2019/12/18

ミケーネ文明・ミィロン・ペリステリア遺跡 Myron-Peristeria


ミィロン・ペリステリア遺跡の発掘

位置
ペロポネソス・メッセニア地方/カラマータ~北西43km・ピーロス~北方40km
GPS
ペリステリア遺跡: 37°16′33″N 21°44′24″E/標高110m

ペロポネソス・メッセニア地方キパリッシア Kyparissia の東北東約7kmにある山深いミィロン村 Myron の手前、直線で村から北北西へ約1.3km、標高100m前後の尾根平原・「ペリヴォリア Perivolia」の丘で、紀元前1800年~前1550年に遡る中期ヘラディックMH期から人々が生活した重要な居住地遺跡が発見されている。

オリーブの老木が点在する南北約250m、東西約150m、オーバル形容の広い尾根平原に残るペリステリア遺跡 Myron-Peristeria では、居住地遺構のほかに分厚い累壁に囲まれたサイトから、天井が崩落したミケーネ様式の大型~中型の3基のトロス式墳墓が発掘された。
ペリステリア居住地の発掘ミッションは、ギリシア人考古学者マリナトス教授 S.N. Marinatos の指揮下で実施され、発掘作業は1960年と1965年であった。

そのほか、1964年、居住地遺跡~西方500m付近のオリーブ林から、 紀元前1800年~前1550年の中期ヘラディックMH期に遡る古い埋葬墳墓も確認されている。

ミケーネ文明・ペロポネソス地方・宮殿遺跡 地図/©legend ej
ペロポネソス地方・ミケーネ文明・宮殿遺跡 地図
作図:legend ej

ミケーネ文明・ペロポネソス・メッセニア地方 遺跡 地図/©legend ej
ペロポネソス・メッセニア地方・ミケーネ文明・遺跡 地図
作図:legend ej

ミケーネ文明・ペリステリア遺跡/Google Earth
ペリステリア遺跡・サイト全容
ペロポネソス・メッセニア地方
地図情報:Google Earth⇒テキスト挿入

ペリステリア遺跡が残る尾根平原の北側は崖になっており、標高差80mの下方には水量は少ないが、東方から地中海に向けてペリステリアス川 R. Peristerias が流れ、それに平行して「カラマータ=ピルゴス」の幹線道路E55号が東西方向に走っている。
ちなみに、1987年、ペリステリア遺跡を訪ねた私は、居住地遺跡の東側から「獣道」のような幅1mに満たない細い山道、間違いなく3,500年以上前から使われている古代の山道を下り、シューズを脱いでペリステリアス川を渡り、幹線道路E55号へ出た。川原から見上げる遺跡の尾根は切り立つ垂直の崖山となっていた。

ミケーネ文明・ペリステリア遺跡のある崖山 Mycenaean Myron-Peristeria/©legend ej
ペリステリアス川から望むペリステリア遺跡のある崖山
ペロポネソス・メッセニア地方/1987年


トロス式墳墓・1号墓

現在、ペリステリア遺跡の広い遺構区には「1号墓」と呼ばれるトロス式墳墓が復元されている。復元トロス式墳墓・1号墓の形容はネストル宮殿の復元トロス式墳墓・Ⅳ号墓と同様で、丸天井は地表からこんもりと半円形に露出した、Blog管理者が分類した下記区分で言えば、「半地下式」のトロス式墳墓である。

ミケーネ文明・ペリステリア遺跡のある崖山 Mycenaean Tholos Tomb, Myron-Peristeria/©legend ej
ペリステリア遺跡・トロス式墳墓・1号墓
半地下式・トロス天井=復元
ペロポネソス・メッセニア地方/1987年

