2020/10/13

ミノア文明・カメシオン(カマイジー)遺跡 Chamesion/Chamezi


楕円形の塁壁居住地・カメシオン(カマイジー)遺跡

位置 クレタ島・東部/シティア~南西9km・アギオス・ニコラオス~東方28km
GPS カメシオン(カマイジー)遺跡: 35°10′03.50″N 26°01′07″E/標高500m


カメシオン(カマイジー)遺跡の位置

東部の人気あるリゾート・アギオス・ニコラオス~グルーニア町遺跡 Gournia を経由、幹線道路N90号は白い街シティア Sitia まで延びている。現在、N90号に平行するように、一部分で高速道路E75号が建設され、クレタ島・東部地方への交通アクセスは便利になりつつある。

ミノア文明・グルーニア遺跡 Minoan Town, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡・遠望
クレタ島・東部/1982年


高速道路E75号が新設されつつあるが、今でも健在の東部地方のエーゲ海沿岸とやや内陸を走る幹線道路N90号は、クレタ島で蛇行と起伏が最も激しいルートの一つである。
ただ、東部へ向かうN90号は、極端に蛇行しながらもグルーニア遺跡を過ぎた地点から沿岸から離れ、ルートのほとんどが標高の高いエリアを通過するので、時折、眼下に蒼く美しいエーゲ海が見え、岩丘に佇む無人の小さな礼拝堂の存在、そそり立つ海岸崖の圧倒される展望が連続する魅力は捨て難い。

クレタ島・東部地方エーゲ海沿岸・岩丘の礼拝堂/©legend ej
モクロス近郊・岩丘の Agios Pnevmatos 礼拝堂
クレタ島・東部・エーゲ海沿岸/1982年

クレタ島・東部地方の風景・スファカ村 Sfaka, East Crete/©legend ej
標高265m・国道N90号の小村スファカの風景
村の北西400m付近~岩丘陵 礼拝堂~遠方 岩山脈
礼拝堂=標高575m・岩山脈=標高1025m
クレタ島・東部地方/1982年

N90号でグルーニア遺跡~東方へ走行、沿岸へ下りるモクロス島 Mochlos への分岐点を過ぎ、さらに蛇行しながらシティアへ向けて東進する時、シティアの市街地~手前8.5km(道路10km)付近、標高430m、小さな村カメシオンカマイジー Chamesion /Chamezi)がある。村はクレタ島の東部地方の典型的な南斜面に集合する小村である。

クレタ島・東部・ミノア文明・遺跡 地図 Map of Minoan Sites, East Crete/©legend ej
クレタ島・東部・ミノア文明・遺跡 地図
作図:legend ej

ミノア文明・シティア周辺 遺跡 地図 Map around Sitia, Crete/©legend ej
ミノア文明・シティア周辺・遺跡 地図
クレタ島・東部/作図:legend ej

蛇行するN90号でアギオス・ニコラオス~シティア方面へ向かい、カメシオン村の手前、村~南西1.5km、標高480m付近、地形学で言う鞍部のようなポイント、東方へ急登坂する農作業用の細道がある。N90号脇にはギリシア当局の赤茶色標識【Minoan Settlement⇒】がある。

この地元の農家の人達が使う細道を上がり、そして直ぐに急激な下り坂、N90号~約80m付近の農道分岐点を右折・南方へ向かう。この分岐点から東方を眺めるとキレイに裾を延ばす二つの岩丘が見える。中腹までブドウ&オリーブが耕作された手前の岩丘は標高520m、さらに遠方に見えるがカメシオン遺跡の残る標高500mの岩丘である。

ミノア文明・カメシオン遺跡の岩丘 Minoan Site Rocky Hill of Chamesion/©legend ej
カメシオン遺跡の岩丘 遠望
山頂に居住地遺跡が残る形容のキレイな岩丘
クレタ島・東部/1982年

分岐点~南方へ向かう農道は、小さな谷間を形成するオリーブ耕作地を左回り(反時計回り)するルートとなり、その後手前の岩丘の中腹をカーブしながらやや東方へ向きが変わり、標高490mのわずかな尾根状のポイントに達する。東方目の前には穏やかな丘陵のような居住地サイトの岩丘が待ち構える。
居住地の岩丘が目視できる農道分岐点~サイトまでは、直線距離では約500mだが、N90号~農道分岐点~オリーブ耕作地・左回り~尾根ポイント~居住地サイトまで、大きく迂回するので約1kmの距離となる。


