2019/12/15

ミノア文明・ニロウ・カーニ遺跡 Nirou Khani


ニロウ・カーニ遺跡の邸宅遺構

位置
クレタ島・中央部 北海岸/イラクリオン~東方11km・アムニッソス遺跡~東方4km
GPS
ニロウ・カーニ遺跡: 35°19′51.50″N 25°15′03″E/標高5m

クレタ島・中央北部・ミノア文明・遺跡 地図 Map of Minoan Sites, North-Central Crete/©legend ej
クレタ島・中央北部・ミノア文明・遺跡 地図
作図:legend ej

アムニッソス邸宅遺跡 Amnisos から海岸線を走る旧道を東方へ約4kmほど進むとニロウ・カーニ Nirou Khani のビーチとなる。地区の西外れ、波打ち際から約50m、海岸道路の南脇でミノア文明のニロウ・カーニ邸宅遺跡が発見された。

1980年代には閑散としたエーゲ海岸の村の外れであったが、距離的にイラクリオンから近いことから、今日では人気のビーチリゾートとなり、邸宅遺跡の周辺にはリゾートホテルやペンション、レストランなどが立ち並ぶ。
参考だが、クレタ島では中華系の飲食店は少ないが、遺跡の西隣の中華レストランは初めて訪ねた1982年にはすでに営業していた。

ミノア文明・ニロウ・カーニ遺跡 Minoan House, Nirou Khani /©legend ej
ニロウ・カーニ邸宅遺跡・中央通路&周辺
石製ベンチの部屋など高貴な造りの部屋が整然と並ぶ
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明・アムニッソス遺跡・邸宅遺構 House of Amnisos/©legend ej
アムニッソス遺跡・「ユリの邸宅」遺構
左方(北)=浜辺~海
クレタ島・中央北部/1982年



遺跡は「高位祭司の邸宅」と呼ばれる

邸宅はおそらくクレタ島に無数に存在したミノア時代の邸宅の中で最も優美で壮麗な建物の一つであったと言える。遺構からはミノア王国・中央政府のクノッソス宮殿などの建築様式を模倣したと思える、非常に風格のあるエレガントな建築工法を随所で確認できる。
ニロウ・カーニ邸宅では、ティリッソス邸宅遺跡 Tylissos と同じように敷地の東側に中央入口があり、邸宅全体は大きく南・西・北の三つの区画に分割されている。

ミノア文明・ティリッソス遺跡 Minoan House A, Tylissos/©legend ej
ティリッソス遺跡・「邸宅A」
円柱礎の主部屋~角柱の支柱礼拝室
クレタ島・中央北部/1982年

ニロウ・カーニ邸宅の真ん中の中央通路(トップ写真:手前から延びる直線通路)を挟み、連続する色々な部屋の構成と配置は、ティリッソスの邸宅Aよりさらにコンパクトで合理的な設計と言える。下図は邸宅遺構のアウトラインプラン図である。

ノア文明・ニロウ・カーニ遺跡・プラン図/©legend ej
ニロウ・カーニ遺跡・邸宅遺構・アウトラインプラン図
クレタ島・中央北部/作図:legend ej

中央入口の東側には全面が石板舗装の東中庭が配置されている。東中庭の南端には段差のあるプラットフォーム状の箇所がある。発掘時にこの場所から聖なる雄牛頭型のリュトン杯の半分が発見されている。
東中庭の北側にも、さらに邸宅の南側にも空地があることから、この二つの場所も天空に開放された小さな中庭であったかもしれない。

ミノア文明・ニロウ・カーニ遺跡・東中庭~主入口 Minoan House, Nirou Khani/©legend ej
ニロウ・カーニ遺跡・道路側中庭~東中庭
手前=石板舗装の中庭/中間=石板舗装の東中庭
遺構=主玄関~南区画/遠方=プラットフォーム
クレタ島・中央北部/1982年

広い東中庭から2本円柱を抜けて邸宅内部へ入る。先ずかつて床面が石膏表装で石膏石の壁面・腰壁パネル施工であったであろう主玄関となる。さらに3本角柱を抜けるとその奥が石膏石の舗装の広間となる。
おそらくこの石膏石の腰壁パネルが残る広間が邸宅全体の中心的な役割を果たした部屋であり、この舗装広間から南・西・北の三つの区画へ連結する別々の出入ドアー口が設けられている。

ミノア文明・ニロウ・カーニ遺跡・東中庭~主入口 Minoan House, Nirou Khani/©legend ej
ニロウ・カーニ遺跡・主玄関~舗装広間
二本円柱~主玄関~舗装広間/右奥=中央通路/右側=エーゲ海方向
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・ニロウ・カーニ遺跡・東中庭~主入口 Minoan House, Nirou Khani/©legend ej
ニロウ・カーニ邸宅遺跡
遺構・南西~中央通路周辺/保存状態が良い部屋群
クレタ島・中央北部/1982年

南区画への通路で石製ランプが発見された。その脇には階上への階段が確認でき、邸宅は間違いなく二階部分も存在したと想定できる。南区画で最も重要な場所は、床面が灰色石灰岩で施工された部屋であろう。
その隣の部屋では、ミノア文明の複数の宗教的な崇拝シンボルの中で最も神聖とされた「両刃斧/ラブリュス」が見つかっている。最大横幅120cmの大型の装飾用の両刃斧が発見されたその意味は、南区画が「聖所」の可能性も含めた祭祀・儀式に関連する「特殊な場所」であったことを推量させる。

