2020/01/07

ミノア文明・グルーニア遺跡 Gournia


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グルーニア遺跡の位置・規模

位置
クレタ島・東部/アギオス・ニコラオス~南東11km・イエラペトラ~~北北東12km
GPS
グルーニア遺跡: 35°06’34” N 25°47’34” E/標高45m

クレタ島・東部・ミノア文明・遺跡 地図 Map of Minoan Sites, East Crete/©legend ej
クレタ島・東部・ミノア文明・遺跡 地図
作図:legend ej

エーゲ海クレタ島の人気のリゾートであるアギオス・ニコラオス Agios Nikolaos から幹線道路N90号で南東へ11kmの沿岸部、ミノア時代の大規模な町遺構であるグルーニア遺跡(グルニア Gournia)の大部分は、青々としたミラベロ湾 Mirabello Bay を見渡せる穏やかな丘状の尾根頂上を中心に斜面を覆うように広範囲に展開している。
幹線道路から遺跡区域まで約100m、町遺跡の規模はおおよそ南北200m、東西140m、変形五角形の形容である。

ミノア文明・グルーニア遺跡 Minoan Town, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡・遠望
クレタ島・東部/1982年

ミノア文明・グルーニア遺跡/Google Earth
グルーニア遺跡
クレタ島・東部
地図情報:Google Earth⇒テキスト挿入


ミノア文明の町遺跡

北方へ約450mのミラベロ湾には「舟着き場」に適した小さな入り江もある。整然とした「小宮殿」の遺構を含むこのグルーニア遺跡は、クレタ島東端のパライカストロ遺跡 Palaikastro と並んで、最も完全な姿で発掘されたミノア時代町遺跡である。

ミノア文明・パライカストロ遺跡・「建物5」 Minoan House, Palaikastro/©legend ej
パライカストロ遺跡・「建物5」
クレタ島・最東部/1996年


クレタ島・東部・ミノア文明・遺跡 地図 Map of Minoan Sites, East Crete/©legend ej
クレタ島・最東部・ミノア文明・遺跡 地図
作図:legend ej

グルーニアの発展は紀元前1600年以降とされ、その後、ミノア文明の主要宮殿や邸宅や町が波状的に破壊された紀元前1450年頃、グルーニアの市街も部分破壊されるが、町が完全に放棄されるのは、その約100年後の紀元前1350年頃とされ、現在見ることのできる町遺構のほとんどは、その最終破壊の家屋や建物の基礎部分である。

ミノア文明&ミケーネ文明 編年表/©legend ej
クレタ島ミノア文明&ギリシア本土ミケーネ文明 編年表
・ミノア文明・「旧宮殿時代」: 紀元前1900年~前1625年
・ミノア文明・「新宮殿時代」: 紀元前1625年~前1375年
ミケーネ文明(時代):  後期ヘラディック文明 LH期
作図:legend ej

グルーニアの市街には、幅1m前後の玉石舗装の狭い通りが、不規則だが、網の目のように幾つも設けられている。グルーニアの領主邸宅であったであろう、丘の頂上部の平坦な場所を占める「小宮殿」と呼ばれる遺構を除くと、街の住民の家屋などは斜面に建ち並んでいる。家屋は複雑に絡み合い、概してその造りは比較的小サイズの部屋の連なりと言える。

ミノア文明・グルーニア遺跡 Minoan Settlement, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡・丘の頂上付近・「小宮殿」&列柱
左遠方=紺藍のエーゲ海・ミラベロ湾
クレタ島・東部/1982年

ミノア文明・グルーニア遺跡・小宮殿 Small Palace, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡・丘の頂上付近・「小宮殿」&列柱
左遠方=紺藍のエーゲ海・ミラベロ湾
クレタ島・東部/1982年

ミノア文明・グルーニア遺跡 Minoan Town, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡・市街地・玉石舗装の通り
クレタ島・東部/1982年

ミノア文明・グルーニア遺跡 Minoan Town, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡・丘の頂上付近・玉石舗装の通路
右側=「小宮殿」/遠方=エーゲ海・ミラベロ湾
クレタ島・東部/1982年


