2021/06/22

ミノア文明・雄牛&雄牛跳び Minoan Bull and Bull-leaping

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「パワーの象徴・雄牛」の崇拝

ミノア文明の崇拝シンボル

ミノア文明では、多神教を背景として色々な宗教的&精神的な崇拝対象(物)があった。
最も神聖な崇拝対象では特に王と宮殿との結び付きが強い、ミノア王国のシンボルでもあった「両刃斧・ラブリュス Double Ax/lábrys」、続いて宮殿と庶民レベルの崇拝対象では「蛇の女神 Snake Goddess」を代表とする神的な「女神」、さらに崇拝対象で欠かせないのが力の象徴としての「雄牛 Bull」の存在であった。

クレタ島ミノア文明・宮殿群 地図 Map of Minoan Palaces in Crete/©legend ej
クレタ島・ミノア文明・宮殿遺跡 地図
作図:legend ej

ミノア文明・両刃斧/©legend ej
ミノア文明・崇拝シンボルの「両刃斧」
左=黄金の両刃斧の宝飾品/イラクリオン考古学博物館
中=両刃斧の刻み記号  右=青銅製両刃斧&石製角錐台
描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・《蛇の女神像》Minoan Snake Goddess, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡出土・ファイアンス陶器《蛇の女神像》
中期ミノア文明MMIIB期~MMIIIA期・紀元前1625年頃
NTS(Not to Scale)・イラクリオン考古学博物館
・左像(母女神?)=登録番号63・高さ342mm
・右像(娘女神?)=登録番号65・高さ295mm
クレタ島・中央北部/1994年

ミノア文明・クノッソス宮殿港・ポロス遺跡・金製リング「聖なる会話」 Minoan Gold Ring, Sacred Conversation,  Konssos-Poros/©legend ej
クノッソス宮殿港・ポロス遺跡出土・金製の印章リング
印章=楕円形(オーバル形状)・横18.6mm
印面=《聖なる会話》=別称「神のカップル・リング」
後期ミノア文明LMIA期・紀元前1550年~LMIB期・紀元前1450年
イラクリオン考古学博物館・登録番号1710
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

両刃斧」は神と王からの最も高次な格式と権威を示す聖なる標識であり、最高の畏敬対象としての警告でもあった。
通常、宮殿の王の居室など両刃斧の装飾品が置かれた場所、あるいは両刃斧の記号が刻まれた宮殿の聖所や宮殿直轄管理の貯蔵庫群などでは、王や高位神官など極めて限定された高位の人物以外に立ち入りや接近が許されていなかった。

さらに王や王家の親族などの埋葬では、金製の両刃斧を副葬、墳墓の入口や埋葬室の壁面などに両刃斧の記号を刻み、そのスポットが極めて尊貴な人達が眠る場所であることを啓示する伝統的な習慣があった。聖なる山頂聖所や洞窟聖所では、王家からは金製の両刃斧が、庶民からはサイズはランダムだが青銅製の両刃斧が奉納された。

ミノア文明・ニロウ・カーニ遺跡 ・青銅製の両刃斧 Bronze Ax, Nirou Khani/©legend ej
ニロウ・カーニ遺跡出土・青銅製の大型両刃斧
イラクリオン考古学博物館/最大横幅120cm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・支柱礼拝室 Pillar Crypt, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部・東支柱礼拝室
角柱側面=聖なる両刃斧の刻み
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・貯蔵庫群の長い通廊 Long Corridor of West Storerooms, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部・貯蔵庫群の長い通廊
貯蔵庫・第4号室入口~北方(第16号室方面)を見る
・床面中央=地中収納ピット(保護板カバー)
・貯蔵庫・第7号室入口=両刃斧の石製角錐台
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1994年


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ミノアの美術工芸モチーフとしての「雄牛」と「雄牛跳び」

最高権力者であるミノア王から一般庶民まで、ミノア文明のあらゆる階層の人々から崇拝された「雄牛」とその派生では、力強い雄牛の角を形容した石製の「U型オブジェ」があり、宮殿の軒先・屋根を初め聖所・神殿などの装飾として置かれた。
また、石製やテラコッタ製の小型サイズの雄牛角U型オブジェでは、宮殿の聖所内を初め庶民の住宅内にも置かれ崇められた。

そして、雄牛の全身や頭部を形容した石製やテラコッタ製の「」も数多く作られ、さらにミノア文明の特徴の一つとなった雄牛の背を飛び、角をつかむなど非常にアクティヴな行為、いわゆる「雄牛跳び Bull-leaping」が庶民の崇拝を含む聖なる儀式、あるいは民族イベントとして持てはやされた。