カメシオン(カマイジー)居住地の発掘

標高500m、岩と草原のような地元で「Souvloto Mouri」と呼ばれる美形の丘の頂上、カメシオン居住地サイトが残されている。

ミノア文明・カメシオン遺跡/Google Earth
カメシオン遺跡・楕円形の居住地サイト
標高500m/クレタ島・東部
地図情報:Google Earth⇒テキスト挿入

ミノア文明&ミケーネ文明 編年表/©legend ej
クレタ島ミノア文明&ギリシア本土ミケーネ文明 編年表
・ミノア文明・「旧宮殿時代」: 紀元前1900年~前1625年
・ミノア文明・「新宮殿時代」: 紀元前1625年~前1375年
ミケーネ文明(時代):  後期ヘラディック文明 LH期
作図:legend ej

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カメシオン居住地の発掘ミッションは、1903年、クレタ島イラクリオン生まれの考古学者 Stephanos Xanthoudides により実施され、確認された楕円形の居住地遺構は、中期ミノア文明MMIA期・紀元前2000年頃に属する、と発表された。
その後、1950年代になり、ザクロス宮殿遺跡を発掘したアテネ大学のプラトン教授Nikolaos Platonにより、建物のプラン配置と楕円形の特異な建物形容から、カメシオンの岩丘は居住地ではなく、山頂聖所 Peak Sanctuary と同じミノア文明の重要な「聖域」であった、とする考古学的見解が発表された。

一方、1972年、アテネ大学のダヴァラス教授 Costis Davaras の再調査では、新たに第二の入口(北西側)が確認され、発掘済みの中期ミノア文明MMIA期の遺構の下層レベルから、初期ミノア文明EMI期~III期・紀元前3000年~前2000年頃に属する、より古い時代の建物痕跡の存在が明らかになった。
この早期の壁面の一部は、現在目にすることができる上層レベルの遺構と同様な「カーブ」を描いていることが判明、この結果、カメシオンの岩丘では、当初の発掘で確認されている中期ミノア文明MMIA期と同じ曲線構造の、初期ミノア時代に遡る建物壁面(=塁壁)で構成された居住地が存在した、と断定された。
以降、プラトン教授が提唱した「聖域」の見解は否定され、カメシオンの岩丘はミノア文明の小規模な「居住地」の一つであったことが再確認された。


特異な建物形容

遠方から眺めると美形の穏やかな形容の岩丘の、ほぼ平坦な頂上に残された、中期ミノア文明MMIA期・紀元前2000年頃に属するカメシオン居住地の最大の特徴は、ほかのミノア文明遺跡では見ることのない長幅21m、短幅14mほどのユニークな楕円形(オーバル形状)の強固な建物壁面(=塁壁)で囲まれている点である。

ミノア文明・カメシオン遺跡・アウトラインプラン図 Plan of Minoan Settlement, Chamesion/Chamezi/©legend ej
カメシオン遺跡・居住地アウトラインプラン図
楕円形の珍しい塁壁遺構
クレタ島・東部/作図:legend ej


深井戸に似た「水溜ピット」

居住地の南東側にある主入口(見学入口)を入ると、サイトのほぼ中心ポイント、非常にしっかりとした平石が並べられた、深井戸に似た石組み施設がある。
当初、この施設はクノッソス宮殿遺跡・西中庭に残る三か所の、奉納物などを収めた「コウロウラス Koulouras」と呼ばれる石組みピットと同じ用途、儀式・祭祀で使った用品の「捨て穴」と想像された。
ただ、現在の研究では、岩丘の頂上という地質条件から、地下水を頼る通常の井戸とするには難があり、建物の屋根からの雨水を溜めて置く、漏れ防止の石膏プラスター施工された飲料用の「水溜ピット」と判断されている。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・西中庭・コウロウラスピット Koulouras-pit, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西中庭・コウロウラス
旧宮殿時代・紀元前1700年頃
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


ミノア文明・カメシオン遺跡・水溜ピット Water-cistern, Minoan Settlement Chamesion/Chamezi/©legend ej
カメシオン遺跡・水溜ピット
屋根からの雨水を溜めた丁寧な石積み構造ピット
中央上部=主入口/右上=南区画の部屋
クレタ島・東部/1996年

