2020/03/18

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace II 西中庭~南翼部


ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 関連ポストは「12部構成」となっています。
1. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace I 概要
2. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace II 西中庭~南翼部(当ポスト)
3. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace III 中央中庭・王座の間
4. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace IV 聖域・宝庫
5. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace V 貯蔵庫
6. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace VI 女神パリジェンヌ
7. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace VII 王の居室・聖所
8. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace VIII 王妃の間
9. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace IX 雄牛跳び
10. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace X 北~東翼部
11. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 周辺の先史遺跡
12. ミノア文明・クノッソス宮殿 崩壊の原因は?

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クノッソス宮殿の入口&周辺の遺構

位置 クレタ島・中央北部/イラクリオン Heraklion/Iraklion~南南東5km
GPS クノッソス宮殿遺跡・中央中庭: 35°17′53″N 25°09′47″E/標高95m

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東方の丘から展望
遺跡規模=東西180m 南北180m
右方(北)=イラクリオン方面
遠方(西)=アクロポリスの丘
クレタ島・中央北部/1982年

宮殿への入口には「城門」がない

王の住む宮殿でありながら、クノッソス宮殿を初めクレタ島のミノア文明の諸宮殿には、分厚い「城壁」もなく、堅固な「城門」も存在しない。
戦いが当たり前の先史文明の東地中海域にあって、徹底的に平和を尊んだミノア人の頑固さなのか、歴代の指導者が「敵」をつくらなかった外交上手な政治力の結果なのか、「旧宮殿時代」~「新宮殿時代」まで約500年間、ミノア文明は外からの攻撃を受けずに、ひたすらに安穏な時代を享受した。


ミノア文明の宮殿遺跡(4か所)

・中央北部・ミノア文明センター・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace
・南西部・メッサラ平野・フェストス宮殿遺跡 Phaestos/Phaistos Palace
・北海岸・マーリア宮殿遺跡 Malia Palace
・最東部・ザクロス宮殿遺跡 Zakros Palace

クレタ島ミノア文明・宮殿群 地図 Map of Minoan Palaces in Crete/©legend ej
クレタ島・ミノア文明・宮殿遺跡 地図
作図:legend ej

クレタ島・中央北部・ミノア文明・遺跡 地図 Map of Minoan Sites, North-Central Crete/©legend ej
クレタ島・中央北部・ミノア文明・遺跡 地図
作図:legend ej

ミノア文明&ミケーネ文明 編年表/©legend ej
クレタ島ミノア文明&ギリシア本土ミケーネ文明 編年表
・ミノア文明・「旧宮殿時代」: 紀元前1900年~前1625年
・ミノア文明・「新宮殿時代」: 紀元前1625年~前1375年
ミケーネ文明(時代):  後期ヘラディック文明 LH期
作図:legend ej

遠いミノア時代、クノッソス宮殿への来訪者は今日の見学入口ゲート近く、宮殿の北西方向から始まる切り通し的な石組みと盛り上がり石板歩道のローヤルロード Royal Road と呼ばれる、正規の入口参道を歩み、宮殿の西翼部・北東端から二階にあった西入口 West Gate へ進んだ。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・ローヤルロード Royal Road, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・宮殿へ参道・ローヤルロード
劇場区域~西方(現在 立入禁止区域)
切り通し的な石組み・平板舗装・石板歩道
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ローヤルロードは今日の見学入口ゲート近く、地方道路(Knossos=メッサラ平野 Karakas)の東側、宮殿の北西方向から始まる切り通し的な石組みと盛り上がりの石板歩道、現在、ツーリストの立入禁止区域となったが、長さ約140mが堂々と残されている。
1960年代、アメリカの考古学者 Paul Rehak によるローヤルロード周辺の発掘で、小さな作品だが、象牙製のハトの装飾品が見つかっている。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・ローヤルロード遺構・象牙製のハト Minoan Ivory Dove, Royal Road, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・ローヤルロード周辺出土・象牙製品
聖なるハトを形容した装飾品/横幅約50mm
新宮殿時代の後半・紀元前1450年~前1400年
イラクリオン考古学博物館・登録番号294
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

クノッソスの大宮殿には正規の宮殿入口であったローヤルロード&西入口のほかにも、部分復元された北入口、大型石材で完全復元された東入口、そして部分復元された南の邸宅の近くから長い通廊で導かれる南入口など、主要4か所の宮殿入口が存在した。

クノッソス宮殿・主要四か所の入口
・ローヤルロード&西翼部・西入口(二階) Royal Road & West Gate
・北翼部・北入口 North Gate
・東翼部・東入口 East Gate
・南翼部・南入口 South Gate

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・周辺遺跡 広域地図 Map Prehistoric Site around Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡&周辺 地図
クレタ島・中央北部/作図:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡/Google Earth
クノッソス宮殿遺跡
クレタ島・中央北部
地図情報:Google Earth⇒テキスト挿入

しかし、各入口ゲートには儀礼的なガードマンは存在したにせよ、武器を携えた兵士による厳しい警備体制は、クノッソス宮殿ではまったく必要がなかった。建物と隣の建物の隙間のような通路が、宮殿への正規の入口に相当した。この比較的狭い感じの宮殿への入口の仕様は、ほかのミノア宮殿でも共通の配置と構造であった。
城壁も城門もない王宮」、これは戦いを連想できない稀な文明、先史時代のミノア人の誇りであり、「ミノア文明の七不思議」とも言えるだろう。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・北入口 North Gate, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・北翼部・北通路
・左=北支柱広間/中央の高い部分=中央中庭北端
・右=北入口の建物&浮彫フレスコ画《赤い雄牛》
・通路地中=雨水排水路の施工(手前・崩壊部分)
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・東入口 East Gate, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部・東入口
復元の石段と擁壁の複雑堅固な構造
クレタ島・中央北部/1994年


ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・南入口 South Gate, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・南翼部・南入口
左建物=《祭司王のフレスコ画》の通路
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・南の邸宅 South House, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・南の邸宅
クレタ島・中央北部/1982年

「南の邸宅」からの出土品
エヴァンズの発掘では、宮殿の南西翼部の南側、少し低い場所に残る南の邸宅からは、渦巻き線&太い横帯線デザイン、器形がヴァシリキ様式に近似する水差しを含め色々な出土品があった。
特に青銅製品の出土例が顕著であり、高さ60cmの三脚付き&三個ハンドル付き直径61cmの大鍋、高さ38cmの三脚付き・直径38cmの中鍋、底の浅い鍋やフライパン形容の容器、道具としての両刃斧、さらに青銅製の短剣(四本)、ナイフやノコギリが三丁(三本)見つかっている。
ノコギリに関してエヴァンズは、最長163cmの大型品は木材の伐採ではなく、内装建材として多用された石膏石の切断に使われたと推測している。

そのほかでは「新宮殿時代」の最盛期に属する石製の印章の出土品があった。一つは滑石・ステアタイト製の円形レンズ型の印章、印面の横幅15mm~16.5mm、振り向き姿勢のグリフィンが刻まれている。製作は後期ミノア文明LMI期・紀元前1500年頃と推定された。
もう一つの印章は金製リングタイプ、素材には濃紺色のラピスラズリが使われ、印面の横幅18mm~19mm、ほぼ円形の円盤型である。印面には大きなライオンと調教師が刻まれている。製作はグリフィン印章とほぼ同じ時期、後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年~前1450年頃と推定された。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・南の邸宅・石製印章 Minoan Stone Seal, Griffin and Lion, South House, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・南の邸宅出土・石製印章 NTS(Not to Scale)
新宮殿時代・後期ミノア文明LMI期・紀元前1550年~前1450年
=素材・滑石・ステアタイト製・グリフィン
レンズ型印面=円形・横幅15mm~16.5mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号842
=外周・黄金の造粒技術&素材・ラピスラズリ
円盤型印面=円形・横幅18mm~19mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号839
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


劇場区域で「歓迎の舞」が行われたか?