雄牛跳び=「牛飛び or 牛跳び」とも呼ばれている。


フレスコ画の「雄牛」&「雄牛跳び」

クノッソス宮殿遺跡出土・フレスコ画《雄牛跳び》

クノッソス宮殿遺跡の発掘者サー・アーサー・エヴァンズ Sir Arthur John Evans は、発掘で複数のテラコッタ製の機織り重りが出土したことから、宮殿・東翼部の一階レベルの区画を「機織り重りの階下 Loom Weight Basement」と呼んだ。
この区画からは多くのフレスコ画の微細片に混じって、間違いなく聖なる東大広間など上階の高貴な部屋を飾っていたであろう、ミノア文明の庶民の精神文化の象徴とも言える《雄牛跳び》のフレスコ画が見つかっている。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・東貯蔵庫群 East Storerooms, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東貯蔵庫群の周辺・重要出土品&スポット
・フレスコ画《雄牛跳び》/ファイアンス製品《タウン・モザイク》
・石製導水路システム/「王家のゲーム盤」/地中の「給水パイプ」
・メダリオンピトス貯蔵庫(復元建物)/フレスコ画《青の婦人達》
クレタ島・中央北部/1994年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画《雄牛跳び》 Fresco Bull-leaping, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部出土・フレスコ画
《雄牛跳び》の詳細描写/高さ約78cm
イラクリオン考古学博物館・登録番号T-15
クレタ島・中央北部/1994年



クノッソス宮殿遺跡・北入口上階出土・フレスコ画《赤い雄牛》

エヴァンズの発掘では、クノッソス宮殿遺跡・北入口の建物の上階壁面を飾っていた浮彫フレスコ画《赤い雄牛》が見つかった。後方を振り向きながら突進するような雄牛の力強い姿を描いたフレスコ画である。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・北入口・浮彫フレスコ画「赤い雄牛」 Red Bull Fresco, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・北翼部出土・浮彫フレスコ画
後ろを振り返り突進する《赤い雄牛》
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



クノッソス宮殿遺跡・西貯蔵庫出土・フレスコ画《雄牛》

クノッソス宮殿遺跡・西翼部一階レベル、宮殿の直轄管理が行われていた西貯蔵庫群・第13号室からは、「新宮殿時代」の終末、クノッソス宮殿が最終崩壊する後期ミノア文明LMIIIA1期・紀元前1375年頃、間違いなく上階(二階)の聖なる北西儀式広間 West Sanctuary Hall から崩落したと断定できるフレスコ画《雄牛》の断片が見つかっている

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・貯蔵庫・雄牛フレスコ画 Bull Fresco, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西貯蔵庫出土・《雄牛のフレスコ画》
参考情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v.I (1921年)
Digital Library, Heidelberg U. (DE)
参考原画:エヴァンズ作モノクローム・イラスト画
描画&色彩:legend ej





ギリシア本土・世界遺産ティリンス宮殿遺跡出土・フレスコ画《雄牛跳び》

特に陶器や金属容器など工芸品のデザイン分野でクレタ島ミノア文明の影響を顕著に受けていた、ミケーネ文明のセンター・ミケーネ宮殿遺跡~南南東15km、世界遺産ティリンス宮殿遺跡の「メガロン形式」の王の居室から、紀元前1400年~前1300年頃の作と思えるフレスコ画《雄牛跳び》が見つかっている。
残存は30cm弱の大きさ、フレスコ画の全体がかなり色彩劣化しているが、雄牛はベージュ色の地に赤茶線紋様で描かれ、暴れ狂う雄牛の角、または頭部にしがみ付いた若者が、雄牛の背中から空中に身体を浮かしている、かなりアクティブなシーンを表現している。

世界遺産ミケーネ文明・ティリンス宮殿遺跡 Tiryns Palace/©legend ej
世界遺産・ティリンス宮殿遺跡
列柱の中庭~王の居室(メガロン)
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

ミケーネ文明・ティリンス宮殿遺跡・フレスコ画《雄牛跳び》Fresco Bull-leaping, Tiryns Palace/©legend ej
ティリンス宮殿遺跡・王の居室出土・フレスコ画《雄牛跳び》
アテネ国立考古学博物館・登録番号1595/高さ290mm
ペロポネソス・アルゴス地方/描画=legend ej

