2021/06/17

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡 Sklavokambos


スクラヴォカンボス邸宅遺跡

位置 クレタ島・イラクリオン~西南西17km/クノッソス宮殿遺跡~西方19km
GPS スクラヴォカンボス遺跡: 35°17’43”N 24°57’29”E/標高420m


邸宅遺跡の位置

イラクリオン~西南西17kmの山間部、高貴な邸宅遺構のティリッソス遺跡 Tylissos から絶壁の迫る峡谷道路(イラクリオン=高原村アノージャ Anogia)を西方へ約10km進むと、現地で「スクラヴォカンボス Sklavokambos」と呼ばれる標高400mの谷間に開けた盆地状の場所に至る。

クレタ島・中央北部・ミノア文明・遺跡 地図 Map of Minoan Sites, North-Central Crete/©legend ej
クレタ島・中央北部・ミノア文明・遺跡 地図
作図:legend ej

1930年代、ギリシア考古学者マリナトス教授 S.N. Marinatos が発掘ミッションを行い、地方道路脇で20室を数えるミノアの邸宅遺構を発見している。
スクラヴォカンボス邸宅遺跡は周囲に民家などもなく、南背後に石灰岩の岩山が迫るという悪い敷地条件のためか、東方のティリッソス邸宅とは異なり少々雑な構造と言っても良く、部屋数の多い割には舗装床面の部屋は確認できていない。

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡 Minoan House, Sklavokambos/Google Earth
スクラヴォカンボス遺跡・邸宅遺構
クレタ島・中央北部
地図情報:Google Earth⇒テキスト挿入

スクラヴォカンボスの邸宅は「新宮殿時代」の紀元前1550年後に建造され、100年前後の間居住された。その後、クノッソス宮殿を除くミノアの三宮殿や地方邸宅、さらに町や小さな居住地などと同様、後期ミノア文明LMIB期・紀元前1450年頃、ギリシア本土からクレタ島へ攻撃を仕掛けた「侵攻ミケーネ人」に完全に破壊され、火災を伴って崩壊した。

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡・邸宅プラン図 Plan of Minoan House, Sklavokambos/©legend ej
スクラヴォカンボス遺跡・邸宅遺構・アウトラインプラン図
クレタ島・中央北部/作図:legend ej



邸宅建物の構成

谷間に展開する盆地を見渡せる絶好の位置にあるスクラヴォカンボス邸宅の北西区画(道路側)には、エーゲ海岸・アムニッソス邸宅遺跡に共通する快適なテラース形式の部屋が配置され、貯蔵庫らしい部屋も付属している。
訪ねた1994年では、遺構の北西区画・テラス形式の部屋は崩壊状態と言え、存在したとされる北側(道路側)に開放されたロジア様式の支柱などは確認できなかった。

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡 Minoan House, Sklavokambos/©legend ej
スクラヴォカンボス遺跡・邸宅遺構
道路側=テラース形式の部屋~右側=階段付近
クレタ島・中央北部/1994年

ミノア文明・アムニッソス遺跡・邸宅遺構 Minoan House of Amnisos/©legend ej
アムニッソス遺跡・邸宅遺構
北東端の角柱大広間~海側の石板舗装テラース
クレタ島・中央北部/1982年


テラース形式の部屋の東側には階段の存在を示す遺構があり、ほとんど間違いなく邸宅には上階(二階)があった。
テラース形式の部屋から一部屋置いた南側、柱礎を残す小さな柱礎三基の中庭では、「四本目」の柱の役目を果たしていたのであろう、北東側に壁の角部が残されている。これらの支柱と壁角部が屋根を支えていたのか、あるいは中庭が天空に開放された採光吹抜け構造であったかは判断できないが、少なくとも舗装されていない。

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡 Minoan House of Sklavokambos/©legend ej
スクラヴォカンボス遺跡・柱礎三基の中庭
クレタ島・中央北部/1994年