クノッソス宮殿の正規の参道・ローヤルロードの突き当たり(東端)は、なだらかな斜面と言える段差のない階段で構成された劇場区域 Theater Area と呼ばれる区画で終わっている。
「劇場区域」という言葉から連想されることで、多くのツーリストはこの場所でイベント的な演劇が行われたと想像している。またそうであると説明する観光ガイドさえも居る。

しかし、この想定は間違っている、と私は主張したい。もしミノア時代に演劇やイベントが行われたのであれば、その場所は、間違いなく、沢山の民衆が鑑賞参加できる宮殿中心部の広い中央中庭 Central Court であったはずである。
故に正規の宮殿入口であるローヤルロードの延長部を成す劇場区域では、明らかに高貴な公式訪問者を迎えるための、おそらくは10人~20人程度の美しき衣装のミノア女性達、あるいは巫女達による優美な「歓迎の舞」が披露された、と私は想定している。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・劇場区域 Theater Area, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・北西部・劇場区域
宮殿参道・ローヤルロードの東端区画
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・複製「踊る女性」Minoan Dancing Woman, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部・王妃の間
フレスコ画《踊るミノア女性》の複製描画
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画「踊るミノア女性」 Minoan Fresco of Dancing Woman, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部・王妃の間
フレスコ画《踊るミノア女性》(部分)
イラクリオン考古学博物館/残存高さ370mm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


「フレスコ画の邸宅」からの出土フレスコ画

今日のチケット・ゲートの北側、イラクリオンからの地方道の東側~宮殿区域へ延びる長いローヤルロードの両側には、かつてミノア時代には宮殿の高位身分の人達が住んだ複数の高貴な邸宅が存在した。
その内の一つ、ローヤルロードの南側にあった邸宅遺構からは、ミノア文明の芸術レベルの高さを証明する見事なフレスコ画の断片が多数出土している。このことから、発掘者エヴァンズはこの遺構を即断的に「フレスコ画の邸宅 House of Fresco」と名称した。

クノッソス宮殿は、研究者から「美しいフレスコ画の宮殿 Palace with beautiful frescoes」と別称されているように、ミノア文明を語る時、美形な石製容器と上質な陶器と同様に、宮殿に残されたフレスコ画の高いレベルと芸術的価値を無視して語ることはできない。

フレスコ画の邸宅から見つかっているフレスコ画では、緋色(ひいろ)の背景色、《サフランを摘む青いサル Blue Monkey》が知られているが、典型的なクレタ島の自然を表現したフレスコ画《青い鳥 Blue Bird》もこの邸宅遺構からの出土である。
発掘では、いずれのフレスコ画の断片も遺構の一階レベルの部屋から見つかり、その製作は「新宮殿時代」の前半、紀元前1550年~前1500年頃と判断された。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅 プラン図/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅
アウトラインプラン図・発掘された一階レベル
クレタ島・中央北部/作図:legend ej

エヴァンズの発掘とその後の分析では、これらのフレスコ画の断片は上階から崩落したと推定された。フレスコ画の断片が見つかった一階レベルの部屋の「上階の部屋」の北~東~南壁面には、クレタ島の自然の風景の中、サフラン摘み青いサル・空を飛ぶ鳥・岩に佇む青い鳥の描写が、それぞれ単独ではなく「一連シーン」として描かれていたとされる。
推計されたフレスコ画の横全長は約5.5m、縦幅85cm、描かれた一連シーンの花咲く風景では、北~東壁面を中心に合計6頭のサルが、合計10羽の鳥は群れではなく全面に極自然の姿で点在して描写されていた。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅・サフランを摘む青い猿 Fresco Blue Monkey Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅出土
フレスコ画《サフランを摘む青いサル》
イラクリオン考古学博物館/紀元前1550年~前1500年
クレタ島・中央北部/1994年

一連シーンの最も右側となる南壁面に描かれた《青い鳥》は、不ぞろいの岩の上に佇む青い鳥とクレタ島の春に咲く草花を点在させた、心地よい感じを覚える美しいフレスコ画である。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅・《青い鳥》 Fresco Blue Bird, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅出土
フレスコ画《青い鳥》/高さ約60cm
イラクリオン考古学博物館/紀元前1550年~前1500年
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

「青い鳥」について発掘者エヴァンズは、ヨーロッパ・ローラー Coracias Garrulus(ニシブッポウソウ)としている。ただ私には描かれた鳥は結構大型の鳥に見え、胸部~腹部の青色、脚の赤色などからは、かつて1970年代のギリシアの切手絵柄にもなっていた、地中海の岩場の鳥、ハイイロ岩シャコ Alectoris Graeca の可能性も否定できない。

地中海の岩場の鳥・ハイイロ岩シャコ Alectoris Greaca/wild-herzegovina.com
地中海の岩場の鳥・ハイイロ岩シャコ(準絶滅危惧種)
写真情報:ボスニア・ヘルツェゴビナ自然環境保護
wild-herzegovina.com(UK)

青い鳥の周囲にはクレタ島の標高1,000mの高地で咲く Cistus Creticus など野生バラを初め、アイリス、ヒガンバナ科のパンクラチューム・リリーなどである。草花と岩と青い鳥の鮮やかな配色は、クレタ島の花咲く短い穏やかな春の季節を切り取り、見事なまでに表現している。
ただ、イラクリオン大学の青銅器文明の農業&風土研究者 Sabine Backmann は、左側の花は野生バラではなく、クレタ・ザクロ Punica Granatum の可能性を提唱している。

ザクロ/Provincia de Málaga(EP)/wellcomecollection.org(UK)
ザクロの花&果実 Punica Granatum
写真情報:左=スペイン・マラガ県庁 Provincia de Málaga(EP)
右=医学・生命・芸術系情報博物館 Wellcomecollection.org(UK)



参考情報を言えば、ローヤルロード脇・フレスコ画の邸宅からの《青い鳥》も印象的だが、美しい鳥を描いたフレスコ画では、南西部・メッサラ平野のアギア・トリアダ遺跡・準宮殿遺構の「フレスコ画の部屋」からは、横幅40cmのわずかな断片だが、ツタの絡まる岩場の陰から《キジを狙うネコ》のフレスコ画が見つかっている。
ツタの生えるゴツゴツとした岩場に静かに佇む一羽の美しいキジを狙って、忍び足で接近する眼光鋭いネコを描写したものである。次に起こり得る激しい場面を予想させながら、自然のシンプルな美しさと静寂の中に非常に緊迫したシーンを切り取って描いた、「新宮殿時代」の最盛期、後期ミノア文明LMI期・紀元前1550年~前1450年の見事なフレスコ画である。

ミノア文明・アギア・トリアダ遺跡・フレスコ画《キジを狙うネコ》 Minoan Fresco of Stalking Pheasant, Agia Triada/©legend ej
アギア・トリアダ遺跡・準宮殿出土・フレスコ画《キジを狙うネコ》
ツタの生える岩場のキジ&狙うネコが忍び足で接近
後期ミノア文明LMI期・紀元前1550年~前1450年
イラクリオン考古学博物館/横幅40cm
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

ローヤルロード脇・フレスコ画の邸宅では、さらに茜染めの緋色(ひいろ)と濃淡グラデーションのベージュ色を背景に、大胆に伸びるアオイガイの特徴的な三本の長い脚と海草を描いた《アオイガイ Argonauta Argo》のフレスコ画も見つかっている。
《サフランを摘む青い猿》や《青い鳥》のフレスコ画と共に、この《アオイガイ》のフレスコ画も邸宅壁面を大胆に装飾、見る人を圧倒させる役目を果たしていたに違いない。

フレスコ画を元に精密イラスト画を描いてみたが、自分のイラスト描画の力量不足からか? 遠目にはタコ属特有のアオイガイ(葵貝)の三本の足を描いただけの「低俗な描画」と感じる。
しかし、集中力を高めジーと眺めていると、実は海洋生物の固有の特徴を詳細に観察した結果としての、極めて精緻なタッチの細線と生きているようにうねる三本の足、そして無数の吸盤の連続性の精密描写からは、この壁画は低俗的な「単純なフレスコ画ではない」ことが分かる。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画《アオイガイ》Minoan Fresco Argonauta Argo, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅出土
フレスコ画《アオイガイ》/薄殻と三本の長い足&海草
イラクリオン考古学博物館/紀元前1550年~前1500年
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

アオイガイのメスの舟形螺旋形の薄い殻(オスは殻を持たない)を対称的に二枚並べると植物の葵の葉に似ることから、和名「葵貝」となったとされる。日本近海などに生息する同じタコ属のタコブネは食用できるが、地中海に生息するタコの仲間・アオイガイは食用には適さないとされるが、ミノア人の工芸モチーフでは人気が高かった。

ミノア文明の金製宝飾品・ネックレース・ビーズ
アオイガイはホラガイなどと同様にミノア陶器の絵柄ではスタンダード、さらには高貴な女性が身に付けた金製ネックレースのビーズにさえも頻繁に登場するように、海洋民族ミノア人が親しみを抱いた海洋小動物の一つであった。

ミノア文明・金製ネックレース・モチーフ例 Minoan Motif of Gold Necklace/©legend ej
ミノア文明・金製ネックレース・モチーフ例
上=パピルス花/中=ツタ葉/下=アオイガイ
石製型(モールド)を使い均一的に量産された
描画:legend ej

特にクノッソス宮殿遺跡の北方、宮殿王家の関係者が埋葬されたイソパタ遺跡・「王家の墳墓」やザフェール・パポウラ遺跡の共同墓地などから出土する金製ネックレースのビーズでは、パピルスの花を初めツタの葉、ユリの花、そしてアオイガイなどを形容したものが多い。
これらは石製の「型(モールド)」を使って、現代の「ダイキャスト加圧鋳造」や「砂型鋳造」と同じ、型の端面に刻んだ注ぎ口から溶融した金を流し込み、型(製品となるキャビティ空間)に金を充填させる方法で同じサイズの製品を量産することができた。