GPS 世界遺産/ティリンス宮殿遺跡: 37°35’56”N 22°48’01”E/標高25m


アギア・トリアダ遺跡・石灰岩製の石棺のフレスコ画・「生贄の雄牛」

1903年、南西部・メッサラ平野のアギア・トリアダ遺跡・円形墳墓から出土した石灰岩製の大型石棺には、後期ミノア文明のフェストス宮殿かアギア・トリアダ準宮殿に居住した「王子」、または「王族」の葬儀・葬送シーンが、多色彩のフレスコ画技法で描写されていた。
描写では短いスカート衣装の男性の吹くフルートの音に合わせるように葬送の参列者が続く。ティアラと羽飾りを付けた豪華なロングドレス姿の女神(or 高位女性)が、細く美しい長い指を伸ばし、生贄(いけにえ)された一頭の雄牛をスカーレット色のロープで固定したテーブルを押しながら歩んでいる。
ミノア文明では「雄牛の生贄」は王や王族など尊貴な人物の葬儀・埋葬時に行われる極めて重要な習慣の一つであり、フレスコ画の石棺に眠る被葬者が非常に重要な人物であったことを連想させる。

ミノア文明・アギア・トリアダ遺跡・フレスコ画石棺 Stone Sarcophagus, Agia Triada/©legend ej
アギア・トリアダ遺跡・円形墳墓B出土・石灰岩製の大型石棺
フレスコ画装飾(拡大)/女神(高位女性)・生贄の雄牛
イラクリオン考古学博物館・登録番号396
クレタ島・メッサラ平野/1996年


王族などの埋葬時の「雄牛の生贄」では、クノッソス宮殿遺跡~南方7km、アルカネス遺跡・フォウルニ共同墓地の「アルカネスの王女」の墳墓とされるトロス式墳墓内から、間違いなく生贄・奉納された雄牛の頭蓋骨が見つかっている。
また、ラルナックス陶棺の屈葬姿勢の遺体の胸付近から、極めて祭祀的なシーンを刻んだ金製リングを含め、無数の宝飾品が出土している。

ミノア文明・アルカネス遺跡・トロス式墳墓A Tholos Tomb A, Archanes/©legend ej
アルカネス遺跡・フォウルニ共同墓地・トロス式墳墓A
丁寧に掘削された通路ドロモス~入口を見る
クレタ島・中央北部/1994年

ミノア文明・アルカネス遺跡・「アルカネスの王女」の墳墓・金製リング Minoan Gold Ring, Archanes Tholos Tomb/©legend ej
アルカネス遺跡・トロス式墳墓A出土・金製リング
「アルカネスの王女」の墳墓/女神・三分割聖所&樹木
紀元前1600年~前1500年/横幅26mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号989
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


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建物の装飾の「雄牛角U型オブジェ」

クノッソス宮殿遺跡・西翼部・三分割聖所の雄牛角U型オブジェ

雄牛の角はミノア王国の威厳のシンボルの一つであり、宮殿や聖所・神殿を装飾する最高モチーフであった。クノッソス宮殿・西翼部の重要な区画・宮殿の聖域の正面ファサードであった三分割聖所 Tripartite Shrine に雄牛角U型オブジェの典型を見ることができる。
聖所ファサード部は中央中庭の脇、現在は基礎部のみが残り、壮麗な聖所ファサードを想像するのも難しいが、その横幅は約5.4mであった。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・西翼部・三分割聖所 Tripartite Shrine, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿・西翼部・「三分割聖所」
・保護ポール・ロープ内側=三分割聖所の基礎部跡
・聖所ファサード=推定された間口(横幅)約5.4m
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1994年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・「聖域」Sanctuary, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿・西翼部・三分割聖所(再現予想図)
プレ・ヘレニズム様式の円柱&雄牛角U型オブジェ
原画情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v.II(1928年)
Digital Library, Heidelberg U. (DE)
描画&色彩:legend ej



陶器・ファイアンス・テラコッタ製の「雄牛頭型リュトン杯」

ミノア文明遺跡からのテラコッタ製の雄牛頭型リュトン杯

王家から庶民レベルに至るまで、ミノア社会の隅々まで深く浸透したミノアの「雄牛」の崇拝では、石製印章や金製リングの表現と同様に、発掘によりクレタ島内の遺跡から陶器ファイアンス陶器、そしてテラコッタ製の「雄牛」に関する作品が無数に出土している。

東部北海岸のエーゲ海の小島・モクロス遺跡・共同墓地 Mochlos を初め、グルーニア遺跡 Grournia やパライカストロ遺跡 Plaikastro など町遺跡から、かなりの点数のテラコッタ製の雄牛頭型リュトン杯が出土している。

ミノア文明・モクロス遺跡&プッシーラ遺跡 Minoan Mochlos and Psiera Islands/Google Earth
エーゲ海・プッシーラ遺跡~モクロス遺跡 地図
クレタ島・東部北海岸
地図情報:Google Earth⇒テキスト挿入