復元されたトロス式墳墓・1号墓は、ずーと昔、おそらくミケーネ文明が終焉した後、あまり時を経過しない時期、今から3,000年前以降に天井部が崩落して、歴史の中で内部は盗掘者達に荒らされてしまった、と予想できる。
地元産のランダム形容の石材を積み重ねた少々軟弱な建築構造ながらも、埋葬が連続的に行われた紀元前1550年~前1100年、初期ミケーネ文明に相当する後期ヘラディックLHI期~ミケーネ文明の最終期・後期ヘラディックLHIII期に属する陶器片や打出し加工された金製片などの副葬品が多数出土した。

ミノア文明&ミケーネ文明 編年表/©legend ej
クレタ島ミノア文明&ギリシア本土ミケーネ文明 編年表
・ミノア文明・「旧宮殿時代」: 紀元前1900年~前1625年
・ミノア文明・「新宮殿時代」: 紀元前1625年~前1375年
ミケーネ文明(時代):  後期ヘラディック文明 LH期
作図:legend ej

ミノア文明・円形墳墓&ミケーネ文明・トロス式墳墓の形式分類
トロス式墳墓を構造面から形式分類した場合、このBlogページでは、墳墓の床面が地表レベルにあり、石積みの天井も含め墳墓自体が遠方からも目視できる状態、クレタ島・南西部で流行したメッサラ様式の円形墳墓を「地上式」と呼ぶ。

ミノア文明・メッサラ様式の円形墳墓 Minoan Messara Style Circular Tomb/©legend ej
ミノア文明・メッサラ様式の円形墳墓
地上式墳墓・アウトラインセクション図
クレタ島・メッサラ様式/作図:legend ej

墳墓の床面がほぼ地表レベルだが、石積みの天井は「塚」のような盛り上がり状態、墳墓の下部石積み部分が地中にある、主にギリシア本土メッセニア地方で流行したトロス墳墓を「半地下式」とした。

ミケーネ文明・トロス式墳墓(半地下式) Mycenaean Tholos Tomb/©legend ej
ミケーネ文明・トロス式墳墓
半地下式墳墓・アウトラインセクション図
ペロポネソス・メッセニア地方/作図:legend ej

アルゴス地方・ミケーネ地区で流行の最後を継承した、トロス式墳墓全体を完全に土で覆うタイプを「地下式」と分類した。

ミケーネ文明・トロス式墳墓(地下式) Mycenaean Tholos Tomb/©legend ej
ミケーネ文明・トロス式墳墓
地上式墳墓・アウトラインセクション図
ペロポネソス・アルゴス地方/作図:legend ej


トロス部内径を基準にした墳墓サイズ区分
トロス部内径から墳墓サイズを区分する場合、内径5m以下=「小型」、5m~10m=「中型」、10m以上=「大型」とした。あくまでもBlog管理者の「分類&サイズ区分」である。

ミノア文明&ミケーネ文明 円形墳墓&トロス式墳墓 分類区分/©legend ej

ミノア文明・カミラーリ遺跡・円形墳墓 Messara Style Circlar Tomb, Kamilari/©legend ej
ミノア文明・カミラーリ遺跡・メッサラ様式円形墳墓(地上式)
クレタ島・メッサラ平野/1994年

ミケーネ文明・ネストル宮殿遺跡・トロス式墳墓Ⅳ号墓 Mycenaean Tholos Tomb, Nestor's Palace/©legend ej
ネストル宮殿遺跡・トロス式墳墓・Ⅳ号墓(半地下式)
ペロポネソス・メッセニア地方
描画:legend ej

ミケーネ文明・ミケーネ遺跡・「アトレウスの宝庫」Atreus Tholos Tomb, Mycenae Palace/©legend ej
世界遺産/ミケーネ遺跡・「アトレウスの宝庫」(地下式)
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

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トロス式墳墓・1号墓の入口の側面には、メッセニア地方から距離的に近いクレタ島ミノア文明の遺跡で良く見かける聖なる「両刃斧/ラブリュス」の記号が刻まれていた。
この意味は、この地域がペロポネソス地方南西端のネストル宮殿と同様に、ミノア文明からの「何らかの影響」があったことであり、さらに両刃斧の記号を刻んだこのトロス式墳墓の被葬者が、相当に「身分の高い人物」であったことを連想させている。