エヴァンズはクノッソス宮殿遺跡・金属工房区画で発見した石製の「型」を1910年、オクスフォード大学・アシュモレアン博物館へ寄贈している。また、ビーズの完成品は異なるが、最東部のパライカストロ遺跡などから出土した同様な石製の「型(両刃斧・女神など)」は、イラクリオン考古学博物館でも展示公開されている。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・金製宝飾品の石製「型」 Stone Mold for making Gold Jewelry, Knossos Palace/Ashmolean Museum
クノッソス宮殿遺跡・東翼部出土・石製の「型」
・表面=パピルス・ユリの花・貝の「8の字」など
・裏面=女神・ユリの花など/滑石製・横110mm
Ashmolean Museum, U. Oxford (UK)
登録番号AN1910-522
※Sir Arthur John Evans 寄贈(1910年)

ミノア文明・パライカストロ遺跡・金製宝飾品用の石製型(モールド)Minoan Stone Mold for processing Gold Jewelry Goods, Palaikastro/©legend ej
パライカストロ遺跡出土・金製宝飾品用の石製の「型」
片岩製/表面=大小サイズ両刃斧・裏面=両刃斧を持つ女神
金製宝飾品の鋳造法/モールド&溶融金材料の注湯&完成品
イラクリオン考古学博物館・登録番号116/横幅225mm
クレタ島・最東部/描画:legend ej


陶器モチーフ・アオイガイ(タコ属)
メッサラ平野のフェストス宮殿遺跡からの出土となるが、スポンジ状の海綿や海草が揺らぐ海中を大胆に泳ぐアオイガイの絵柄、海洋性デザイン様式 Marine Design Style の儀式用リュトン杯がある。
魚やタコやアオイガイなど海洋生物をモチーフにした絵柄は、「旧宮殿時代」が終わり、次の大繁栄の「新宮殿時代」が始まる紀元前1625年以降に一気に発展する、中期ミノア文明の末期~後期ミノア文明の代表的な陶器デザインの一つである。

ミノア文明・フェストス宮殿遺跡・「アオイガイ」の絵柄リュトン杯 Rython, Phaestos Palace/©legend ej
フェストス宮殿遺跡出土・リュトン杯
海洋性デザイン様式・アオイガイの絵柄
新宮殿時代・紀元前1500年~前1450年
イラクリオン考古学博物館・登録番号5832/高さ260mm
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

最東部のザクロス宮殿遺跡・西翼部からは、宮殿の広間などで飾るに相応しい非常に美しい器形、海洋性デザイン様式の水入れが出土した。
適度に開いた平らな口縁部、鐙型ハンドル、長い頸部と「逆さ梨型」の美しい肩部~腹部には、カンマ紋様と海洋生物・アオイガイが微細紋様の波間を浮遊する姿が描写されている。「花ほとばしる新宮殿時代」の最盛期、ミノア文明の最高傑作の陶器の一つである。
また、この水入れの「姉妹品」とも言える同型品がエジプト文明の遺跡から出土(ミノア文明⇒中東地域経由⇒エジプト/マルセイユ Chateau Berely 博物館・登録番号2787・高さ250mm)、さらに絵柄デザインに微差があるが、近似品は最東部・パライカストロ遺跡からも出土(イラクリオン考古学博物館・登録番号5172・高さ245mm)している。

そのほか、同じくパライカストロ遺跡からは宮殿発祥の優美な涙滴型(卵型)のリュトン杯が出土した。絵柄はホラガイのほか、アオイガイが波間に浮遊するシーンが描写されている。

ミノア文明・ザクロス宮殿遺跡・海洋性デザイン水入れ Minoan Marine Style Jar, Zakros Palace/©legend ej
ザクロス宮殿遺跡・西翼部出土・美しい器形の水入れ
海洋性デザイン様式・アオイガイの絵柄
後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年~前1450年
イラクリオン考古学博物館・登録番号14098
クレタ島・最東部/描画:legend ej

ミノア文明・パライカストロ遺跡・海洋性デザイン様式・リュトン杯 Minoan Marine Style Rhyton/©legend ej
パライカストロ遺跡出土・陶器リュトン杯
海洋性デザイン様式・宮殿発祥の優美な涙滴型(卵型)
絵柄=ホラガイ・岩礁・海草・浮遊するアオイガイ
後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年~前1450年
イラクリオン考古学博物館・登録番号3396/高さ285mm
クレタ島・最東部/描画:legend ej


そのほかローヤルロード脇・フレスコ画の邸宅からは、草原を表すのか下部スペース中央にやや背の低い立ち木が描かれ、それを挟んで二頭の野生ヤギ(クレタ・アイベックス)が向かい合い、波状の区分帯の上部スペースには一株五輪ずつのサフランが咲き乱れる様のフレスコ画の断片が見つかっている。
このフレスコ画は《青いサル》と《青い鳥》の断片が見つかった階下の部屋の「南側の部屋」から出土した。このサフランとヤギのフレスコ画が階下の部屋を飾っていたのか、あるいは上階の部屋から崩落したのかは分からない。

いずれにせよ、これらのフレスコ画が、日本では今日明日の食料を求めて、毛皮の腰巻姿で弓矢を放しイノシシを追う縄文時代に相当する、今から3,500年以上前、クノッソスの「新宮殿時代」の最盛期、すでに動物や植物の特徴を理解したミノア絵師により完璧に描かれていたとは、驚きの先史アート作品と言える。


「フレスコ画の邸宅」からの出土品・石製の印章

フレスコ画の邸宅からは複数の石製のビーズ形式の印象が見つかっている。
先ずは一般的な印章素材である滑石・ステアタイト製の横16.5mm・縦15mm、いわゆる枕に似たクッション型の印章では、ミノア風の厚ぼったいスカート姿の二人の女性が、腕を大きく振り、おそらくダンスを踊っているシーンと、私には判断できる。左側には聖なる樹木なのか判断できないが、植物の植え込みのような刻みが確認できる。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅・石製印章 Minoan Stone Seal, House of Fresco, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅出土・石製の印章
滑石製・クッション型・ダンスを踊る二人の女性
紀元前1550年~前1450年/横16.5mm・縦15mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号1288
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

別な印章は蛇紋岩製の横16mm・縦17mm、ほぼ円形のレンズ型、やはり厚ぼったいミノア風のスカート姿の女性が、驚くことに右肩にヤギのような四つ足の動物を担いでいる。厚ぼったいスカートは高貴な女性が履いていることから、「動物を背負う姿」という私の判断が間違いで、単純に女性とヤギの取り合わせのシーンなのかも知れない。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅・石製印章 Minoan Stone Seal, House of Fresco, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅出土・石製の印章
蛇紋岩製・ほぼ円形・ヤギを担ぐミノア女性
紀元前1550年~前1450年/横16mm・縦17mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号1287
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

二つの石製印章の製作は、後期ミノア文明LMIA期~LMIB期・紀元前1550年~前1450年とされている。刻まれたモチーフは比較的ハイレベルだが、素材が宝石ではなく、一般的な石材を使った穴付きのビーズ形式の印章であり、ファッション用ではなく、フレスコ画の邸宅に居住した高位人物が、宮殿業務で重要品の収納などで粘土封印するための、事務処理で使う「責任者用印章」であったかもしれない。


邸宅遺構からの出土品・「宮殿様式陶器」&「エフィレアン様式陶器」

クノッソス宮殿への正規のミノア道、ローヤルロード脇で確認された複数の邸宅遺構から、エヴァンズは流れるようなシルエットラインの非常に美しい器形、自然主義の典型的なモチーフの一つ、抽象化されたパピルスの絵柄の宮殿様式 Palace Style と呼ばれる大型アンフォラ型容器を発掘している。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・宮殿様式陶器 Palace Style Amphora, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・邸宅遺構出土・アンフォラ型容器
宮殿様式・美しいシルエットラインとパピルスの絵柄
新宮殿時代・紀元前1450年~前1400年
イラクリオン考古学博物館・登録番号8832・高さ700mm
クレタ島・中央北部/1994年

宮殿様式陶器は元々、ギリシア本土ミケーネ文明で開発された美しい器形の陶器だが、紀元前1450年頃、クレタ島へ侵攻したミケーネ人が持ち込んだ陶器とされる。
器形のデザイン性や自然主義を発展させた抽象的な絵柄モチーフ、微粒な原料陶土の吟味、製作のテクニカル面も含め、ウェストを絞り美しいヒップラインを強調した女性のマーメイド・ローブのようなビューティ・シルエットの宮殿様式陶器は、「新宮殿時代」の後半期、東地中海域で「最も美しい陶器」の地位を確立した、と強調しても良いだろう。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・宮殿様式ピトス容器・両刃斧&ロゼッタ Minoan Palace Style Pithos, Double Ax, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部・宮殿様式ピトス容器
北西儀式広間・両刃斧&ロゼッタ&植物性デザイン
新宮殿時代の後半・紀元前1450年~前1400年
イラクリオン考古学博物館・登録番号7757/高さ1345mm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


