2019/12/16

ミケーネ文明・カコヴァトス遺跡 Kakovatos


カコヴァトス遺跡の大型トロス式墳墓

位置 西部ギリシア・エリス地方/パトラス~南方85km・トリポリス~西方65km
GPS カコヴァトス遺跡: 37°27′40″N 21°39′41″E/標高50m

西部ギリシア・エリス地方・ミケーネ文明遺跡 地図/©legend ej
西部ギリシア・エリス地方・ミケーネ文明・遺跡 地図
作図:legend ej

メッセニア地方のキパリッシア Kyparissia から、ペロポネソス半島を外周する幹線道路N9号線をピルゴス Pirgos &オリンピア Olympia 方面へ向かい、25kmほど北上すると地中海に面するカコヴァトス村 Kakovatos の東外れを通過する。N9号より海側はほぼ平坦な農耕地が広がっている。
村の東方1km付近、南北に走るN9号と東方からの地方道がT字交差している。この地方道を東方へ300mほど登坂した、N9号から標高差30m高い荒れた斜面で発掘ミッションを実施したドイツ考古学チームは、1907年~08年、後期ヘラディックLHI期~LHII期・紀元前1550年~前1400年頃に遡る3基のミケーネ様式のトロス式墳墓を発見した。

ミケーネ文明・カコヴァトス遺跡/Google Earth
カコヴァトス遺跡・居住地&トロス式墳墓
西部ギリシア・エリス地方
地図情報:Google Earth⇒テキスト挿入

ミノア文明&ミケーネ文明 編年表/©legend ej
クレタ島ミノア文明&ギリシア本土ミケーネ文明 編年表
・ミノア文明・「旧宮殿時代」: 紀元前1900年~前1625年
・ミノア文明・「新宮殿時代」: 紀元前1625年~前1375年
ミケーネ文明(時代):  後期ヘラディック文明 LH期
作図:legend ej



この内、世界遺産ミケーネ遺跡の「アトレウスの宝庫」に匹敵する最も大型のトロス式墳墓Aの内径は推定で約14mであった。訪ねた1982年時点では、トロス式墳墓Aの内壁面の基礎部が半径7mのなだらかなカーブを描くようにわずかに残されていた。
ただ、その遺構がかろうじて大型サイズの「トロス式墳墓であった」、と推測できる唯一の物証に過ぎないほど全体は破壊され、残された石積み部分も鬱蒼とした雑草で見え隠れしていたが、写真の被写体としては難があった。雑草をかき分け、簡易測定した結果が下記の概略プラン図である。

ミケーネ文明・カコヴァトス遺跡・トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb, Kakovatos/©legend ej
カコヴァトス遺跡・トロス式墳墓A・アウトライン図(単位cm)
西部ギリシア・エリス地方
1982年/作図:legend ej

ミケーネ文明・カコヴァトス遺跡・トロス式墳墓入口 Entrance of Tholos Tomb, Kakovatos/©legend ej
カコヴァトス遺跡・トロス式墳墓A・入口~トロス部(右奥)を見る
残存入口高さ80cm・奥行き4.5m(推定入口幅2m)
サイト未整備のため 遺構は雑草に覆われている
ペロポネソス・エリス地方/1982年

トロス式墳墓Aの入口は斜面の低地側の真南(N180°)を向き、残存トロス内壁の石積みを簡易測定したが最大高さ2mほど、入口の高さは約80cm、奥行きは約4.5mであった。なお、推定できる入口幅は約2m、当然、リンテル石や通路ドロモスなどは残されていない。
墳墓の石積み施工は当地から南南西約20kmのミィロン・ペリステリア遺跡 Myron-Peristeria のトロス式墳墓と同様に、不規則なサイズの石灰岩などの地元石材の積上施工であった。

ミケーネ文明・ペリステリア遺跡・トロス式墳墓2号墓 Mycenaean Tholos Tomb, Myron-Peristeria/©legend ej
ペリステリア遺跡・トロス式墳墓・2号墓
ペロポネソス・メッセニア地方/1987年


美しささえも感じる精巧な切石積施工のミケーネ遺跡の「アトレウスの宝庫」、中部ギリシア・オルコメノス遺跡 Orchomenos の「ミニュアースの宝庫」など、ほとんど同じ内径14m~15mを計測できる大型トロス式墳墓と比較する時、カコヴァトスのトロス式墳墓Aは不規則サイズの石材が使われた大型墳墓だけに、早い時期の天井崩壊は避けられなかったと想像する。
トロス内径が大きいことが致命的な要因となり、もしかするとランダム石材施工が天井部の重量に耐えられず、墳墓の造営後、100年の経過を待たずして天井崩落したかもしれない。