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グルーニアの海岸遺跡&共同墓地遺跡

グルーニアでは、尾根に広がる町遺跡の西方(最短距離=約70m・標高差約20m)を流れる小さなグルーニア川が、ミノア時代の「飲料水」に使われていたと考えられる。
グルーニア川は約450m下流(北方)でミラベロ海岸に注ぐ。100年前の発掘レポートは、河口から上流45m付近、川を堰き止めた小規模な「ダム」が造られていた可能性を提唱している。

また、グルーニア川の海岸河口~東方450m、町遺跡~北北東500m、標高90mのスフォンガラス Sphoungaras の尾根が、町遺跡の東方からエーゲ海へ突き出ている。
河口から尾根までの海岸には、突出し距離で50m~100mの小さな岩岬が3か所あり、幅50m・突出し100mほどの最も大きな岩岬では、おそらくグルーニアの「舟着き場」を管理していた建物遺構が確認され、現在でもその基礎部がわずかに残っている。

ミノア文明・グルーニア遺跡・ミラベロ湾 Mirabello Bay, Gournia/©legend ej
グルーニア川河口付近・ミラベロ湾
海岸には舟着き場を管理した建物遺構が残る
クレタ島・東部/1982年

ミノア文明・グルーニア遺跡/©legend ej
幹線道路~グルーニア遺跡~ミラベロ湾
クレタ島・東部/1996年

町遺跡~北方350m付近、スフォンガラスの尾根の西側斜面では、初期ミノア文明EMII期~後期ミノア文明LMI期、紀元前2500年~前1450年頃まで使われた岩盤掘削の墓地が発見された。初期ミノア文明の埋葬の下から新石器文化の痕跡が確認されている。

さらに町遺跡の北側、現在の管理センター付近では、約150を数えるピトス陶棺やラルナックス陶棺を使った、中期ミノア文明MMIII期~後期ミノア文明LMI期、「新宮殿時代」に遡るグルーニアの町の人達が埋葬された大規模な共同墓地が見つかった。

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町遺跡&墓地遺跡の発掘と出土品

アメリカ考古学チームの発掘

グルーニア町遺跡は、1900年代の初め、アメリカ考古学チームが発掘ミッションを行なったこともあり、本国でも情報が行き届いているのか、クレタ島を訪れるアメリカ系ツアー・ツーリストバスが必ず止まって見学を行う遺跡として知られている。遺跡サイトはかなり広く、一般ツーリストの見学では所要おおむね30分~1時間となる。
町遺跡の規模は大きいが、遺構全体がおだやかな形容の岩の丘陵にあり、見晴らしは抜群、周囲にはオリーブ林や美しい海岸などエーゲ海特有の開放的で明るい風景が展開している。

ミノア文明・グルーニア遺跡 Minoan Town, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡・南東区画
クレタ島・東部/1996年

ミノア文明・グルーニア遺跡 Minoan Town, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡・北西区画
クレタ島・東部/1996年

ホテル施設が充実したリゾート・アギオス・ニコラオスからも近く、島都イラクリオン~クレタ島東部の白い町シティアへ向かう、幹線道路N90号から100m脇の目につく丘に広がる遺跡であり、大型バスのツアー・ツーリストのみならず、多くの個人ツーリストも立ち寄っている。

クレタ島/白い街とリゾート
クレタ島東部/白い街シティア&人気のリゾート・アギオス・ニコラオス
穏やかな紺藍色のエーゲ海・朱色の屋根&白壁の家並み・立ち並ぶレストラン&カフェ


グルーニア遺跡からの出土品

グルーニア町遺跡からは、住民の生活に連動する青銅製の道具を初め、石材加工用など工芸や農業関連の物品が目立ち、そのほか宗教関連の出土品も含まれている。青銅製の道具ではハンマー類のほか、丸太の表面皮や板を削り取る釿タイプ(ちょうな/鍬に近似する形容・別称=手斧)の木工加工の道具も出土している。
陶器の出土もあり、中期ミノア文明MMIII期・紀元前1600年頃、「新宮殿時代」の初め頃に流行し始めた海洋性デザイン陶器、特にタコの絵柄の鐙型水入れや儀式用リュトン杯などがある。