「両刃斧/ラブリュス lábrys」の記号
ミノア文明では政治と宗教は強く結び付き、多神教の思想からして、例えば聖なる動物とされた力のある雄牛やその角を初め、蛇やメスライオン、仮想上の動物《グリフィン》など複数の崇拝対象があった。
ミノア時代の人々にとり、あらゆる宗教的な崇拝シンボルの中で、殊更に両刃斧の記号が「最も神聖」とされた。部屋の壁面や支柱側面にやや斜めに刻まれ、その配置も決して規則正しいと言えないが、両刃斧の記号は極めて重要な神聖な標識であり、神と王からの最も高次な宗教的な警告でもあった。
通常、両刃斧の記号が表示された場所は、特別な身分の人、例えば王や王族、あるいは祭司・神官など、限定された人だけが近づくことを許された非常に特殊な場所、「聖なる場所」を意味していた。
また、石製金型を使ってある程度の数が量産された金製の小型両刃斧は、宮殿の宝飾品として大切にされ、時には信仰の山頂聖所や洞窟聖所へ奉納された。
あるいは超大型の青銅製の装飾用の両刃斧は、長さ2mを超す長い支持棒に取り付けられ、穴加工の石製角錐台(保持台)に差し込まれ、宮殿の統治者の居室を初め、地方の邸宅の宝庫や貯蔵庫など、大切な資産や宝飾品を保管する部屋や施設内に立てていた。

ミノア文明・両刃斧/©legend ej
ミノア文明・崇拝シンボルの「両刃斧」
左=黄金の両刃斧の宝飾品/イラクリオン考古学博物館
中=両刃斧の刻み記号  右=青銅製両刃斧&石製角錐台
描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・支柱礼拝室 Pillar Crypt, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部・東支柱礼拝室
支柱側面=聖なる両刃斧の刻み
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1982年


ミノア文明・マーリア宮殿遺跡・支柱礼拝室・「両刃斧」記号 Doube Axe, Malia Palace/©legend ej
マーリア宮殿遺跡・西翼部・支柱礼拝室
角柱側面=聖なる両刃斧の刻み
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


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トロス式墳墓・2号墓

復元トロス式墳墓・1号墓~南西65mで発掘された半地下式の大型トロス式墳墓・2号墓も天井崩落の墳墓であった。墳墓に付属するように紀元前1800年~前1550年頃、中期ヘラディックMH期~初期ミケーネ文明LHI期に属する建物遺構が確認されている。
この建物の床面から複数の子供が埋葬されたキトス墓(シスト墓 Kist-Cist Grave:石板囲い方形墓)が見つかっている。埋葬用と考えられるこの建物もトロス式墳墓が崩落した時期に崩壊、または放棄されたと断定されている。

内径12m、大型サイズのトロス式墳墓・2号墓は、ミケーネ文明中央政府であったミケーネ宮殿の「アトレウスの宝庫」には到底及ばないが、当地より南方のピーロス地区を治めていたネストル宮殿の王家のトロス式墳墓・Ⅳ号墓(上述描画・内径9m強)より大型である。
また、トロス式墳墓・2号墓と後述のトロス式墳墓・3号墓の周囲には、半円形の保護壁が確認されている。

トロス式墳墓・2号墓のサイズ、さらに1号墓の聖なる両刃斧の刻み記号、出土した金製品など、情報と事実を総合的に判断したのなら、ペリステリア遺跡のトロス式墳墓群には一体「誰」が葬られていたのであろうか?と強く想像する。
歴史を観る時、一般的には統治者の「力」は「墳墓の大きさ」にほぼ比例している事実から想定するなら、ペリステリアの代々の統治者達は、ネストル宮殿の王と同等クラスの強い経済&政治力を誇っていた可能性も否定できない。