ミノア文明・モクロス遺跡 Mochlos Island/©legend ej
モクロス島/東西290m・頂点標高45m
共同墳墓=礼拝堂の左側・海岸~中斜面
ミノア時代=本島と陸続きの「小さな半島」
クレタ島・東部北海岸/1982年

ミノア文明・モクロス遺跡・「雄牛頭型」のリュトン杯 Bull-head Rhyton, Mochlos/©legend ej
モクロス遺跡・共同墓地出土・雄牛頭型リュトン杯
イラクリオン考古学博物館・登録番号6851
クレタ島・東部北海岸/描画:legend ej

GPS モクロス遺跡・共同墓地: 35°11’12”N 25°54’23”E/標高5m~25m

ミノア文明・パライカストロ遺跡・雄牛頭型リュトン杯 Minoan Bull-head Rhyton, Palaikastro/©legend ej
パライカストロ遺跡出土・雄牛頭型リュトン杯
イラクリオン考古学博物館・登録番号4582
クレタ島・最東部/描画:legend ej



プッシーラ居住地出土・テラコッタ製の雄牛・全身型リュトン杯

モクロス遺跡~西方4km、エーゲ海の小島プッシーラのミノア居住地&共同墳墓から出土した雄牛の全身型リュトン杯は、角部は欠損していたが、静止姿勢の威風堂々たる雄牛の肩~胴部全体が、魚の「うろこ」のような連鎖紋様で装飾された、祭祀要素の強い塑像である。

ミノア文明・プッシーラ遺跡・雄牛型リュトン杯 Minoan Bull-shaped Rhyton, Psiera/©legend ej
プッシーラ遺跡出土・雄牛の全身型リュトン杯
雄牛の胴体=「うろこ」の紋様/角部欠損
紀元前1500年頃/長さ260mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号5413
クレタ島・東部/描画:legend ej

GPS プッシーラ遺跡: 35°11′08″N 25°51′51″E/標高15m


フェストス宮殿遺跡出土・テラコッタ製の雄牛・全身型リュトン杯
雄牛の全身型リュトン杯では、フェストス宮殿遺跡から赤色斑点の「子牛」を形容した感じのテラコッタ製の雄牛リュトン杯が見つかっている。製作は後期ミノア文明LMIIIB期・紀元前1200年頃となる。「文明の最後」の時期になっても雄牛は人々の崇拝対象であったと考えられる。

ミノア文明・フェストス宮殿遺跡・テラコッタ製・雄牛リュトン杯 Minoan Terracotta Bull Rhyton, Phaestos Palace/©legend ej
フェストス宮殿遺跡出土・テラコッタ製の雄牛リュトン杯
視覚的には「子牛」に見える雄牛の像
後期ミノア文明LMIIIB期・紀元前1200年頃
イラクリオン考古学博物館/高さ35cm
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej



ザクロス宮殿遺跡出土・ファイアンス陶器の雄牛頭型リュトン杯

最東部のザクロス宮殿遺跡・西翼部から出土した雄牛頭型リュトン杯は、高い技法で製作されたミノアのファイアンス製品である。

ミノア文明・ザクロス宮殿遺跡・雄牛頭リュトン杯 Bull-head Rython, Zakros Palace/©legend ej
ザクロス宮殿遺跡・西翼部出土・雄牛頭型リュトン杯
新宮殿時代・後期ミノア文明LMI期・紀元前1500年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号479/高さ約100mm
クレタ島・最東部/描画:legend ej



クノッソス宮殿遺跡・西翼部・神殿宝庫出土・ファイアンス陶器の《牛の授乳》

エヴァンズはクノッソス宮殿遺跡・西翼部・聖域区画の発掘で、雄牛ではないがファイアンス陶器の小さな作品だが、宮殿の宝庫であった神殿宝庫 Temple Repositories から母牛の授乳を表現した見事な彩色陶器を見つけている。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・神殿宝庫 Temple Repositories, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部・神殿宝庫
奥側=西側の収納ピット
中間=後世の収納ピット
手前=東側の収納ピット
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・ファイアンス陶器「牛の授乳」 Faience-Cow-breastfeeding, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部出土・ファイアンス陶器《牛の授乳》
中期ミノア文明MMIII期・紀元前1600年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号68/長さ190mm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