ミノア文明・グルーニア遺跡・青銅製道具 Minoan Bronze Tools, Grounia/©legend ej
グルーニア遺跡出土・青銅製の道具
左:ハンマー/イラクリオン考古学博物館・登録番号1223
右:ピック(釿)/イラクリオン考古学博物館・登録番号66
クレタ島・東部/描画:legend ej

ミノア文明・グルーニア遺跡・海洋性デザイン様式・鐙型水入れ Minoan Marine Style Jar, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡出土・海洋性デザイン様式・鐙型水入れ
イラクリオン考古学博物館/中期ミノア文明MMIII期
クレタ島・東部/1982年

グルーニア遺跡の共同墓地は二か所、先ず市街地の直ぐ北側(現在 管理センターの東側)にあった「北共同墓地 North Cemetery」、そして市街地~北北東450mのスフォンガラス岩尾根の西斜面(市街地~北方350m付近)に点在する「スフォンガラス共同墓地 Sphoungaras Cemetery」が確認されている。
埋葬建物群である北共同墓地からは約150を数えるピトス陶棺やラルナックス陶棺が出土、「新宮殿時代」の中期ミノア文明MMIII期~後期ミノア文明LMIB期頃まで約200年間の埋葬に使われた。一方、スフォンガラス共同墓地は初期ミノア文明EMIIA期~後期ミノア文明LMIB期・紀元前2500年~前1450年まで約1,000年間使われた、やや広く展開する岩窟墓群である。

市街地の直ぐ北側の「北共同墓地」からは、150を数えるピトス陶棺のほかラルナックス陶棺が出土している。その一つ、外周部に8頭の動物が描かれ、その内子牛が母牛の乳をねだる可愛い絵柄の、後期ミノア文明LMII期、紀元前1300年~前1200年の埋葬に使われたバスタブ型ラルナックス陶棺が見つかっている。ラルナックス陶棺の絵柄では、牛やパピルスなど植物や魚、幾何学紋様などが描かれた。

ミノア文明・グルーニア遺跡・ラルナックス陶棺 Minoan Larnax Sarcophagus, Gournia/©legend ej
グルーニア地区・「北共同墓地」出土・ラルナックス陶棺
「牛の授乳」を描写した埋葬用の陶棺/高さ465mm
後期ミノア文明LMIIIB期・紀元前1300年~前1200年
イラクリオン考古学博物館・登録番号9499
クレタ島・東部/1994年

重要な出土品では、アルカネス近郊のヴァシィペトロン邸宅遺跡 Vathypetoron やイラクリオンの西方のティリッソス邸宅遺跡 Tylissos、最東部のアノ・ザクロス邸宅遺跡 Ano-Zakros などで発見されたものと同種、ワイン用ブドウ搾りプレス容器が出土している。

搾りプレス装置は大型容器と桶(おけ)の組み合わせというシンプルなセットだが、間違いなくその主要用途はワイン造りの最初の重要な工程であるブドウの果粒を潰すための、「足踏み搾りプレス装置」であった。
体重の軽い子供が容器の中で足踏みすることで、ブドウの果汁を丁寧に搾り出したとされる搾りプレス装置は、ミノア文明の最盛期である「新宮殿時代」、後期ミノアLMI期、紀元前1500年前後に属する。

ミノア文明・グルーニア遺跡・ワイン・ブドウ搾りプレス装置 Minoan Wine Press, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡出土・ワイン用ブドウ搾りプレス装置
イラクリオン考古学博物館/プレス容器高さ約360mm
クレタ島・東部/描画:legend ej

ミノア文明・ヴァシイペトロン遺跡・ワイン用ブドウ搾りプレス装置 Minoan Wine Press, Vathypetron/©legend ej
ヴァシイペトロン遺跡出土・ワイン用ブドウ搾りプレス装置
クレタ島・中央北部/1982年

なお、ヴァシイペトロン遺跡ではオリーブ油やワインなどの保管貯蔵庫の北側、邸宅遺構の北西区画から、野外にセットされた石製のオリーブ油搾り装置が見つかっている。

ミノア文明・ヴァシイペトロン遺跡・オリーブ油搾りプレス装置 Minoan Olive Press, Vathypetron/©legend ej
ヴァシイペトロン遺跡・オリーブ油搾りプレス装置
後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年~前1450年
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明・アノ・ザクロス遺跡 Minoan House, Ano Zakros/©legend e
アノ・ザクロス遺跡・支柱の部屋(左側)
クレタ島・最東部/1982年