邸宅の役目・オリーブ&ワイン用ブドウ栽培と管理

スクラヴォカンボス邸宅遺跡の北方50mには渓谷川が流れ、穏やかな斜面を含めた渓谷盆地は、現在、オリーブブドウ栽培の耕作地となっている。
この邸宅が居住された後期ミノア文明LMI期、現在と同様に盆地には豊穣を約束する農耕地が開拓されていたと想像でき、邸宅は盆地で収穫されるオリーブやワイン用ブドウなどの生産管理を行っていた、と考えて良いであろう。
ミノア文明のワインに関しては、渓谷を少し下ったティリッソス遺跡周辺では、今日でもブドウ栽培とワイン生産が行われている。近世においては、特に歴史的に深い関係のあったイギリスで飲用されたワインの相当量が、実はティリッソス遺跡とスクラヴォカンボス遺跡周辺で醸造された赤ワインであったことは、歴史の教科書には載っていない。

クレタ島・ワイン用ブドウ栽培
クレタ島・ワイン用ブドウ栽培

クレタ島・オリーブ栽培
クレタ島・オリーブ栽培

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邸宅遺構からの出土品・《雄牛跳び》の粘土印影

マリナトス教授のスクラヴォカンボス邸宅の発掘ミッションでは、破壊が顕著だが邸宅遺構の北東区画から「雄牛跳び」を表現する複数の粘土印影 Clay Seal Impression が見つかった。
ミノア文明では「ライオン狩り」のシーン、神聖な聖所や女神、小動物や花などと並び、野生ヤギや雄牛も極一般的なモチーフとして好まれた結果、雄牛と雄牛跳びの情景を刻んだ印章、そして印章で押された粘土印影が、島内の多くのミノア文明遺跡から出土している。

スクラヴォカンボス邸宅からの《雄牛跳び》の印影では、雄牛跳びを行うミノア男性の位置の異なる二種類が確認できる。先ずは男性が雄牛の後方を飛ぶシーン、そして男性が前方を飛ぶシーンである。
特に注目すべき点は、スクラヴォカンボス遺跡以外の最東部のザクロス宮殿遺跡、メッサラ平野のアギア・トリアダ遺跡、東部地区のグルーニア遺跡、一部の印影はクノッソス宮殿遺跡などクレタ島内6か所から、スクラヴォカンボスと同じ複数の印章で押されたと確定できる共通粘土印影が、発掘により次々に見つかっている事例である。

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡&アギア・トリアダ遺跡・「雄牛跳び」の印影 Minoan Bull-leaping, Clay Seal Impression, Sklavokambos and Agia Triada/©legend ej
複数のミノア文明遺跡出土・《雄牛跳び》の共通粘土印影
印影=雄牛の後方に雄牛跳びのミノア青年
・中央北部・スクラヴォカンボス遺跡
・メッサラ平野・アギア・トリアダ遺跡
・東部・大規模町遺構のグルーニア遺跡
・最東部・エーゲ海岸ザクロス宮殿遺跡
印章=後期ミノア文明LMIB期・紀元前1450年頃
イラクリオン考古学博物館/横約31mm
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
描画:legend ej

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡&アギア・トリアダ遺跡・「雄牛跳び」の印影 Minoan Bull-leaping, Clay Seal Impression, Sklavokambos and Agia Triada/©legend ej
複数のミノア文明遺跡出土・《雄牛跳び》の共通粘土印影
印影=雄牛の後頭部付近に雄牛跳びのミノア青年
・中央北部・スクラヴォカンボス遺跡
・メッサラ平野・アギア・トリアダ遺跡
・東部・大規模町遺構のグルーニア遺跡
印章=後期ミノア文明LMIB期・紀元前1450年頃
イラクリオン考古学博物館/横約31mm
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
描画:legend ej


クノッソス宮殿遺跡の発掘者サー・アーサー・エヴァンズの発掘レポート(v. III/1930年)で記述してあるが、(ピンポイント場所=不明)アルカネス近郊の横穴墓の発掘では、ミノア文明の工芸モチーフの代表格である「雄牛跳び」を刻んだ金製リングが見つかっている。
かつて自身が館長を務めたエヴァンズが、オクスフォード大学 Ashmolean 博物館へ寄贈したとされる、横幅34mm・縦幅22mmのオーバル形、やや凸状の印面にインタリオ(凹)で刻まれた、極めて動的で迫力ある雄牛跳びのシーンでは、短めの巻き毛の青年が走る雄牛の背上で逆立ちする姿を捉えている。弓なりで腰巻姿の青年の両足は雄牛の尾を越えて風圧で雄牛の後方へ延び、右腕は雄牛の浮き出た肋骨(あばらぼね)付近、左腕は背骨に置かれている。