宮殿様式の素晴らしいアンフォラ型容器のほかに、さらに邸宅遺構からはエフィレアン様式 Ephyrean Style と呼ばれるゴブレット杯も見つかっている。
この安定感のあるゴブレット杯は、後期ミノア文明LMIB期、紀元前1450年頃、クレタ島への攻撃を仕掛けた「侵攻ミケーネ人」が、すでにギリシア本土のミケーネ文明で流行していた脚の細長いキリックス杯 Mycenaean Kylix の応用バージョンとして、占領後のクレタ島で開発したものと考えられる。遺構からは複数の同型のゴブレット杯が出土、いずれもイラクリオン考古学博物館で展示されている。

エフィレアン様式のゴブレット杯は、先ず太い脚部に特徴があり、標準的には器の素地が無地、その腹部の絵柄には植物の花やユリやパピルス、ロゼッタ紋様のほかに、海洋生物ではタコやイカなどがモチーフ採用された。いずれもかなり抽象化された絵柄を単色で大胆に描くデザインである。
紀元前1450年以降、「占領ミケーネ人」が統治したクレタ島で発祥したこの様式陶器は、その後、後期ヘラディックLHIIB期以降のギリシア本土でも盛んに生産されるようになり、ミケーネ文明後半期の代表的な陶器の器形&デザインに定着する。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・エフィレアン様式ゴブレット杯 Ephyrean Goblet, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿地区・邸宅遺構出土
エフィレアン様式ゴブレット杯/高さ約170mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号21154
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミケーネ文明・キリックス杯 Mycenaean Kylix/©legend ej
マルコポウロ遺跡出土・ミケーネ様式キリックス杯
高い脚・抽象デザイン・巻貝の絵柄
アテネ国立考古学博物館・登録番号3740
ギリシア本土アッテカ地方/描画:legend ej

邸宅遺構から出土したゴブレット杯と形容が同じ作品では、ジプサデスの丘の東斜面、エヴァンズの発掘により、王家の墳墓 Temple Tomb からエフィレアン様式のゴブレット杯が出土している。ただ、邸宅遺構より王家の墳墓の杯の方が一回り小さい。
口縁部に定番のリングハンドル付き、腹部には抽象化した花を大胆に描き、花弁が回転して湾曲する細長いカンマ紋様のようなモチーフである。また、ハンドルの脇には三個の小さな「U字形」がアクセントとして描画されている。
このリュトン杯は後期ミノア文明II期・紀元前1450年~前1400年、クノッソス宮殿の陶器工房で造られた作品である。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Temple Tomb・エフィレアン様式ゴブレット杯 Ephyrean Goblet, Knossos Temple Tomb/©legend ej
クノッソス地区・王家の墳墓 Temple Tomb 出土
エフィレアン様式ゴブレット杯/高さ150mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号9062
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

邸宅遺構からの出土品・ステムカップ

宮殿外の邸宅遺構からエヴァンズは、エフィレアン様式ゴブレット杯に近似する脚を持つステムカップを発掘している。
形の良いリングハンドルを付け、カップの腹部全面に「サメの背びれ」のようなややカーブする三角形の連鎖紋様&小点を表現、研究者から抽象&幾何学様式 Abstract and Geometric Style と呼ばれる絵柄デザインである。カップの製作時期は後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年~前1450年頃となる。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・外部邸宅出土・ステムカップ Stemed Cup, Knossos Outer House/©legend ej
クノッソス宮殿地区・邸宅遺構出土・ステムカップ
抽象&幾何学様式/「サメの背びれ」のデザイン
イラクリオン考古学博物館/ハンドル除く高さ160mm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

このカップと同じ器形&リングハンドル、抽象&幾何学様式の陶器では、メッサラ平野のフェストス宮殿遺跡から出土したステムカップがある。
製作時期はクノッソスのカップと同じ後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年~前1450年頃だが、フェストス宮殿遺跡の絵柄は腹部に連鎖するロゼッタ紋様&日本の勾玉(まがたま)に似たカンマ(,)の紋様、脚部に両刃斧と「聖なる結び目」が表現されている。

ミノア文明・フェストス宮殿遺跡・ステムカップ Stemed Cup, Phaestos Palace/©legend ej
フェストス宮殿遺跡出土・ステムカップ
抽象&幾何学様式/ハンドル除く高さ145mm
ロゼッタ・カンマ紋様・両刃斧・「聖なる結び目」
後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年~前1450年
イラクリオン考古学博物館・登録番号8407
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

「両刃斧」と「聖なる結び目」のデザイン
フェストス宮殿遺跡からのステムカップの絵柄とまったく同じ絵柄、「両刃斧」と「聖なる結び目」を描いた同じ時期に製作された水差しが、フェストス宮殿遺跡~北西約2km(道路3.5km)のアギア・トリアダ遺跡から出土している。
同じ絵柄デザインと同じ時期の製作、フェストス宮殿の王族が居住したアギア・トリアダ準宮殿の意味からして、二つの陶器は間違いなく、フェストス宮殿の陶器工房で同じ職人の手によりほぼ同時に製作された、と考えて良いだろう。

ミノア文明・アギア・トリアダ遺跡・水差し Minoan Jug, Agia Triada/©legend ej
アギア・トリアダ遺跡出土・水差し
ロゼッタ・カンマ紋様・両刃斧・「聖なる結び目」
後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年~前1450年
イラクリオン考古学博物館・登録番号3936
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej


エーゲ海先史 ミノア文明ミケーネ文明
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宮殿・西中庭&周辺の遺構

西中庭

ミノア時代、来訪者は目的によっては宮殿西翼部・北西端の長い階段を上がり二階の西入口 West Gate へ向かわずに、ローヤルロードから右折する形でわずかなステップを上がり、南側の西中庭 West Court へ向かったであろう。
宮殿の西翼部・正面部の西側、広い空間を占める西中庭は、クノッソスで旧宮殿が造営された紀元前1900年頃に整備された時代的に古い区域の一つである。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・推測模型/©legend ej
クノッソス宮殿・推測模型(木製)
部屋数1,000室/西中庭~西翼部~東翼部
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・中央北部/1996年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・西中庭 West Court, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西中庭
旧宮殿時代に造成された全面石板舗装の広い庭
盛り上がり歩道=ローヤルロード&劇場区域へ連絡
クレタ島・中央北部/1982年


西中庭・石組みピット群・コウロウラス

「旧宮殿時代」に遡る古い遺構だが、西中庭にはギリシア語で「丸みを帯びた凹み」を意味する深井戸に似たコウロウラス Koulouras と呼ばれる三か所の大型の石組みピットがある。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・西中庭・コウロウラスピット Koulouras-pit, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西中庭・コウロウラス
旧宮殿時代・紀元前1700年頃
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・西中庭・コウロウラスピット Koulouras-pit, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西中庭・コウロウラス底部
初期ミノア文明EMIIA期の家屋&「井戸」の遺構
クレタ島・中央北部/1994年

石組みピットの用途は明確に分かっていないが、儀式・祭祀に使った「奉納物を捨てた施設」と推測されている。ただこれらのピットは新宮殿の造営で西中庭が再整備された時に陶器片や土砂で埋められ、それ以降は使用されていない。
また、三か所の真ん中の石組みピットの底部には古い時代の家屋遺構のほか石段があり、この部分は飲料水用の「井戸」として使われた、とする研究説も根強く提唱されている。

参考だが、南西部のメッサラ平野のフェストス宮殿遺跡で複数の、そして北海岸のマーリア宮殿遺跡の西中庭脇にも、若干小型の円形ピット施設が8か所残されている。これらは奉納物の捨て場ではなく、小麦などの穀物貯蔵庫として使用された施設である。
なお、フェストス宮殿遺跡の西中庭の北側、より上部レベル(管理事務所側)の北西中庭に残る「旧宮殿時代」の建物遺構の区画には、飲料水用の井戸が残されている。

ミノア文明・フェストス宮殿 Old Phaestos Palace/©legend ej
フェストス宮殿遺跡・円形ピット群
旧宮殿時代の穀物貯蔵庫群
クレタ島・メッサラ平野/1994年

ミノア文明・マーリア宮殿遺跡 Malia Palace/©legend ej
マーリア宮殿遺跡・円形ピット群
新宮殿時代の穀物貯蔵庫群
クレタ島・中央北部/1982年

飲料水を溜めたミノア文明の「水溜ピット」では、東部南海岸のミルトス・ピルゴス遺跡 Myrtos-Pirgos やクノッソス宮殿遺跡~西方13kmのティリッソス遺跡 Tylissos などで見ることができる。
さらに規模は小さいが、東西幅21m、南北幅14m、中期ミノア文明MMIA期・紀元前2000年頃の楕円形(オーバル形状)の建物壁面(=塁壁)に囲まれたカメシオン居住地遺跡(カマイジー Chamesion/Chamezi)では、屋根からの雨水を集めた水溜ピットが残されている。クレタ島東部の交通アクセスに難があるスポットだが、この水溜施設は割石を美的と言えるほど丁寧に積み上げた、一見の価値ある遺産と言える。