ミノア文明・ニロウ・カーニ遺跡 ・青銅製の両刃斧 Bronze Ax, Nirou Khani/©legend ej
ニロウ・カーニ遺跡・聖所出土・青銅製の大型両刃斧
製作時 青銅製の両刃斧は白銀色~赤銅色を呈する
イラクリオン考古学博物館/最大横幅120cm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明の人々は聖なる両刃斧を木製の長い棒で支え、その支持棒を穴加工した石製角錐台に差込み、宮殿や邸宅の宝庫や貯蔵庫など大切な資産や宝飾品を保管する場所に立てていた。あるいはクノッソス宮殿遺跡マーリア宮殿遺跡の支柱礼拝室に例を見るように、部屋の支柱に両刃斧の記号を刻み、「聖なる場所」を指定する場合もあった。

通常、ミノア文明の時代、装飾用の両刃斧が立つ場所、部屋の支柱や壁面などに両刃斧の刻み、記号のある部屋への立ち入りは特別な身分の人、例えば王や王族、あるいは祭司・神官などが許され、これ以外の一般の人々の立ち入りや接近は禁止されていた、と考えられている。

ミノア文明・両刃斧/©legend ej
ミノア文明・崇拝シンボルの「両刃斧」
左=黄金の両刃斧の宝飾品/イラクリオン考古学博物館
中=両刃斧の刻み記号  右=青銅製両刃斧&石製角錐台
描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・支柱礼拝室 Pillar Crypt, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部・東支柱礼拝室
支柱側面=聖なる両刃斧の刻み
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1982年


ミノア文明・マーリア宮殿遺跡・支柱礼拝室・「両刃斧」記号 Doube Axe, Malia Palace/©legend ej
マーリア宮殿遺跡・西翼部・支柱礼拝室
角柱側面=聖なる両刃斧の刻み
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


本・ゲーム&映画・ファッション・PC・カメラ・食品&飲料・アウトドアー・薬品・・・

動物のフレスコ画が発見された中央通路の周辺は、間違いなくこの邸宅の最も豪華な部屋が連なっていたはず。通路の南側には石製ベンチを備えた床面が灰色石灰岩の主部屋があり、その隣は採光吹抜け構造の空間、そして4個の石製ランプが発見された部屋などが続く。

さらに中央通路と南中庭に挟まれた部屋からは、発掘レポートによれば、奉納用と考えられる粘土製の小型三脚テーブルが約50個も発見された。同じような奉納物は中央通路の北側のベンチのある部屋からも見つかっている。

その他にも、この区画からは海洋性デザイン(ホラガイ&海草」の円筒型容器を含め、祭祀用の品物が多数発見されている。海洋性デザインの絵柄では、最東部のザクロス宮殿遺跡から非常に上質なリュトン杯が出土している。

ミノア文明・ニロウ・カーニ遺跡 ・円筒型容器・海洋性デザイン Minoan Marine Style Vase, Nirou Khani/©legend e
ニロウ・カーニ遺跡出土・円筒型容器
 海洋性デザイン・ホラガイ&海草の絵柄
後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年~前1450年
 イラクリオン考古学博物館・登録番号7572/高さ180mm
 クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・ザクロス宮殿遺跡・西翼部出土・リュトン杯 Minoan Rhyton, Zakros Palace/©legend ej
ザクロス宮殿遺跡・西翼部出土・陶器リュトン杯
海洋性デザイン・ウニ&ホラガイの絵柄デザイン
後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年~前1450年
イラクリオン考古学博物館・登録番号2085/高さ330mm
クレタ島・最東部/描画:legend ej

ただ、ニロウ・カーニ邸宅遺跡では、宗教的な活動を示す確たる証拠は確認されていない。しかし、他の邸宅遺跡では発見されいない、余りに多量の奉納や祭祀関連の出土品があったことから、ニロウ・カーニ邸宅遺跡は、研究者の間で「高位祭司の邸宅」と呼ばれるようになった。

エーゲ海先史 ミノア文明ミケーネ文明
Amazon印刷書籍 ペーパーバック・B5版/大久保栄次 著

Amazon電子書籍 e-book-Kindle版/大久保栄次 著

※Amazon電子書籍:Kindle・Fire・iOS・Android・Win-Mac PC・Chrome・Edgeダウンロード対応


ニロウ・カーニ遺跡~東方2.5km、海岸グールネス地区 Gournes では、1915年、イラクリオン考古学博物館の創設に尽力した Joseph Hatzidakis が、初期EM期と後期ミノア文明LMIII期の複数の墳墓を発掘した。
紀元前1300年頃に属する後期ミノア文明の横穴墓・2号墓から、ほぼ円形のカーネリアン製の印章が出土した。横19.5mm・縦19mm、レンズ型の印面には、ミノア文明の代表的なモチーフである牛の授乳シーンが刻まれている。

ミノア文明・グールネス遺跡・カーネリアン製印章・牛の授乳 Minoan Seal, Gurnes,/©legend ej
グールネス遺跡・カーネリアン製の印章
印面=レンズ型・ほぼ円形・牛の授乳シーン
後期ミノア文明LMIII期・紀元前1300年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号1249
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

------------------------------------------------------

0 件のコメント: