オルコメノス遺跡・トロス式墳墓: 38°29′35.50″N 22°58′29″E/標高110m

ミノア文明&ミケーネ文明 編年表/©legend ej
クレタ島ミノア文明&ギリシア本土ミケーネ文明 編年表
・ミノア文明・「旧宮殿時代」: 紀元前1900年~前1625年
・ミノア文明・「新宮殿時代」: 紀元前1625年~前1375年
ミケーネ文明(時代):  後期ヘラディック文明 LH期
作図:legend ej

ミノア文明・円形墳墓&ミケーネ文明・トロス式墳墓の形式分類
トロス式墳墓を構造面から形式分類した場合、このBlogページでは、墳墓の床面が地表レベルにあり、石積みの天井も含め墳墓自体が遠方からも目視できる状態、クレタ島・南西部で流行したメッサラ様式の円形墳墓を「地上式」と呼ぶ。

ミノア文明・メッサラ様式の円形墳墓 Minoan Messara Style Circular Tomb/©legend ej
ミノア文明・メッサラ様式の円形墳墓
地上式墳墓・アウトラインセクション図
クレタ島・メッサラ様式/作図:legend ej

墳墓の床面がほぼ地表レベルだが、石積みの天井は「塚」のような盛り上がり状態、墳墓の下部石積み部分が地中にある、主にギリシア本土メッセニア地方で流行したトロス墳墓を「半地下式」とした。

ミケーネ文明・トロス式墳墓(半地下式) Mycenaean Tholos Tomb/©legend ej
ミケーネ文明・トロス式墳墓
半地下式墳墓・アウトラインセクション図
ペロポネソス・メッセニア地方/作図:legend ej

アルゴス地方・ミケーネ地区で流行の最後を継承した、トロス式墳墓全体を完全に土で覆うタイプを「地下式」と分類した。

ミケーネ文明・トロス式墳墓(地下式) Mycenaean Tholos Tomb/©legend ej
ミケーネ文明・トロス式墳墓
地上式墳墓・アウトラインセクション図
ペロポネソス・アルゴス地方/作図:legend ej


トロス部内径を基準にした墳墓サイズ区分
トロス部内径から墳墓サイズを区分する場合、内径5m以下=「小型」、5m~10m=「中型」、10m以上=「大型」とした。あくまでもBlog管理者の「分類&サイズ区分」である。

ミノア文明&ミケーネ文明 円形墳墓&トロス式墳墓 分類区分/©legend ej

ミノア文明・カミラーリ遺跡・円形墳墓 Messara Style Circlar Tomb, Kamilari/©legend ej
ミノア文明・カミラーリ遺跡・メッサラ様式円形墳墓(地上式)
クレタ島・メッサラ平野/1994年

ミケーネ文明・ネストル宮殿遺跡・トロス式墳墓Ⅳ号墓 Mycenaean Tholos Tomb, Nestor's Palace/©legend ej
ネストル宮殿遺跡・トロス式墳墓・Ⅳ号墓(半地下式)
ペロポネソス・メッセニア地方
描画:legend ej

ミケーネ文明・ミケーネ遺跡・「アトレウスの宝庫」Atreus Tholos Tomb, Mycenae Palace/©legend ej
世界遺産/ミケーネ遺跡・「アトレウスの宝庫」(地下式)
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

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3.5m~5m前後の高さで全周に残されているトロス式墳墓内壁の切石は、サイズに限って言えば、「アトレウスの宝庫」のそれに遠く及ばないが、各石材ブロックは等しい高さに切り揃えられ、規則正しい段で精度高く積み上げられている。
天井崩落となった現在、あくまでも推測の話だが、「アトレウスの宝庫」のように、この墳墓の内壁が天井屋根部分まで完全に残っているならば、正に「ミニュアースの宝庫」に相応しい壮大で圧倒される形容であったはずである。

かつてトロス式墳墓の入口へ向かって長さ30mの石組みの通路ドロモスが延びていたとされるが、現在、破壊され残っていない。
入口は墳墓の南東側に位置して、私が最初に訪ねた1982年の簡易測定では、入口基盤から大型リンテル石までの高さはおおよそ5.5m、入口の幅は約2.5m、そして奥行き6mの入口の中間付近(地面)に幅90cmの敷居状の石板が残されている。
また入口上部のリンテル石は幅4.9mx2.2m、厚さ95cm、重量数トンの見事な一枚岩である。なお、墳墓のトロス部(地面)の中央付近に点在する大型石材は、かつてヘレニズム時代に造られた記念碑的な施設の跡である。

ミケーネ文明・オルコメノス遺跡・トロス式墳墓・プラン図/©legend ej
オルコメノス遺跡・トロス式墳墓・アウトラインプラン図
ボイオティア地方/作図:legend ej

オルコメノスのトロス式墳墓は単に大型サイズであったことだけでなく、埋葬副室のその豪華さに特徴がある、と強調できる。副室の天井部分には緑色がかった暗いベージュ色の大型硬質片岩が使われ、全面をロゼッタ紋様や連鎖する渦巻線、パピルスの葉の細かなデザインをモチーフにした見事な浮彫レリーフ装飾で埋め尽くされているからである。