ミノア文明・ミルトス・ピルゴス遺跡・水溜ピット Minoan Cistern, Myrtos-Pirgos/©legend ej
ミルトス・ピルゴス遺跡・大型の水溜ピット
内径=約6m/石積み&石膏プラスター施工
クレタ島・東部南海岸/1996年

ミノア文明・カメシオン遺跡・水溜ピット Water-cistern, Minoan Settlement Chamesion/Chamezi/©legend ej
カメシオン(カマイジー)遺跡・水溜ピット
屋根からの雨水を溜めた丁寧な石積み構造
クレタ島・東部/1996年



西中庭・初期ミノア文明の堆積層

エヴァンズの発掘では、西中庭・コウロウラス・ピットの底部~劇場区域側にかけての地下深く、「旧宮殿時代」より遥かに早い時代の建物群が存在したことが判明した。この西中庭下の古い遺構からクノッソスの丘で居住が始まって間もなくの頃、初期ミノア文明EMIIA期・紀元前2600年~前2400年に遡るボウル容器が見つかっている。

容器にはハンドルと小さな側面注ぎ口があり、腹部にはチョウ(蝶)をモチーフにした赤茶色の抽象的な絵柄が表現されている。この時代、まだモチーフの両刃斧はなく、自然に飛ぶチョウの表現は幾らかのクノッソスの初期陶器で見ることができる。
例えば、少し時代が遅れるが、西翼部一階・聖域・東礼拝室の北側の準備室のエヴァンズ発掘では、床面下1mの堆積層から中期ミノア文明MMIA期・紀元前2000年~前1900年の、チョウをモチーフにした高さ150mm、小型の水差しが出土している。

クノッソス宮殿遺跡・西中庭下・初期ミノア文明建物遺構・ボウル容器 Early Minoan Bowl, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西中庭出土・ボウル容器
西中庭下・初期ミノア文明EMIIA期の家屋遺構
紀元前2600年~前2400年
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・中期ミノア文明・水差し Mid-Minoan Jag Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部出土・水差し
聖域・「Room of Stone Vats」・旧宮殿時代前の堆積層
無地の素地・チョウ(蝶)・横帯線の絵柄モチーフ
中期ミノア文明MMIA期・紀元前2000年~前1900年
Ashmolean Museum, U. Oxford (UK)
登録番号AE1896-1908-AE1177/高さ150mm
※Sir Arthur John Evans 寄贈(1905年)
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



西中庭からの出土品・浮彫加工品

 円形ピット群(コウコウラス)の東側には儀式・祭祀に関連する方形の祭壇の基盤 Alter が残されている。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・西中庭・祭壇基盤/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西中庭・祭壇の基盤
クレタ島中央北部/1982年

エヴァンズの発掘では、西中庭の祭壇と西翼部の正面壁との間、劇場区域~西ポーチへ向かう盛り上がりの石板歩道付近で、半割ロゼッタと渦巻き線紋様が表現された緑青色の石灰岩製の浮彫加工品(レリーフ)が見つかった。
この精巧な石製加工品が石板歩道に放置されていた理由はなく、間違いなく紀元前1375年頃、クノッソス宮殿が大火災で最終崩壊した時、この浮彫品は西翼部二階に配置された西入口への階段上部、または西入口の軒下部分・フリーズから崩落したと考えられる。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・浮彫加工 Half Rosette Relief, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西中庭・石灰岩製の浮彫加工品
後期ミノア文明LMII期・紀元前1450~前1400年
イラクリオン考古学博物館・登録番号67/高さ約17cm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

浮彫部分は半割ロゼッタ紋様の間に縦連鎖の三つの渦巻き線で構成デザインされた表現である。この渦巻き線の位置と構成意図に関して、出土した浮彫品は小型だが、エヴァンズは後世のアテネ・アクロポリスのパルテノン神殿など、ドーリア式建築のフリーズ飾りのメトープ間を仕切るトリグリフ Triglyph と同じ、見る人が印象感を受けるビジュアル効果を狙ったものと推測している。

1970年代・ギリシア・アテネ・パルテノン神殿 Parthenon in1970s, Acropolis of Athens/©legend ej
1970年代初め・アクロポリス・パルテノン神殿
古代ギリシアの重厚なドーリア式建築の最高傑作
世界遺産・登録(1987年)より以前 ツーリストは少ない
ギリシア首都アテネ/1972年

なお、半割ロゼッタ&縦連鎖の渦巻き線で構成された浮彫装飾では、中央中庭に面する西翼部・聖域に存在した三分割聖所 Tripartite Shrine の中央下部の装飾にも使われている。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・「聖域」Sanctuary, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿・西翼部・三分割聖所(再現予想図)
プレ・ヘレニズム様式の円柱&雄牛角U型オブジェ
原画情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v.II(1928年)
Digital Library, Heidelberg U. (DE)
描画&色彩:legend ej

そのほか美術工芸の分野では、構成デザインはミノア人の得意としたフレスコ画や陶器の絵柄モチーフとしても頻繁に登場する。例えば、イソパタ遺跡・「王家の墳墓」から出土した高さ503mmの宮殿様式のアンフォラ型容器がある。
三か所ハンドル付き、肩部には渦巻き線の連鎖と、カンマ紋様が植物の新芽のように二重連鎖で埋め尽くしている。また、腹部を縦三分割しているハンドルから下方へ延びる縦帯にもカンマ紋様の二重連鎖が描かれている。
腹部は水平三区分され、上部と中間部のスペースはチェッカー紋様の縦帯で二分割された多重円紋様が、そして下部は複数の湾曲線が噴水のように上下する連鎖装飾である。

ミノア文明・イソパタ遺跡・「王家の墳墓」・宮殿様式アンフォラ型容器・植物性デザイン Minoan Palace Style Amphora, Architectual Design, Isopata/©legend ej
イソパタ遺跡・「王家の墳墓」出土・アンフォラ型容器
宮殿様式・美しい器形・構成的なデザイン絵柄
新宮殿時代・紀元前1450年~前1400年
イラクリオン考古学博物館・登録番号3884/高さ503mm
クレタ島・中央北部/1982年

さらに「エジプトのナポレオン」と別称されるファラオ・キアン(Khyan 在位=紀元前1610年~前1580年)など、古代エジプト第二中間期・第15王朝のファラオや王族は「アジア系ヒクソス族(異国支配者)」と呼ばれ、首都をカイロ~北東方向のアヴァリス(Avaris=Tell el-Dab'a遺跡 )に置いた。
その神殿遺構からエジプト流の画風ではなく、ミノア文明とまったく同じ様式、少なくも五頭の雄牛を相手にする五人以上の男性が「雄牛跳び」をする連続シーンの長大なフレスコ画が見つかっている。
雄牛達が激しく暴れる神殿域にはヤシの木が立ち、統一された幾何学文様の神殿壁面の基礎部は、クノッソス宮殿遺跡・西中庭で見つかった浮彫品とまったく同じ半割ロゼッタ&縦連鎖の渦巻き線の連鎖紋様で装飾されていた。


西中庭・北西宝物庫

西中庭の北東端、劇場区域~円形ピット群(コウコウラス)との中間付近、研究者から北西宝物庫 North-West Treasure House と呼ばれる東西25m、南北30mほどの建物が存在した。部屋数で20室のこの建物跡から、エヴァンズは紀元前1600年~前1500年頃の青銅製・高さ345mm、アンフォラ型水入れ容器を発見している。
この器形はエーゲ海サントリーニ島(フィラ島)のアクロティーリ遺跡で見つかった青銅製のアンフォラ型水入れ容器、さらにギリシア本土ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓Aから出土した銀製のアンフォラ型水入れ容器と極めて似ている。

三つの容器は素材の異なりはあるが、器形だけでなくデザイン&イメージも近似していることから、アクロティーリ遺跡とミケーネ宮殿遺跡の水入れ容器のデザインは、ミノア文明の影響を受けていたと判断できる。あるいはすべての容器がクノッソス宮殿の直轄工房で製作された可能性も否定できない。

ミノア文明&ミケーネ文明・青銅製&銀製アンフォラ容器 Minoan and Mycenaean Metal Amphora Ware/©legend ej
左=クノッソス宮殿遺跡出土・青銅製アンフォラ型容器
イラクリオン考古学博物館
中=ミケーネ宮殿遺跡出土・銀製アンフォラ型容器
アテネ国立考古学博物館・登録番号855
右=アクロティーリ遺跡出土・青銅製アンフォラ型容器
NTS(Not to Scale)/描画=legend ej

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西中庭~宮殿・西ポーチ

「宮殿時代」、イラクリオン方面からやって来たミノア時代の人々は、今日の見学コースと同様に全面が石板舗装された西中庭の盛り上がり石板歩道をさらに南方へ歩み、西ポーチ West Pouch へ向かう。かつて印象的な一本円柱のポーチの東壁面には、発掘者エヴァンズの想定では、巨大な「雄牛跳び」のフレスコ画が描かれていたとされる。