コウマサ遺跡出土・テラコッタ製リュトン杯の「雄牛乗り」

南西部・メッサラ平野のコウマサ遺跡の「旧宮殿時代」に遡る円形墳墓Eから、埋葬儀式で使われそのまま副葬されたと推測できるテラコッタ製の「雄牛跳び」、と言うより「雄牛乗り Bull-riding」と言えるリュトン杯が出土している。
決して大型のテラコッタ塑像ではないが、三人のミノア男性が雄牛の頭部にしがみ付いている状態を表現、一人は雄牛の顔面にピタッとしがみ付き、残る二人は各々左右の角に後ろからしがみ付いている。
雄牛のサイズに比べ、ミノア男性達はあまりに小さく、やや滑稽なシーンとも言えるが、儀式・祭祀用のリュトン杯に表現するほど、パワーの象徴と崇められた雄牛が庶民の身近な存在であったことを示している。

ミノア文明・コウマサ遺跡・円形墳墓 Messara Style Circular Tombs, Koumasa/(C)legend ej
コウマサ遺跡・墳墓群
左側=円形墳墓B/中央=円形墳墓E
遠方=クレタ島最高峰 標高2,456m 聖なるイダ山系
クレタ島・メッサラ平野/1994年

ミノア文明・コウマサ遺跡・「雄牛跳び」のリュトン杯 Minoan Bull-leaping Rhyton, Koumasa/©legend ej
コウマサ遺跡出土・テラコッタ製《雄牛跳び》リュトン杯
イラクリオン考古学博物館・登録番号4676/長さ208mm
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

ミノア文明・コウマサ遺跡・「雄牛跳び」のリュトン杯 Minoan Bull-leaping Rhyton, Koumasa/©legend ej
コウマサ遺跡出土・テラコッタ製《雄牛跳び》リュトン杯
イラクリオン考古学博物館・登録番号4676/長さ208mm
クレタ島・メッサラ平野/1982年



ミノア文明遺跡からの石製&テラコッタ製の小型の雄牛角U型オブジェ

雄牛角U型オブジェの小型品では、石製やテラコッタ製(素焼き粘土)など各種が製作され、クノッソス宮殿遺跡・王座の間付属の聖所や最東部のザクロス宮殿の聖所から、あるいはグルーニアの町遺跡からの出土例のように庶民の家庭の棚などで飾られた。

クレタ島・ミノア文明・雄牛角U型オブジェ/©legend ej
ミノア文明・雄牛角U型オブジェ各種
左=グルーニア遺跡出土・石製・横幅208mm
中=マーリア遺跡出土・テラコッタ製・横幅200mm
右=ザクロス宮殿遺跡出土・石製・横幅130mm
描画:legend ej

そのほか、テラコッタ製の雄牛角U型オブジェが、特に山頂聖所への奉納品としても多く作られた。最東部のパライカストロ遺跡近郊のペツォファ山頂聖所 Petsofa からは、非常に珍しい雄牛角U型を二基つなげたオブジェが出土、前面の装飾では小さな雄牛角を置いた三分割聖所と動物(ヤギ?)が表現されている。

ミノア文明・ペツォファ山頂聖所・雄牛角型オブジェ Minoan Bull Horn, Petsofa/©legend ej
ペツォファ山頂聖所出土・雄牛角U型オブジェ
珍しい雄牛角のダブル形容&聖所&動物の装飾
アギオス・ニコラオス考古学博物館
クレタ島・最東部/1996年/描画:legend ej



カミラーリ遺跡出土・テラコッタ製の塑像・雄牛角U型オブジェ

南西部・カミラーリ遺跡 Kamilari のメッサラ様式の円形墳墓からは、「ダンスを踊る男性達」を表現したテラコッタ塑像が出土している。時代的にはミノア文明の「新宮殿時代」が終焉した後、紀元前1400年~前1300年、庶民の埋葬の副葬品である。
円周縁に力の象徴たる雄牛角U型オブジェが置かれ、その先端には神の使いの聖なるハトが止まり、この塑像が宗教観の強い情景を意味することを強調している。円形の狭い空間で、おそらくは亡くなった人の生前の名誉を称賛し供養するためか、四人のミノア男性が互いに腕を取って踊っているシーンである。

ミノア文明・カミラーリ遺跡・円形墳墓 Messara Style Circlar Tomb, Kamilari/©legend ej
ミノア文明・カミラーリ遺跡・メッサラ様式円形墳墓
クレタ島・メッサラ平野/1994年

ミノア文明・カミラーリ遺跡・円形墳墓A・塑像 Minoan Cult Figure, Kamilari/©legend ej
カミラーリ遺跡出土・テラコッタ塑像
祭祀的シーン/故人への供養のダンスを踊る男性達
後期ミノア文明LMIIIA期・紀元前1400年~前1300年
イラクリオン考古学博物館・登録番号15073
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