また、訪ねた1982年の時点では、発掘後に埋め戻されたのか、周辺をチェックしたが、トロス式墳墓B墳墓Cの痕跡は、当時は遺跡サイトの整備が行われていないため、背丈ほどの雑草に阻まれ確認できなかった。

ミケーネ文明・オルコメノス遺跡・トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb, Orchomenos/©legend ej
オルコメノス遺跡・トロス式墳墓
トロス内部~入口
ボイオティア地方/1982年

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ミノア文明・円形墳墓&ミケーネ文明・トロス式墳墓の形式分類
トロス式墳墓を構造面から形式分類した場合、このBlogページでは、墳墓の床面が地表レベルにあり、石積みの天井も含め墳墓自体が遠方からも目視できる状態、クレタ島・南西部で流行したメッサラ様式の円形墳墓を「地上式」と呼ぶ。

ミノア文明・メッサラ様式の円形墳墓 Minoan Messara Style Circular Tomb/©legend ej
ミノア文明・メッサラ様式の円形墳墓
地上式墳墓・アウトラインセクション図
クレタ島・メッサラ様式/作図:legend ej

墳墓の床面がほぼ地表レベルだが、石積みの天井は「塚」のような盛り上がり状態、墳墓の下部石積み部分が地中にある、主にギリシア本土メッセニア地方で流行したトロス墳墓を「半地下式」とした。

ミケーネ文明・トロス式墳墓(半地下式) Mycenaean Tholos Tomb/©legend ej
ミケーネ文明・トロス式墳墓
半地下式墳墓・アウトラインセクション図
ペロポネソス・メッセニア地方/作図:legend ej

アルゴス地方・ミケーネ地区で流行の最後を継承した、トロス式墳墓全体を完全に土で覆うタイプを「地下式」と分類した。

ミケーネ文明・トロス式墳墓(地下式) Mycenaean Tholos Tomb/©legend ej
ミケーネ文明・トロス式墳墓
地上式墳墓・アウトラインセクション図
ペロポネソス・アルゴス地方/作図:legend ej


トロス部内径を基準にした墳墓サイズ区分
トロス部内径から墳墓サイズを区分する場合、内径5m以下=「小型」、5m~10m=「中型」、10m以上=「大型」とした。あくまでもBlog管理者の「分類&サイズ区分」である。

ミノア文明&ミケーネ文明 円形墳墓&トロス式墳墓 分類区分/©legend ej

ミノア文明・カミラーリ遺跡・円形墳墓 Messara Style Circlar Tomb, Kamilari/©legend ej
ミノア文明・カミラーリ遺跡・メッサラ様式円形墳墓(地上式)
クレタ島・メッサラ平野/1994年

ミケーネ文明・ネストル宮殿遺跡・トロス式墳墓Ⅳ号墓 Mycenaean Tholos Tomb, Nestor's Palace/©legend ej
ネストル宮殿遺跡・トロス式墳墓・Ⅳ号墓(半地下式)
ペロポネソス・メッセニア地方
描画:legend ej

ミケーネ文明・ミケーネ遺跡・「アトレウスの宝庫」Atreus Tholos Tomb, Mycenae Palace/©legend ej
世界遺産/ミケーネ遺跡・「アトレウスの宝庫」(地下式)
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年


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カコヴァトスの居住地&トロス式墳墓からの出土品

「カストロの丘」と斜面の居住地

カコヴァトス遺跡に関して、標高50mにあるトロス式墳墓Aの直ぐ南方~南東へ150m~180mの範囲、地元で「カストロ Kastro」と呼ばれる、幾分ゴツゴツした標高70mの丘陵の斜面からは、紀元前1900年~前1200年頃に属するミケーネ文明の居住地の痕跡も確認されたとされる。

居住地跡のピンポイント位置とその規模は特定できないが、訪ねた1982年、雑草と潅木に覆われていた丘の荒れた斜面では、大型の切石積みの遺構の点在が複数個所で確認できた。残存する石積みの石材サイズ、さらに石材の角部が丁寧に加工されている点などから、この居住跡はミケーネ時代の単純な家屋などではなく、大型の「邸宅クラス」の建物が存在したと連想するに十分な遺構であった。

また、宮殿の王族が葬られるに相応しい内径14mの大型トロス式墳墓が造営され、盗掘があったにせよ、その出土品には青銅製長剣を初め、金製を含めた豪華な装飾品などがもたらされた事実を考える時、トロス式墳墓Aの南西~南方のなだらかな斜面に展開された、それなりの規模の「居住地」が存在したであろう。そうならば、カコヴァトスはミケーネ時代を通じてこの地域の重要なセンターの一つであった、と確定できる。