ミノア文明の水溜ピット
水溜ピットの大型施設では、イラクリオン~西南西11km、丘陵地帯に残されたティリッソス邸宅遺跡 Tylissos、あるいは東部・イエラペトラ Ierapetra~西方14km、イギリス人考古学者カドガン教授 G. Cadogan が発掘した、南海岸の岩丘にあるミルトス・ピルゴス居住地遺跡 Myrtos-Pirgos などで見ることができる。

ミノア文明・ティリッソス遺跡・水溜ピット Water-pit, Tylissos/©legend ej
ティリッソス遺跡・邸宅C・水溜ピット
クレタ島・中央北部/1994年

GPS ティリッソス遺跡: 35°17′55″N 25°01′13″E/標高190m

ミノア文明・ミルトス・ピルゴス遺跡・水溜ピット Minoan Cistern, Myrtos-Pirgos/©legend ej
ミルトス・ピルゴス遺跡・大型の水溜ピット
内径=約6m/石積み&石膏プラスター施工
クレタ島・東部南海岸/1996年


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建物遺構&出土品

楕円形の建物壁面(=塁壁)という理由から、居住地では方形の部屋は無いに等しく、水溜ピットを中心として何れも変形の部屋が放射状に配置されている。
水溜ピットの北東側に比較的広い扇形の部屋が配置されている。この区画の一角が「室内神殿」の可能性もあるが、スペース的には部屋全体が共同貯蔵庫であったとされ、発掘では持ち運び可能な炉と灰の痕跡を初め、テラコッタ製の奉納テーブルや石製容器、さらに複数のランプや機織り重り、複数のピトス容器や水差し、粘土製パイプなどが見つかっている。

また、出土した破断ピトス容器の腹部には、ミノア文明の文字・線文字Aスクリプトが刻まれていた。このピトス容器が居住地の陶工による自家製品であった場合、線文字Aの刻みを陶工が理解していた可能性があり、居住地の重要性とその背景を連想させる。

ミノア文明・カメシオン遺跡・ピトス容器・線文字A Minoan Linear A of Pythos Ware, Chamesion/Chamezi/©legend ej
カメシオン遺跡出土・ピトス容器&線文字Aスクリプト
参考情報:Stephanos Xanthoudides 発掘レポート
描画:legend ej


広い扇形の貯蔵庫の北東側、塁壁の外側で確認された初期ミノア文明EM期の建物跡からは、青銅製の両刃斧・手斧、包丁のような刃物と短剣などが出土した。
さらに最東部のパライカストロ遺跡 Plaikastro 近郊のペツォファ山頂聖所 Petsofaや、シティア南方のピスコケファロ村 Piskokefalo の丘上聖所に奉納された塑像と同じタイプ、テラコッタ製の女性塑像が見つかったのも、現存する塁壁の北東・外側である。

ミノア文明・カメシオン遺跡・青銅製の道具 Minoan Bronze Tool, Chamesion/Chamezi/©legend ej
カメシオン遺跡出土・青銅製の道具類
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・東部/描画:legend ej

ミノア文明・テラコッタ製女性像 Minoan Terracotta-Women Figurine/©legend ej
ミノア文明・テラコッタ製の女性塑像
 左=カメシオン遺跡出土・女性(女神?)塑像
中期ミノア文明MMIB期~MMIIA期・紀元前1900年~前1700年
イラクリオン考古学博物館・登録番号3489
 右=ピスコケファロ遺跡出土《ミノア女性像》
中期ミノア文明MMIIB期・紀元前1700年~前1650年
 イラクリオン考古学博物館・登録番号9832/高さ264mm
NTS(Not to Scale)描画:legend ej


水溜ピットの北西側には広いスペースがあり、1972年、ダヴァラス教授の発掘では、新たに外部へ連絡できる第二の入口が確認された。
推測だが、ミノア時代には第二入口からの細道が、岩丘の北麓のわずかな平地~現在のカメシオン村(カマイジー)の南側、国道N90号の南下を流れる谷川へ連絡していたのかもしれない。
北西スペースからの出土品はわずかしかなく、この場所は家屋ではなく、屋根のない居住地の「中庭」だった可能性が高い。