また、グルーニア遺跡からは、粘土に押された複数の《雄牛跳び》の印影が見つかっている。
これらとまったく同じ印影がクノッソス宮殿遺跡~西方19km、スクラヴォカンボス邸宅遺跡 Sklavokambos やメッサラ平野のアギア・トリアダ遺跡、最東部・ザクロス宮殿遺跡などからも出土している。

研究者は何れの粘土印影もそれぞれ同じ金製印章で押されたものと判断、「新宮殿時代」の後半期、文明センター・クノッソス宮殿から派遣された特定の金製リング(印章)を携えた複数の監査官のような立場の人が、各地の宮殿や地方センターであるミノア人の町や邸宅などを巡回する、国家レベルの行政・財務管理システムが構築されていた事実を連想できる。
粘土印影は現地で農産物などの収穫&管理状況の監査が終了した時点で、収納箱&結束ロープを粘土塊で固定、監査官が特定の金製リングで粘土塊に「封印」を押した、と推測されている。その「封印粘土塊」が発生した火災の高温下で陶器のように硬化した結果、現在まで残存したと考えられている。

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡&アギア・トリアダ遺跡・「雄牛跳び」の印影 Minoan Bull-leaping, Clay Seal Impression, Sklavokambos and Agia Triada/©legend ej
複数のミノア文明遺跡出土・《雄牛跳び》の共通粘土印影
印影=雄牛の後方に雄牛跳びのミノア青年
・中央北部・スクラヴォカンボス遺跡
・メッサラ平野・アギア・トリアダ遺跡
・東部・大規模町遺構のグルーニア遺跡
・最東部・エーゲ海岸ザクロス宮殿遺跡
印章=後期ミノア文明LMIB期・紀元前1450年頃
イラクリオン考古学博物館/横約31mm
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
描画:legend ej

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡&アギア・トリアダ遺跡・「雄牛跳び」の印影 Minoan Bull-leaping, Clay Seal Impression, Sklavokambos and Agia Triada/©legend ej
複数のミノア文明遺跡出土・《雄牛跳び》の共通粘土印影
印影=雄牛の後頭部付近に雄牛跳びのミノア青年
・中央北部・スクラヴォカンボス遺跡
・メッサラ平野・アギア・トリアダ遺跡
・東部・大規模町遺構のグルーニア遺跡
印章=後期ミノア文明LMIB期・紀元前1450年頃
イラクリオン考古学博物館/横約31mm
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
描画:legend ej


グルーニア遺跡の周辺遺跡

グルーニア遺跡から遠くない距離、南南東3.5kmには斑紋紋様の独特な陶器で知られた、初期ミノア文明の居住地ヴァシリキ遺跡 Vasiliki、さらにグルーニア遺跡~東方6km付近、標高400mの岩山地にはカヴォウシ遺跡 Kavousi がある。

ミノア文明・グルーニア遺跡~ヴァシリキ遺跡 地図/©legend ej
グルーニア遺跡~ヴァシリキ遺跡~カヴォウシ遺跡 地図
クレタ島・東部/作図:legend ej

ミノア文明・ヴァシリキ遺跡 Minoan Settlement, Vasiliki/©legend ej
ヴァシリキ遺跡・北東家屋群~岩丘
クレタ島・東部/1996年

ミノア文明・ヴァシリキ遺跡・ヴァシリキ様式水差し Minoan Vasiliki Style Jug, Vasiliki/©legend ej
ヴァシリキ遺跡出土・ヴァシリキ様式の水差し
特徴的な斑紋・鳥のくちばしに似た口頸部
イラクリオン考古学博物館・登録番号5319/高さ335mm
クレタ島・東部/描画:legend ej

GPS ヴァッシリキ遺跡: 35°04′55″N 25°48′40″E/標高80m


ミノア文明・カヴォウシ遺跡 Vronta Sttlement, Kavousi/©legend ej
カヴォウシ遺跡・Vronta居住地サイト
遠方=エーゲ海・プッシーラ島が見える
クレタ島・東部/1996年

GPS カヴォウシ遺跡: 35°06′36″N 25°51′30″E/標高425m

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