トロス式墳墓群からの出土品

カコヴァトスのトロス式墳墓群は大型サイズで、しかも石積みに使用された石材がランダムサイズであり、発掘時にすでに天井崩落状態であった。トロス式墳墓は目立つ建造物であり、少なくとも構造とサイズからして「豪華な副葬品がありそうな墳墓」であり、当然の事、多くのミケーネ様式のトロス式墳墓と同様に、過去に墳墓内部は盗掘者達により完璧に荒らされてきた。
それでもカコヴァトスのトロス式墳墓群からは数量こそわずかだが、小さな金製宝飾品を含め特徴的な出土品があった。いずれも紀元前15世紀に属する品物で、すべてアテネ国立考古学博物館で展示公開されている。

その内、トロス式墳墓Bで見つかった長さ92cmの青銅製の長剣は、刃身(ブレード)は両刃で先端ほど狭幅となり、ほぼ先端まで強靭さを増すために盛り上がり中央リブ補強が、さらにハンドル・柄(つか)に差し込まれる茎(日本刀=なかご)部分には、握りの柄との固定に使われたリベット穴1個が確認できる。
また一部の情報では、1907年~08年の発掘では、トロス式墳墓Bから紀元前16世紀~前15世紀に属する金製のカップが見つかったとされるが、私は現物を確認していないので言及はできない。

また、出土した琥珀の中型ビーズのネックレース(アテネ国立考古学博物館・登録番号5688)は、各地のミケーネ文明遺跡から出土している同種の女性用装飾品と同様、間違いなく遠くエストニアなど北欧バルト海沿岸地域から運ばれて来た琥珀塊を加工したものと推測できる。

一方、焼成前ガラスパテの深いボール容器は破断3点があり、最大サイズでは縦横約90mm、青味のある乳白色~虹色のグラデーションが美しい。この破断ガラスパテ・ボール容器は、ミケーネ文明の後期ヘラディックLHIIA期・紀元前1500年~前1450年頃の作品とされる。

ミケーネ文明・カコヴァトス遺跡・ガラス容器 Glass Vase, Kakovatos/©legend ej
カコヴァトス遺跡出土・ガラスパテ・ボール容器断片
アテネ国立考古学博物館・登録番号5671
西部ギリシア・エリス地方/1982年
復元想像形状 描画:legend ej

金製の打出し装飾小片はフクロウ(鳥)を形容している。同タイプの金製の打出し装飾小片が、カコヴァトス遺跡~南南東約20kmのミィロン・ペリステリア遺跡、南方約50kmのネストル宮殿遺跡 Nestor's Palace やツラガーナ遺跡 Tragana のトロス式墳墓などからも出土していることから、フクロウはミケーネ文明で好まれた工芸モチーフの一つと考えられる。

もしかしたら、カコヴァトス居住地とこれらの居住地とはそれほど遠い距離ではないので、フクロウ・モチーフの流行の発信地は何処か一か所で、その工房で全部のフクロウ宝飾品を作ったか、そして同じ職人であった可能性も否定できない。

ミノア文明・金製宝飾品・フクロウ形容 Mycenaean Gold Leaf shaped Owl/©legend ej
ミノア文明・金製小片宝飾品・フクロウ形容
左=ネストル宮殿遺跡出土・アテネ国立考古学博物館・登録番号7907/高さ約35mm
中=カコヴァトス遺跡出土・アテネ国立考古学博物館・登録番号5662/高さ約40mm
右=ミィロン・ペリステリア遺跡出土/NTS(Not to Scale)/描画:legend ej

そのほかの宝飾品では、高さ約35mm、やはり打出し加工でカエルを形容した金製の装飾片(アテネ国立考古学博物館・登録番号5662)、長さ約80mmの柄を付けた花柄彫刻の先端尖りタイプの象牙製くし(アテネ国立考古学博物館・登録番号5678)なども見つかっている。これは明らかにトロス式墳墓には女性被葬者の埋葬が含まれていたことを意味している。

また、カコヴァトス遺跡からは、クレタ島ミノア文明の上質な宮殿様式に類似する、紀元前1500年~前1450年頃のミケーネ様式の大型アンフォラ型容器(アテネ国立考古学博物館・登録番号13721~13732)が出土している。
容器の絵柄モチーフには海洋性デザインで先行したミノア文明の影響を受けたのか、腹部全面にアオイガイ(タコ属)が泳ぐ様、パピルスや大きなツタ葉模様、あるいは渦巻き線紋様などで濃密装飾されている。

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