同じカミラーリ遺跡の円形墳墓からの塑像では、円形のテーブルを挟み、上半身が欠損しているが後ろ向きの「死者」に向き合うように、一人がテーブルに供物を差し出している。その後方では部屋の入口なのか、一人のおそらく男性がその様子を見ている。
頭部が欠損の供物の人は格子柄のスカート姿と判断でき、間違いなく親近者の女性であろう。「死者」の周囲には聖なる雄牛角U型オブジェと神の使いであるハトが置かれていることから、祭祀的シーンを表現した極めて神聖な副葬品である。

ミノア文明・カミラーリ遺跡・円形墳墓A・塑像 Minoan Cult Figure, Kamilari/©legend ej
カミラーリ遺跡出土・テラコッタ塑像
祭祀的シーン/故人(上半身欠損)への供物
後期ミノア文明LMIIIA期・紀元前1400年~前1300年
イラクリオン考古学博物館・登録番号15072
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej



プッシーラ遺跡出土・ピトス容器の雄牛デザイン

北海岸・プッシーラ居住地から出土した準宮殿様式のピトス容器がある。平坦な口縁部の外周面は連鎖する両刃斧、腹部は両刃斧と雄牛の頭部、植物のデザイン、下部は連鎖するツタの葉や渦巻き線紋様で埋められている。
描画技法の精緻性では一般的だが、モチーフではクノッソス宮殿遺跡からもたらされた美しい装飾ピトス容器に匹敵する格式レベルと言える。

ミノア文明・プッシーラ遺跡・準宮殿様式ピトス Minoan Pithos with Bull and Double Ax design, Pseira/©legend ej
プッシーラ遺跡出土・準宮殿様式のピトス容器
両刃斧・雄牛頭部・ツタ葉・渦巻き線デザイン
後期ミノア文明LMI期・紀元前1550年~前1450年
イラクリオン考古学博物館・登録番号5459
クレタ島・東部/1982年


石製品の「雄牛」&「雄牛跳び」

クノッソス地区・小宮殿遺構出土・石製の雄牛頭型リュトン杯

陶器の雄牛や雄牛跳びのモチーフと並び、出土の点数ではクレタ島のミノア文明遺跡から石製品も数多く出土している。
最も有名な石製の雄牛を形容した作品は、クノッソス宮殿遺跡~北西350m、「小宮殿 Little Palace」と呼ばれる建物遺構から出土した、ミノア文明を代表する美術作品である雄牛頭型リュトン杯 Bull-head Rhyton であろう。
イラクリオン考古学博物館の至宝の一つで余りに有名であり、ほとんどの人はこの蛇紋岩、または滑石・ステアタイト製のリュトン杯が、クノッソス宮殿遺跡からの出土品と勘違いしているが、厳密には宮殿外のクノッソス地区で確認された大規模な建物遺構の発掘でもたらされた。

現物の頭部の真ん中から左半分(写真では右側)が出土したミノア時代の「本物」の部分で、ややピカピカと光沢している右半分は複製である。木製の角部分は腐食したのか、発掘では見つからなかった。雄牛の目の部分は水晶、まつ毛は宝石のジャスパー、鼻の部分は真珠貝で象嵌され、上部の小穴は儀式で「生贄の牛の血」を注ぐためと判断されている。
リュトン杯の製作時期は「花ほとばしる新宮殿時代」の最盛期、紀元前1500年~前1450年とされている。

ミノア文明・クノッソス小宮殿遺跡・雄牛頭型リュトン杯 Bull-head Rhyton, Knossos Little Palace/©legend ej
クノッソス地区・小宮殿出土・雄牛頭型リュトン杯
新宮殿時代・紀元前1500年~前1450年
蛇紋岩(or 滑石)・角除く高さ206mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号1368
クレタ島・中央北部/1982年


クノッソス宮殿遺跡・南翼部・大型の複製・雄牛角U型オブジェ」

クノッソス宮殿遺跡の発掘者エヴァンズのコンクリート複製だが、宮殿・南翼部の復元された白色円柱と角柱が特徴の南プロピュライア(下の入口間)から、その東方に復元された《祭司王のフレスコ画》の壁面遺構との中間に、コンクリート複製の大型U型オブジェが置かれている。
エヴァンズの発掘時の復元では、この雄牛角を形容したコンクリート製品は、南プロピュライア(下の入口間)の上階に置かれていたが、その後、崩落の危険性を考慮したのか、現在の位置、行列フレスコ画の通廊と南テラース South Terrace との境界壁の遺構の上に移された。