ミノア文明・カメシオン遺跡・第二入口 Second-gate, Minoan Settelment Chamesion/Chamezi/©legend ej
カメシオン遺跡・「第二入口」
北西入口~北西中庭を見る
クレタ島・東部/1996年

居住地の西側~南西端の部屋から石製容器とかなりの数の自家製と推測できるポット容器類が出土したことから、特にこの区画の二つの部屋は貯蔵庫であった、と想定されている。
また、主入口~水溜ピットへ向かう入口通路の左側となる南区画では、南北に細長い部屋から石製容器とランプが出土している。一方、入口通路の東側の二つの変形部屋の床面はやや低く、数段ステップで水溜ピットの地面レベルへ上がる仕様、これらの部屋は寝室などに使われたのであろう。

ミノア文明・カメシオン遺跡・南西区画の遺構 Minoan Settlement, Chamesion/Chamezi/©legend ej
カメシオン遺跡・中心~南西区画
ランダム配置された変形の貯蔵庫&ピトス容器
クレタ島・東部/1982年

ミノア文明・カメシオン遺跡・南西区画~中庭 Minoan Settlement, Chamesion/Chamezi/©legend ej
カメシオン遺跡・南西区画(貯蔵庫)~中庭
クレタ島・東部/1996年

小さな居住地であったが、複数のピトス容器と無装飾のポット容器、さらに数量は少ないが機織り重りも出土していることから、カメシオンの岩丘では窯・キルンは確認されていないが、陶器の自給自足と布地織りが行われていた、と研究者は考えている。

カメシオン遺跡は、1982年と1996年、私は過去二度訪ねているが、水溜ピット施設の石組みは驚くほど完璧に施工されているのが印象的、またサイトの岩丘からのクレタ島東部地方の典型的な風景、波打つ丘陵とオリーブ耕作地が広がる360度の眺望も感動に値するほど素晴らしいと感じた。


カメシオン遺跡 近郊のミノア文明の遺跡

アクラディア遺跡(邸宅遺構&トロス式墳墓)

カメシオン遺跡の岩丘~東方5kmにはアクラディア邸宅遺跡 Achladia があり、さらに邸宅サイト~南方900mのオリーブ耕作地には、保存状態の良好なミケーネ様式のトロス式墳墓が残されている。

ミノア文明・アクラディア遺跡・邸宅遺構 Minoan House of Achladia/©legend ej
アクラディア遺跡・邸宅遺構・南西区画~北東区画を見る
最も奥部=広い部屋&祭壇?/その右側・舗装=主入口
右方=円柱の部屋/左の連続部屋=貯蔵庫&食器保管室
左遠方=白い街シティアの市街地~エーゲ海が見える
クレタ島・東部/1996年

ミノア文明・アクラディア遺跡・トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb, Achladia/©legend ej
アクラディア遺跡・ミケーネ様式のトロス式墳墓
保存状態の良い墳墓への通路ドロモス~入口
クレタ島・東部/1996年

GPS アクラディア遺跡・邸宅: 35°10′09″N 26°04′18.50″E/標高225m
アクラディア遺跡・トロス式墳墓: 35°09′40″N 26°04′22.50″E/標高260m



メサ・モーリアーナ遺跡(トロス式墳墓&居住地痕跡)

ピンポイントが不明なので「現地サイト」の確認をしていないが、1903年、Stephanos Xanthoudides はカメシオン遺跡~西南西4.5km(蛇行のN90号=7km)、起伏のある尾根と渓谷が織り成す標高450m、山間部の小村メサ・モーリアーナ Mesa Mouliana で発掘ミッションを実施、地元で「Sellades」と呼ばれる場所から、後期ミノア文明LMIIIB期・紀元前13世紀に属する二基のトロス式墳墓を確認した。
さらに Xanthoudides はその直ぐ近くの「Vourlia」で、すでに15年ほど前に住民が発見していたトロス式墳墓を発掘調査した。また、二つのサイトの中間付近では小規模な居住地も確認している。
その後、モーリアーナ地区では、1950年代の末、おそらくプラトン教授が別なトロス式墳墓の痕跡を確認している。
これらのトロス式墳墓の発掘調査では、大型のクラテール型容器を初め、箱状容器やアンフォラ型容器などの陶器類、青銅製の器と短剣などが出土している。

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