圧倒的な「雄牛跳び」の描写に感動・感激した来訪者は、ポーチの南東端から始まる、豪華な衣装の女神 or 王女を初め、筋肉質の若い男性達や貢物を携えた人達を描いた壮麗な行列シーンの、総延長75m、信じられない長さを誇る行列フレスコ画の通廊へと導かれたはずである。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・西中庭&西ポーチ West Court and Pouch, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西ポーチ(一本円柱礎)~西中庭
・遠方樹々=ローヤルロード&劇場区域
・西中庭=盛り上がり石板歩道が延びる
・右壁面=宮殿西翼部の貯蔵庫群の外壁
・右下=行列フレスコ画の回廊の入口部
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・西ポーチ 想像図 F.G.Newton/Sir Arthur Evans
クノッソス宮殿遺跡・西中庭~西ポーチ内部(想像図)
・天井=渦巻き線・ロゼッタのフレスコ画
・左方(東壁面)=雄牛跳びのフレスコ画
・左方奥口=行列フレスコ画の通廊の入口
原画情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v.II (1928年)
Digital Library, Heidelberg U.
原画作者:F.G. Newton

ミノア文明の盛り上がり石板歩道
クノッソス宮殿のみならず、フェストス宮殿やマーリア宮殿など、ミノア宮殿や幾らかの地方邸宅や居住地の共通した特徴とも言えるが、参道や中庭など人々が歩む場所には、石板舗装面から10cmほど盛り上がった石板歩道が施工されていた。
日本庭園や格式高い和風邸宅の「飛び石」にも似た歩む人の足元への配慮と言うか、主要施設への案内を兼ねるほぼ直線的なこの盛り上がり石板歩道は、ミノア人の高い建築技術と細やかな感性に裏打ちされた遺産でもある。

ミノア文明・フェストス宮殿遺跡・西中庭 West Court, Phaestos Palace/©legend ej
フェストス宮殿遺跡・西中庭~西翼部・正面部
舗装面=西中庭&石板歩道
女性位置=旧宮殿・西翼部
左側壁面=新宮殿・西翼部
クレタ島・メッサラ平野/1982年

ミノア文明・マーリア遺跡・市街の舗装通り Minoan Town Street, Malia Palace/©legend ej
マーリア遺跡・アゴラ市街・舗装通り
石板歩道が市街地を連絡
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明・パライカストロ遺跡・舗装通り Minoan Main Street, Palaikastro/©legend ej
パライカストロ遺跡・市街地・舗装の大通り
・遠方立樹=邸宅N
・左=ブロックΔ
・右=ブロックM
クレタ島・最東部/1982年

ミノア文明・ミルトス・ピルゴス遺跡 Minoan Paved Street, Myrtos-Pirgos/©legend ej
ミルトス・ピルゴス遺跡・周回道路の石板歩道
クレタ島・東部南海岸/1996年


「南西の邸宅」からの出土品
エヴァンズの発掘では、一本円柱の西ポーチの区画の南西側に存在した、宮殿外の「南西の邸宅 House of Southwest」と呼ばれる建物遺構から、初期ミノア文明EMIII期・紀元前2100年頃に属する非常に美しい器形、側面注ぎ口付きの水差しを発見している。
出土した水差しはグレー&ブラウン系の地、肩~腹部を斜めに横切るやや濁った白色の帯を上塗りように、エヴァンズの言う「Indian Red」、和色の銀朱色の太線が描かれている。
この水差しは初期ミノア文明EMI期・紀元前2700年~前2600年を代表する美しい器形のアギオス・オヌフリオス様式陶器 Agios Onouphrios Style、次のコウマサ様式陶器 Kouasa Stye の後継様式であり、クレタ島の中期ミノア文明で花咲く多彩色デザインの「先駆け」的な絵柄の技法と言える。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・初期ミノア様式水差し Early Minoan Jug, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・南西の邸宅出土・水差し
初期ミノア文明EMIII期・紀元前2100年頃
Ashmolean Museum, U. Oxford (UK)
登録番号AN1931-235/高さ90mm
※Sir Arthur John Evans 寄贈(1931年)
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・アギオス・オヌフリオス様式陶器 Minoan Agios Onouphrios Style Jug, Phaestos Palace/©legend ej
アギオス・オヌフリオス様式・優美な器形の水差し
初期ミノア文明EMI期・紀元前2700年~前2600年
イラクリオン考古学博物館・登録番号5/高さ215mm
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

ミノア文明・コウマサ遺跡・コウマサ様式水差し Minoan Koumasa Style Jug, Crete/©legend ej
コウマサ遺跡出土・コウマサ様式の水差し
初期ミノア文明EMIIA期・紀元前2600年~前2400年
イラクリオン考古学博物館・登録番号4107/高さ約10cm
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej


クノッソス宮殿の斬新な建物構成

ミノア時代、特にローヤルロード~劇場区域~西ポーチを経由した宮殿への来訪者は、歩みを進めるに従って風格ある宮殿の構造と次々と現れるセンスの良い美しい装飾に感動しながら、気付いたら広い中央中庭や豪華壮麗な宮殿の二階へ至るという、凝ったアイデアの舞台仕掛けにも似たクノッソス大宮殿の斬新な建物構成と規模に、間違いなく圧倒されたに違いない。

クレタ島ミノア文明では、クノッソス宮殿を初めほかの三か所のどのミノア宮殿でも、ギリシア本土ミケーネ文明の宮殿のように分厚い城壁で囲まれ、堅固な構えの城門が存在したことを証明する遺構も、防御目的の基礎石のわずかな痕跡さえも見つかっていない。
この「城壁&城門」の存在か否かの点、ほぼ同時代に東地中海域で繁栄したクレタ島ミノア文明と本土ミケーネ文明、二つの文明の大きな差異とも言える。

ミケーネ文明・ミケーネ宮殿遺跡・ライオン門 Lion Gate, Mycenae Palace/©legend ej
世界遺産/ミケーネ宮殿遺跡・城門と城壁
「ライオン門」周辺の分厚い石組み城壁
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

世界遺産/ミケーネ文明・ティリンス宮殿遺跡 Mycenaean Gate, Tiryns Palace/©legend ej
世界遺産/ティリンス宮殿遺跡・入城門
ミケーネ様式の巨大な石組み城門&城壁
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

ただ、間違いのない事実は、背景に武力が見え隠れする厳めしい城門や高い城壁で来訪者に威圧感を与えたミケーネ文明の宮殿とは異なり、城門もないミノアの宮殿では、来訪者を壁面~天井まで圧倒的な規模の美しいフレスコ画装飾で迎えていた。
この意味は、ミノア人の肩を持つ訳ではないが、明らかに平和を尊んだミノア文明の質の高い精神文化を代弁している、と言っても良いだろう。

ミノア宮殿・中央中庭のサイズ比較
・文明センター・クノッソス宮殿: 50mx25m
・メッサラ平野・フェストス宮殿: 52mx22m
・北海岸・マーリア宮殿: 48mx22m
・最東部・ザクロス宮殿: 30mx12m

ミノア文明・宮殿&中央中庭サイズ/©legend ej
ミノア文明・宮殿区域&中央中庭 サイズ比較
作図:legend ej



南西翼部~南翼部

行列フレスコ画の通廊

クノッソス宮殿遺跡では、今日、ツーリストの見学コースは「宮殿時代」の来訪者の歩んだ順路とほぼ同じように設定されている。
見学ツーリストは石板舗装の西中庭に立った瞬間から、早くも目の前に広がる宮殿の大規模な遺構に圧倒されながら、西ポーチからより南側の壁面全体が感動的なフレスコ画で装飾されていたと言う、行列フレスコ画の通廊 Corridor of Procession Fresco へ向かう。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・西翼部二階・プラン図 West-Wing 2F Plan, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部二階・アウトラインプラン図
参考情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v.II (1928年)
Digital Library, Heidelberg U. (DE)
作図:legend ej

かつてミノアの時代、通廊の壁面に描かれた壮大な《行列フレスコ画 Procession Fresco》は、その場に立った人の感動・感激を遥かに超越した、驚異の長大物語のフレスコ画であった。
サフラン染めの鮮やかな色合いの服装の男性楽師達の奏でる7弦リラ(たて琴)・二管フルート・シストルム・シンバルのリズムに合わせて、手を優雅に動かし踊り歌っているミノアの女性、前後を大勢の若いミノアの男性達に守られ踊るように歩む、象牙のティアラと豪華な衣装の王女(or 女神)、そして銀製水入れや陶器のリュトン杯など上質な献上品を携えた人達が、まるで現実の姿のように描かれていた。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・行列フレスコ画 Minoan Procession Fresco, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西~南翼部・《行列フレスコ画》
豪華なスカート姿の王女 or 女神&若い男性達(部分)
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画 Playing Music Fresco, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡出土・西~南翼部・《行列フレスコ画》
二管フルートと7弦リラを演奏する男性楽師(部分)
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