クノッソス宮殿遺跡・西翼部・二階~南プロピュライア 2nd Floor of West-wing, Knossos Palace/Sir Arthur Evans
クノッソス宮殿遺跡・西翼部二階フロアー(復元)
・中央支柱広間~中央ロビー~南プロピュライア
・「下の入口間」上階=大型の雄牛角U型オブジェ
写真情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v.II (1928年)
Digital Library, Heidelberg U. (DE)

私が初めてクノッソス宮殿遺跡を訪ねた1982年では、U型オブジェの周辺には見学者用のロープ規制はなく、ツーリストはU部分に乗って記念写真を撮る風景もあった。しかし、重量もある大型のオブジェが置かれている境界壁の遺構自体も崩壊の危険性は否定できず、現在ではオブジェに接近できないようにやや離れた位置から写真を撮るロープ規制の対象区画となっている。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・U型オブジェ/©legend e
クノッソス宮殿遺跡・南翼部・雄牛角U型オブジェ
エヴァンズによるコンクリート複製
クレタ島・中央北部/1982年



クノッソス宮殿遺跡・王座の間付属・内部聖所出土・水晶製の《赤い雄牛》

クノッソス宮殿・西翼部の重要な区画、王座の間 Throne Room に付属した内部聖所 Inner Shrine から、エヴァンズは水晶の六角柱原石から剥離成形したガラス状の水晶薄板に描画された《赤い雄牛》を発見した。
わずかに淡い黄色系の水晶薄板の裏側に顔料で描かれた雄牛は、エーゲ海の色、エヴァンズが言うギリシア語「キアノス色 Kyanos Blue 」を背景として、上半身がやや上向き姿勢で走行しているように見える。王座の間の付属部屋という出土したスポットと貴重な水晶素材から判断するなら、このガラス製品は儀式・祭祀で使われたクノッソス宮殿の最重要な宝物品の一つであったかもしれない。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・内部聖所入口 Inner Shrine of Throne Room, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・王座の間・内部聖所
ドアーの奥部=内部聖所&付属部屋
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1982年

残存の水晶薄板は縦55mm・最大横幅35mmの変形長方形、雄牛の胴部~後脚部分は欠損している。エヴァンズと協力者の考古学美術家エミール・ジリエロン Émile Gilliéron は、この描画は雄牛の単純な走行姿勢を描いたものではなく、オリジナル絵はミノア青年による「雄牛跳び」の迫力シーンであった、と想定している。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・王座の間(内部聖所)・水晶薄板絵「雄牛跳び」Minoan Drawing Bull-leaping on Crystal-plaque, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・内部聖所出土・水晶薄板絵
赤色雄牛の頭部~胴部/「雄牛跳び」の一部?
新宮殿時代・紀元前1600年~前1450年
水晶薄板残存=縦55mm・最大横幅35mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号37
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・王座の間(内部聖所)・水晶薄板絵「雄牛跳び」Minoan Drawing Bull-leaping on Crystal-plaque, Knossos Palace/Sir Arthur Evans and E. Gillieron
クノッソス宮殿遺跡・王座の間(内部聖所)出土・水晶薄板絵 想像画
赤色雄牛&ミノア青年の「雄牛跳び」のシーン(想像)
描画情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v.III(1930年)
描画作者:考古学美術家 Émile Gilliéron



ザクロス宮殿遺跡出土・石製リュトン杯の雄牛角U型オブジェ

最東部のザクロス宮殿遺跡・西翼部の大広間 Great Hall から出土した、黒緑色の緑泥岩・クロライト製の「山頂聖所のリュトン杯」では、腹部表面には荘厳な山頂聖所に遊ぶ野生ヤギの群れ、雄牛角U型オブジェの上方を飛ぶ鳥などが精緻な浮彫加工で表現されている。
これは花を生ける単純な花瓶の類ではなく、明らかに豪華な広間に置かれた装飾用の、それも最高級のリュトン杯であった。残念ながら下半分は欠損しているが、元々口縁部と肩リングは金箔表装されていたとされる。

ミノア文明・ザクロス宮殿遺跡 Minoan Zakros Palace/©legend ej
ザクロス宮殿遺跡・北翼部~西翼部~中央中庭
クレタ島・最東部/1996年

ミノア文明・ザクロス宮殿遺跡・山頂聖所リュトン杯 Peak Sanctuary Rhyton, Zakros Palace/©legend ej
ザクロス宮殿遺跡・西翼部出土・石製リュトン杯
緑泥石製・「山頂聖所リュトン杯」/腹部直径140mm
・荘厳な山頂聖所&雄牛角U型オブジェに止まる鳥・飛ぶ鳥
・野生ヤギの群れ(聖所で休む・岩場を飛ぶ・岩場を登る)
イラクリオン考古学博物館・登録番号2764
クレタ島・最東部/描画:legend ej