ミケーネ文明・ペリステリア遺跡・トロス式墳墓2号墓 Mycenaean Tholos Tomb, Myron-Peristeria/©legend ej
ペリステリア遺跡・トロス式墳墓・2号墓
ペロポネソス・メッセニア地方/1987年

ミケーネ文明・ペリステリア遺跡・トロス式墳墓2号墓 Mycenaean Tholos Tomb, Myron-Peristeria/©legend ej
ペリステリア遺跡・トロス式墳墓・2号墓アウトライン図
ペロポネソス・メッセニア地方
1987年/作図:legend ej


トロス式墳墓・3号墓

トロス式墳墓・2号墓~西方15mほど、半地下式で内径8mの崩壊状態のトロス式墳墓・3号墓が発見された。発掘トレンチから連鎖状の渦巻紋様が打出し加工された三個の金製カップや金製胸当て、金製の服装飾りなどが見つかった。

ミケーネ文明・ペリステリア遺跡・トロス式墳墓3号墓 Mycenaean Tholos Tomb, Myron-Peristeria/©legend ej
ペリステリア遺跡・トロス式墳墓・3号墓アウトライン図
ペロポネソス・メッセニア地方
1987年/作図:legend ej

ミケーネ文明・ペリステリア遺跡・金製カップ Gold Cups, Mycenaean Pyron-Peristeria/©legend ej
ペリステリア遺跡・トロス式墳墓・3号墓出土・金製カップ類
連鎖渦巻線紋様・打出し加工/ホーラ考古学博物館
ペロポネソス・メッセニア地方/1982年

その内、最も大きな金製カップの紋様と形式は、美しいほどの金製マスクが出土したアルゴス地方の世界遺産ミケーネ宮殿遺跡の円形墳墓A・第Ⅴ墳墓から出土した金製カップ(アテネ国立考古学博物館・登録番号629)に極めて類似している。
ただペリステリアのカップでは、小さな渦巻き連鎖が中間の横帯ゾーンを挟んで上部に横3列、下部に3列で施されているが、ミケーネ宮殿のカップでは上部・下部ともに2列の打出し加工で、渦巻きも少々大きい。

金製カップのハンドルは、この当時の流行りの口縁部から上方へループするミケーネ文明特有の「リング・ハンドル」である。

ミケーネ文明・ペリステリア遺跡・金製カップ Gold Cup, Mycenaean Myron-Peristeria/©legend ej
ペリステリア遺跡・トロス式墳墓・3号墓出土・金製カップ
連鎖渦巻線紋様・打出し加工/ホーラ考古学博物館
ペロポネソス・メッセニア地方/1982年


参考だが、ミイロン・ペリステリア遺跡~南方3.5km、キパリッシア市街~東方7km、やや山間部の尾根を中心に長い間居住されたモーリアターダ遺跡 Mouriatada がある。
居住地の痕跡はほとんど消滅しているが、穏やかな斜面に予想以上に保存状態が良好なトロス式墳墓が残されている。

訪ねた1987年では、遺構全体は手入れが行き届かず背丈のある雑草に覆われ、写真に収めるような状態ではなく、トロス部の天井は部分崩落で開口状態であった。ただトロス内径5m以下の小型墳墓だが、通路ドロモスの両脇と入口の石組みはしっかりと残り、入口上部のリンテル石と入口への重力分散効果の「三角空間 Triangle Space」も残存していた。
入口上部に「三角空間」を設けたトロス式墳墓では、ミケーネ宮殿遺跡・「アトレウスの宝庫」やティリンス宮殿遺跡・「王家のトロス式墳墓」など大型墳墓では確認できるが、私の知る限り、小型墳墓では他に例を見ない。

ミケーネ文明・モーリアターダ遺跡・トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb, Mouriatada/©legend ej
モーリアターダ遺跡・トロス式墳墓・アウトライン図
ペロポネソス・メッセニア地方
1987年/作図:legend ej

GPS モーリアターダ遺跡: 37°14′43.50″N 21°44′51″E/標高400m

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