古代エジプト時代の墳墓の壁面や天井の多くは、被葬者への賛美と故人が生きた時代の出来事などを描いた色鮮やかな壁画で満たされていたが、ここオルコメノスのトロス式墳墓では、半永久的に色褪せることのない硬質石材のレリーフ彫刻で飾り、眠る被葬者を守り称えている。

ミケーネ文明・オルコメノス遺跡・トロス式墳墓・副室入口 Mycenaean Tholos Tomb, Orchomenos/©legend ej
オルコメノス遺跡・トロス式墳墓
トロス部~副室入口
ボイオティア地方/1982年

ミケーネ文明・オルコメノス遺跡・トロス式墳墓・副室天井 Mycenaean Tholos Tomb, Orchomenos/©legend ej
オルコメノス遺跡・トロス式墳墓
副室天井の装飾/連鎖ロゼッタ・渦巻き線・パピルス紋様
ボイオティア地方/1982年

現在までにギリシア本土とクレタ島の一部で発見されたミケーネ様式のトロス式墳墓を数多く確認してきた私の経験では、ハードとしての埋葬副室の構造、良質な石材、そして装飾内容など、おそらくこのオルコメノスのトロス式墳墓の副室が、「最も美しい埋葬副室」と言えるのではないだろうか。
被葬者がオルコメノスを治めた「ミニュアース王」ということが真実ならば、この副室は王が眠るに相応しい格式ある高貴な風格が漂っていると言える。

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1982年&1987年/二度訪ねたオルコメノス遺跡

夏の日/明るい副室内部で静かな時間を過ごす

私はオルコメノスのトロス式墳墓を1982年と1987年のニ度訪ねたが、いずれも真夏の日中であり、明るい陽光が降り注ぎ、かつて墳墓の床面であった広い地面に反射した光が副室の奥まで届き、天井の美しいレリーフを照射していた。
途絶えることのない世界からのツーリストでごった返す世界遺産ミケーネ遺跡の有名な「アトレウスの宝庫」の副室内部は、今では崩れて単なる空洞になっている。
しかしここオルコメノスのトロス式墳墓には、伝説が真実ならば、3,300年以上前にポセイドンの孫にあたる「ミニュアース王」が埋葬された時とまったく変わらない美的なレリーフ装飾と聖なる雰囲気が残されている。
訪ねた時、美しいロゼッタ模様などで優美に装飾された副室の中で腰を落とした私は、目を閉じ、しばらくの間、独り「夢幻の時」を過ごすことができた。遠い東洋の国からオルコメノスのトロス式墳墓を訪ねることができた幸運というか、言葉に表せない静かな満足感を覚えた。

ミケーネ文明・オルコメノス遺跡・トロス式墳墓・内部~入口 Mycenaean Tholos Tomb, Orchomenos/©legend ej
オルコメノス遺跡・トロス式墳墓
トロス内部~入口
ボイオティア地方/1987年

墳墓サイズと副室の装飾レベルから判断する時、オルコメノスのトロス式墳墓の埋葬者は、幾らかの研究者が唱えるように、墳墓から北東150m付近、874年創建の歴史ある聖母マリア・スクリポ教会 Panagia Skripou Church の下に眠るミケーネ文明の「宮殿」の支配者の可能性が高い。
しかし、私はむしろ東方18kmのグーラ(グラ Gla)に存在したであろうより大規模な「宮殿」に居住して、この地方を治めた「ミニュアース王」の墳墓であった可能性に期待をしたい。オルコメノスの「宮殿」はほとんど未発掘な状態だが、グーラ遺跡は壮大な城壁に囲まれた「宮殿」の存在をほぼ確定できる。

ミケーネ文明・グーラ遺跡・城壁 Mycenaean Site, Gla/©legend ej
グーラ遺跡・塁壁遺構
北東入口~標高の高い「宮殿区域」
ボイオティア地方/1987年


また、トロス式墳墓から東側50mほどには紀元前4世紀後半からヘレニズム時代まで700年以上も使われた観客席10段を残す円形劇場跡が、そして劇場跡と道路脇の聖母マリア・スクリポ教会との間には、かなり乱雑になっているが繁栄した古代オルコメノスの遺構も残されている。


トロス式墳墓の「トカゲ」

現在、オルコメノス遺跡のトロス天井は完全に崩落して、天空に開口してしまっているのでただ広い空間だが、かつてトロス式墳墓の広い床面であった地面には、所々に夏の強い陽光に夏枯れした雑草が残り、その日陰にキョロキョロ眼の「遺跡のトカゲ」が佇み、クールな顔で遠来の客人である私を不思議そうに眺めていた。
もしかしたら、この副室はあのトカゲが根城として使い、埋葬された王の化身として、この墳墓を守っているのかもしれないと思いながら、再び格式高い副室の入口を振り返る・・・

ギリシアの「遺跡のトカゲ」
ギリシアの先史・古代遺跡なら何処でも出会う「遺跡のトカゲ」
フォルムは太古の恐竜だが、人に害を加えることはなく 愛くるしいクールな眼差し

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