参考だが、アルカネス遺跡・共同墓地から出土したテラコッタ製のシストルムは、手で振ることで三枚の円盤がカタカタ音を出し、共鳴胴の機能を果たす内部が中空のハンドルから響き音が出る仕組みであった。
また、アギア・トリアダ遺跡から出土した石製の「刈取人夫達のリュトン杯」では、一人の人夫がシストルムを振り、行進の歩行リズムを取っている。

ミノア文明・アルカネス遺跡出土・楽器シストルム Minoan Clay Sistrum, Archanes/©legend ej
アルカネス遺跡・フォウルニ共同墓地出土・シストルム
子供埋葬ピトスの副葬品・テラコッタ製の楽器
紀元前2000年~前1900年/高さ18cm
イラクリオン考古学博物館・登録番号27695
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・アギア・トリアダ遺跡・石製リュトン杯 Stone Rython, Agia Triada/©legend ej
アギア・トリアダ遺跡出土・石製の「刈取人夫達のリュトン杯」
楽器シストルムを振る人夫=歩行リズム
イラクリオン考古学博物館・登録番号184
クレタ島・メッサラ平野/1996年

日本ではまだ大勢の人々が共同して生活する集落もなく、家族・部族単位で弓矢を放し森でイノシシを追っていた縄文時代、今から3,500年以上前、すでにクノッソス宮殿では最大規模の豪華可憐な物語性のフレスコ画が、来訪者の歓迎のために長い通廊を飾っていた

さながら先史時代の長大な絵巻物が、歩む人の移動速度に同調してゆったりと変化する動画を見るようなフレスコ画の通廊は、かつて西ポーチ~宮殿・南西端で左方(東方)へ折れ、南翼部の外側を真っすぐに南入口へ向かっていた。
すべての壁面が装飾されたフレスコ画の通廊は、直角に曲がるが、その総延長=75m、先史時代の稀に見る圧倒的に壮麗な通廊であった。


南プロピュライア(下の入口間)

南西~南翼部の多くの区画が破壊されていることで、今日ではツーリストはミノア時代の石板舗装の長い通廊ではなく、ギリシア政府当局が敷設した手すり&木製の見学歩道を歩み、宮殿・南西翼部の一画、真っ白に塗られた太い円柱と角柱が復元された南プロピュライア(South Propylaea 下の入口間)へと導かれる。

大勢で行動するツアーグループなら、全員がこの復元された入口間の区画で立ち止まり、複製の《行列フレスコ画》の壁面遺構に「ワアー!」と歓声を上げ、ガイドの説明は耳に届かず、献上品の儀式用リュトン杯を携えた上下2枚の行列フレスコ画をモニター画面でキャッチ、一斉にデジカメやスマホのシャッターボタンをONすることになる。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・南プロピュライア South Propylaea, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・南西翼部・南プロピュライア
復元された建物&複製《行列フレスコ画》
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・行列フレスコ画 Procession Fresco, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西~南翼部・《行列フレスコ画》
献上品リュトン杯を携え歩むミノアの男性(部分)
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

消石灰・漆喰&フレスコ画の技法
地中海の諸島や沿岸~内陸部まで何処にでも無尽蔵に存在する石灰岩を砕き、加塩で焼成した物質が白色の生石灰。生石灰を加水処理すると白色微粉末の消石灰となる。
水酸化カルシウムが主成分の消石灰を水で溶き、壁面や天井や床面に塗った状態を漆喰と呼ぶ。完全に水溶せず強いアルカリ性を呈する漆喰は調湿・消臭・防水・不燃性に富み殺菌作用もある。また、消石灰にやや多めの水を加えたのが石灰水である。

フレスコ画の語源はイタリア語、壁面や天井や床面を造成した後、基本的に白色漆喰で表面を施工、漆喰が乾燥しない間に石灰水と顔料で描画する技法をフレスコ画と呼ぶ。
顔料が遅乾性の漆喰の石灰層へ染み込み、ゆっくりと乾燥する時、石灰質が透明で強固なコーティング質を作り、最終的に描画の表面を保護する。

石膏プラスター&ドロマイトプラスター
塗壁技法では消石灰の漆喰のほかに、石膏石の粉末と砂などを添加、水で溶いた石膏プラスターがある。収縮率が少なく、漆喰と同じように活用される。
一方、今日では石灰岩系の苦灰岩を焼成・水和熟成させたドロマイトプラスターが、白色塗壁の主流となっている。この材料は糊剤を必要とせず作業性が良く、乾燥後に漆喰より強度が増すが、欠点として乾燥時の収縮率が大きいことから割れが生じ易い。このため割れ防止に消石灰や石膏を混練りする。


南大階段~プロピュライア(上階・上の入口間)

かつてミノアの「新宮殿時代」では、来訪者は行列フレスコ画の通廊を左折した後、東方へ約20m進んだ通廊の左側(北側)から採光吹抜け構造の部屋を通り、左右対称の整然と配置された南プロピュライア(下の入口間=復元の白色円柱&角柱・2枚フレスコ画)へと進んだ。

エヴァンズの発掘レポート(1928年)に沿えば、1927年、Theodore Fyfe が描画した通り、下の入口間である南プロピュライアの内部壁面は、壮大な《行列フレスコ画》の連続シーンが描かれ、その南側の天空に開口した採光吹抜けからの明るい光を受けていたに違いない。
そうしてクノッソス宮殿への訪問者は、見たこともない先史の絵巻物《行列フレスコ画》に圧倒されながら、さらに北側の南大階段 South Staircase から上階(二階)のプロピュライア(Propylaea 上の入口間)へと歩みを進めたことであろう。

それは訪問者を迎賓する東地中海域で最大の「美しいフレスコ画の宮殿」、クノッソス宮殿の統治者が創り上げたあり得ないほどの魔法の演出、見事な舞台装置でもあった。信じられない事だが、今から3,500年以上前のクノッソス宮殿の現実のシーンであるが・・・

ノア文明・クノッソス宮殿遺跡・南プロピュライア(想像図)/Evans-Heidelberg U.
クノッソス宮殿遺跡・南西翼部・南プロピュライア(想像図)
原画情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v.II (1928年)
Digital Library, Heidelberg U.
原画作者:Theodore Fyfe(1927年)

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・南プロピュライア~南大階段 South Propylaea-South Staircase, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・南西翼部・南プロピュライア~南大階段
ツーリストも少なく 見学ロープ規制もない
クレタ島・中央北部/1994年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・西翼部二階 Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部二階(復元)
・手前の円柱礎=中央支柱広間
・女性の立つ位置=中央ロビー
・角柱円柱礎=プロピュライア
クレタ島・中央北部/1982年

クノッソス宮殿遺跡・西翼部・二階~南プロピュライア 2nd Floor of West-wing, Knossos Palace/Sir Arthur Evans
クノッソス宮殿遺跡・西翼部二階フロアー(復元)
中央支柱広間~中央ロビー~南プロピュライア
遠方=聖なるユクタス山~ジプサデスの丘
右下=西貯蔵庫・第3号室~第5号室
写真情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v.II (1928年)
Digital Library, Heidelberg U. (DE)

また、南大階段~壮麗な上階広間への造りは、メッサラ平野のフェストス宮殿と同じような仕組みである。

ミノア文明・フェストス宮殿遺跡 Great Staircase, Phaestos Palace/©legend ej
フェストス宮殿遺跡・大階段
大階段の上部=大広間コンプレックス
クレタ島・メッサラ平野/1982年


南プロピュライア~南大階段の間、南プロピュライアの北東円柱礎の近くには、幾らかの大型ピトス容器が展示されている。これらの容器は南プロピュライアから出土したのではなく、発掘時に東隣の南翼部一階レベルから出土したものである。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・ピトス容器/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・南西翼部・南プロピュライア
東隣区画から出土したピトス容器群
クレタ島・中央北部/1994年


南入口~《祭司王のフレスコ画》の通路

今日、行列フレスコ画の通廊に沿って敷設されたロープ規制の見学コースでは、大階段へ進まない場合、東方に見える南入口 Souoth Gate へ向かう。
南入口の復元建物の東壁面には、聖なる動物「グリフィン」を牽いた《プリースト・キング Priest King 祭司王》と呼ばれる、大型の複製描画が掲示されている。この緩やかな南入口通路を抜けると中央中庭の南端へ至る。
なお、断片だがイラクリオン考古学博物館に展示されている出土した浮彫フレスコ画は、祭祀王のユリの冠から、《ユリの王子 Lily Prince》の別称がある。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・「祭司王」のフレスコ画 Fresco Priest King, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・南翼部・《祭司王のフレスコ画》
イラクリオン考古学博物館/高さ約210cm
クレタ島・中央北部/1994年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・中央中庭 Central Court, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・1980年代の中央中庭(南西角周辺)
左建物=南翼部・《祭司王のフレスコ画》通路(南入口)
白円柱=プロピュレイア(復元の行列フレスコ画の壁面)
右建物=西翼部・復元の「女神の列柱群」&聖域の区画 
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