ミノア文明・アルカネス遺跡・金製リング「雄牛跳び」 Minoan Gold Ring of Bull-leaping. Archanes/©legend ej
アルカネス近郊・横穴墓出土・金製リング・《雄牛跳び》
後期ミノア文明LMII期・紀元前1450年~前1375年
Ashmolean Museum, U. Oxford (UK)
登録番号AN1896-1908-AE2237/横幅34mm
※Sir Arthur John Evans 寄贈
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


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邸宅遺構からの出土品・《二輪走行車》の粘土印影

 雄牛跳びのほか、スクラヴォカンボス遺跡からは御者の操る二輪走行車の印影が見つかっている。研究者は金製印章で押されたものと判断、これとまったく同じ共通印影が、ミノア文明の複数の遺跡からも出土している。

ミノア文明・アギア・トリアダ遺跡・二輪走行車の粘土印影 Minoan Chariot Seal Impression on Clay, Agia Triada/©legend ej
複数のミノア文明遺跡出土・《二輪走行車》の共通粘土印影
印影=御者はほとんど欠損・二頭立て馬&二輪走行車
・中央北部・スクラヴォカンボス遺跡
・メッサラ平野・アギア・トリアダ遺跡
・サントリーニ島・アクロティーリ遺跡
印章=後期ミノア文明LMIB期・紀元前1500年頃
イラクリオン考古学博物館/横約30mm
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
描画:legend ej


複数の共通粘土印影の出土の意味は?

複数の共通粘土印影が出土したという意味は、ほとんど間違いなく文明センターのクノッソス宮殿から派遣された、複数の監査官のような権限を持った立場の特定人物が、常に《雄牛跳び》などを刻んだ金製印章を携え、各地の宮殿や重要な地方邸宅を巡回して回り、農産物の収穫量や納税処理など国家財政や生産経済に関わる何らかの重要な監査業務を行っていた、と容易に推量できる。
監査官は、巡回する邸宅などで収穫された農産物がクノッソス宮殿へ運ばれる前、事前の現物検査を実施、収納された木箱や袋などを粘土で密封する時、携行の金製印章で「確認証」を押印したのであろう。
この想定が事実であったなら、農産物などの生産と管理を担当していた各地の宮殿と邸宅が崩壊する紀元前1450年頃より遥か以前から、ミノア文明ではすでに特定印章で監査を行う、王国レベルの「行政・財務の管理システム」が確立されていた、と判断できる。


邸宅遺構からの出土品・美形の水差し

スクラヴォカンボス遺跡からはクラック割れはあったが、後期ミノア文明LMIB期、紀元前1500年~前1450年頃のミノア陶器のモチーフの一つ、和色で言えば辛子色を基調とする、「抽象&幾何学様式 Abstract & Geometric Style」の絵柄、保存状態が良好な水差しが出土した。
ふっくらとした丸みの美しい器形、ブリッジ型注ぎ口付きの水差しには、やや太い三本のジグザグ線が横に走り、線に沿って小点紋様が連鎖、アクセントとして星印(アスタリスク)、さらに頸部には小さなロゼッタ紋様が表現されている。

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡・ジグザグ線の水差し Minoan Jug, Gigzag-line, Skloavokambos/©legend ej
スクラヴォカンボス遺跡・抽象&幾何学様式の水差し
ジグザグ線・小点・アスタリスク・ロゼッタ紋様
紀元前1500年~前1450年頃/高さ285mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号8939
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


高原リゾート・アノージャ村 Anogia

スクラヴォカンボス遺跡の脇を走る地方道をさらに西方へ7km(道路15km)ほど蛇行登坂すると、羊の放牧と民芸品と地元料理が自慢、山岳ドライブコースで人気のある標高750m、高原リゾート・アノージャ村となる。
本数は少ないが、アノージャ村へはイラクリオン市内から公共バスKTEL・路線バスが運行されている。邸宅遺跡周辺には民家がなくバス停もないが、ドライバーに頼めばスクラヴォカンボス遺跡脇で停車してくれる。

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