なお、イラクリオン考古学博物館で展示公開されている現物の《祭祀王のフレスコ画》は、スイス人の考古学美術家エミール・ジリエロンが修復&復元を担当した。

考古学美術家エミール・ジリエロン Émile Gilliéron(1850年~1924年)
スイス生まれのエミール・ジリエロンはバーゼルで貿易を学んだ後、ドイツ・ミュンヘンの美術アカデミーで学び、パリへ移った後、活動の本拠地をアテネへ移した。
当初、ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓Aやティリンス宮殿遺跡の発掘で有名となった、「宝探しの考古学者」とも言われたドイツ人実業家シュリーマン Johann Schliemann の下で発掘遺跡の図面作成などを担当した。その後、クノッソス宮殿遺跡の発掘者エヴァンズの協力者となり、遺構図面やフレスコ画の復元などで活躍した。
エヴァンズのクノッソス宮殿遺跡の関係では、エミールはフレスコ画の復元に尽力、特に東翼部から見つかった美しいミノアの三人の高位女性を描いた《青の婦人達》、南翼部からの《祭祀王のフレスコ画》、そして王座の間の壁面を飾る「グリフィン&パピルス」のフレスコ画の復元に携わった。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・グリフィンのフレスコ画 Minoan Griffin Fresco, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部・王座の間
西壁面・グリフィンの複製フレスコ画
クレタ島・中央北部/1994年


雄牛角U型オブジェ

南西翼部、太い白色円柱と角柱の復元された南プロピュライア(下の入口間)~《祭司王のフレスコ画》の壁面遺構との中間、ピンポイントで言えば行列フレスコ画の通廊と南テラース South Terrace との境界壁の遺構の上にコンクリート復元の大型U型オブジェが置かれている。
エヴァンズの発掘時の復元では、このU型オブジェは南プロピュライアの上階に置かれていたが(上述 エヴァンズ発表・西翼部二階・復元フロアー写真)、その後、おそらく崩落の危険性を考慮したのか、現在の位置へ移された。

U型オブジェはミノア時代にクノッソス宮殿の建物の屋上や軒先、玄関上部などを飾っていた、聖なる雄牛の角を模した装飾物の一つ、沖縄の民家の屋根に鎮座する「獅子像シーサー」と同じように、魔除けや力の象徴&威厳を誇示するミノア文明の「トレードマーク」に一つとなっている。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・U型オブジェ/©legend e
クノッソス宮殿遺跡・南翼部・雄牛角U型オブジェ
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明では、雄牛はパワーの象徴であり、《蛇の女神》や想像上の動物の「グリフィン」などと共にミノアの人々に長い間崇拝されてきた。
雄牛角U型オブジェの小型品では、石製・テラコッタ製(素焼き粘土)など各種が製作され、クノッソス宮殿遺跡・王座の間付属の聖所や最東部のザクロス宮殿の聖所から、あるいはグルーニアの町遺跡からの出土例のように庶民の家庭の棚などで飾られた。

クレタ島・ミノア文明・雄牛角U型オブジェ/©legend ej
ミノア文明・雄牛角U型オブジェ各種
左=グルーニア遺跡出土・石製・横幅208mm
中=マーリア遺跡出土・テラコッタ製・横幅200mm
右=ザクロス宮殿遺跡出土・石製・横幅130mm
描画:legend ej

そのほか、テラコッタ製の雄牛角U型オブジェが、特に山頂聖所への奉納品としても多く作られた。最東部のパライカストロ遺跡近郊のペツォファ山頂聖所 Petsofa からは、非常に珍しい雄牛角U型を二基つなげたオブジェが出土、前面の装飾では小さな雄牛角を置いた三分割聖所と動物(ヤギ?)が表現されている。

ミノア文明・ペツォファ山頂聖所・雄牛角型オブジェ Minoan Bull Horn, Petsofa/©legend ej
パライカストロ遺跡出土・テラコッタ製の装飾像
ペツォファ山頂聖所 奉納品/雄牛角U型オブジェ
珍しい雄牛角のダブル形容&聖所&動物の装飾
アギオス・ニコラオス考古学博物館
クレタ島・最東部/1996年/描画:legend ej


ミノア文明・「蛇の女神」 Minoan Snake Goddess, Knossos Palace/©legend ej
ミノアの人々が崇拝した《蛇の女神》
クノッソス宮殿遺跡・西翼部出土・ファイアンス陶器
原画情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v.I (1921年)
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

また、南西部・カミラーリ遺跡 Kamilari のメッサラ様式の円形墳墓からは、「ダンスを踊る男性達」を表現したテラコッタ塑像が出土している。時代的にはミノア文明の「新宮殿時代」が終焉した後、紀元前1400年~前1300年頃、庶民の埋葬の副葬品である。
円周縁に力の象徴たる雄牛角U型オブジェが置かれ、その先端には神の使いの聖なるハトが止まり、この塑像が宗教観の強い情景を意味することを強調している。円形の狭い空間で、おそらくは亡くなった人の生前の名誉を称賛し供養するためか、四人のミノア男性が互いに腕を取って踊っているシーンである。

ミノア文明・カミラーリ遺跡・円形墳墓A・塑像 Minoan Cult Figure, Kamilari/©legend ej
カミラーリ遺跡出土・テラコッタ塑像
祭祀的シーン/故人への供養のダンスを踊る男性達
後期ミノア文明LMIIIA期・紀元前1400年~前1300年
イラクリオン考古学博物館・登録番号15073
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej


クノッソス宮殿勤務の公務スタッフ/宮殿への出勤シーン
ミノア文明の時代、毎日、クレタ島内やエジプトや中東などからの遠来の客人達が、戦いもない平和と繁栄のミノア王国の統治者ミノア王に謁見を求め、列を成してクノッソス宮殿を訪れたはずである。
そして、毎朝、宮殿外に住んだ高位レベルの祭司・神官、工房の職人達や女官など、ミノア王と家族を支える色々な役目のクノッソス宮殿勤務の、おそらく1,000人~2,000人、あるいはそれ以上の大勢の公務スタッフが、東西南北の主要な入口を利用して続々と宮殿へ通っていた。何しろ最盛期のクノッソスの街 ko-no-so には住民4万人が住んでいたのであり、宮殿勤務の上級エリート官僚や一般公務スタッフもたくさん居たはずである。

3,500年前、大繁栄の「新宮殿時代」、クノッソス宮殿への関係者の「出勤シーン」は、現代で言えば、さしずめ数千人規模のスタッフが勤務する政府機関の省庁、あるいは都心にある大手民間企業の本社高層ビルへの朝の出勤と同じような雰囲気であったに違いない。
フレスコ画《青の婦人達 Ladies in Blue》と同様に、風になびく度に良い香りを漂わせる香油で整えたウェーブのかかる艶髪、先進のエジプト・アレキサンドリアから輸入された流行のきれいな髪飾りを付けたスーパーモデル風の、凛々しくも華やいだ顔付きのミノアの女性達も居たことであろう。
一方、前夜の盛り上がったワイワイ・ガヤガヤの「ワインの飲み会」で勢い余って一気飲み、顔も洗わず二日酔いのままの冴えない表情の、若い遅刻男性スタッフも居たはずである。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画《青の婦人達》 Minoan Fresco  Ladies in Blue, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部出土・フレスコ画
エーゲ海の Kyanos Blue 背景色・《青の婦人達》
紀元前1650年~前1550年頃
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・中央北部/1994年

ただ、各入口に立つユニホーム姿の宮殿ガードマンが、公用語の線文字Aを使った粘土板タイプの「IDカード」のチェックを行い、パピルスに書かれた「タイムカード」で厳しく勤務管理を行っていたかどうかは、当時のミノア時代の人達に問わねば、私も実態を正確に記述することはできないが・・・

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・北入口 想像画/by Piet de Jong
クノッソス宮殿・北入口 想像画
右上階・浮彫フレスコ画《赤い雄牛》
描画情報:イラクリオン考古学博物館
描画作者: Piet Christiaan de Jong

ミノア文明・アギア・トリアダ遺跡・線文字A粘土板 Minoan Linear A tablet, Agia Triada/©legend ej
アギア・トリアダ遺跡・記録保管室出土・線文字A粘土板
新宮殿時代の後半・紀元前1500年~前1450年
左=イラクリオン考古学博物館・登録番号7/高さ約100mm
右=イラクリオン考古学博物館・登録番号8 (Not to Scale)
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

先史文明の「紙」・パピルス/©legend ej
先史文明の「紙」・湿地帯に生育するパピルス群生&加工後
南アフリカ・サバンナ地帯/2011年


ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 関連ポストは「12部構成」となっています。
1. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace I 概要
2. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace II 西中庭~南翼部(当ポスト)
3. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace III 中央中庭・王座の間
4. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace IV 聖域・宝庫
5. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace V 貯蔵庫
6. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace VI 女神パリジェンヌ
7. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace VII 王の居室・聖所
8. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace VIII 王妃の間
9. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace IX 雄牛跳び
10. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 Knossos Palace X 北~東翼部
11. ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 周辺の先史遺跡
12. ミノア文明・クノッソス宮殿 崩壊の原因は?

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