アギア・トリアダ遺跡出土・石製リュトン杯の雄牛跳び

南西部・メッサラ平野のアギア・トリアダ遺跡 Agia Triada からは、滑石・ステアタイト製の《ボクサーのリュトン杯 Boxer Rhyton》が出土している。ハンドルを除き、細長い円錐型の容器は高さ465mm、その外表面には上下四つに段区分されたスペースに色々なスポーツ的なシーンが浮彫彫刻されている。

ミノア文明・アギア・トリアダ遺跡 Agia Triada/©legend ej
アギア・トリアダ遺跡
左側=市街地区域/右側=「準宮殿」の区域
クレタ島・メッサラ平野/1982年

ミノア文明・アギア・トリアダ遺跡・「ボクサー・リュトン杯」Boxer Rhyton, Agia Triada/©legend ej
アギア・トリアダ遺跡出土・滑石製《ボクサーのリュトン杯》
一段目=レスリング試合
二段目=雄牛飛びの刻み
三段目=ボクシング試合
四段目=ボクシング試合
イラクリオン考古学博物館・登録番号498/高さ465mm
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

四段区分の最上段のシーンはレスリングの試合、二段目は雄牛跳び、三段と四段目のシーンはヘルメット無しの男性とヘルメットを装着した男性のボクシング試合を表現している。下方のボクシング試合から名を取り、《ボクサーのリュトン杯》と呼ばれているこの石製容器は、「新宮殿時代」の最盛期、後期ミノア文明LMIA期、紀元前1550年~前1500年の作品である。



石製印章&粘土印影の「雄牛」&「雄牛跳び」

ミノア文明遺跡からの粘土印影・雄牛跳び

雄牛跳びなどを表現した粘土印影 Clay Seal Impression では、ミノア文明の統治と行政分野の解明に大きく貢献した「共通粘土印影」がある。
特に出土点数が多い雄牛跳びのシーンの粘土印影では、イラクリオン~西南西17kmの山間部、高貴な邸宅遺構のティリッソス遺跡 Tylissos から絶壁の迫る峡谷道路(イラクリオン=高原村アノージャ Anogia)を西方へ約10km、現地で「スクラヴォカンボス Sklavokambos」と呼ばれる、標高400mの谷間に開けた盆地状の場所に残る建物遺構からの出土が顕著である。

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡 Minoan House of Sklavokambos/©legend ej
スクラヴォカンボス遺跡・柱礎三基の中庭
クレタ島・中央北部/1994年

スクラヴォカンボスでは、1930年代、ギリシア考古学者マリナトス教授 S.N. Marinatos が発掘ミッションを行い、渓谷道路脇で20室を数えるミノアの邸宅遺構が確認され、金製リングで押印された雄牛跳びなどを表現する複数の印影が見つかった。雄牛跳びでは二種類あり、先ずは男性が雄牛の後方を飛ぶシーン、そして男性が前方を飛ぶシーンである。

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡&アギア・トリアダ遺跡・「雄牛跳び」の印影 Minoan Bull-leaping, Clay Seal Impression, Sklavokambos and Agia Triada/©legend ej
複数のミノア文明遺跡出土・《雄牛跳び》の共通粘土印影
印影=雄牛の後方に雄牛跳びのミノア青年
・中央北部・スクラヴォカンボス遺跡
・メッサラ平野・アギア・トリアダ遺跡
・東部・大規模町遺構のグルーニア遺跡
・最東部・エーゲ海岸ザクロス宮殿遺跡
印章=後期ミノア文明LMIB期・紀元前1450年頃
イラクリオン考古学博物館/横約31mm
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
描画:legend ej

ミノア文明・スクラヴォカンボス遺跡&アギア・トリアダ遺跡・「雄牛跳び」の印影 Minoan Bull-leaping, Clay Seal Impression, Sklavokambos and Agia Triada/©legend ej
複数のミノア文明遺跡出土・《雄牛跳び》の共通粘土印影
印影=雄牛の後頭部に雄牛跳びのミノア青年
・中央北部・スクラヴォカンボス遺跡
・メッサラ平野・アギア・トリアダ遺跡
・東部・大規模町遺構のグルーニア遺跡
印章=後期ミノア文明LMIB期・紀元前1450年頃
イラクリオン考古学博物館/横約31mm
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
描画:legend ej


これらの共通粘土印影では、スクラヴォカンボス遺跡以外の最東部のザクロス宮殿遺跡、メッサラ平野のアギア・トリアダ遺跡、東部地区のグルーニア遺跡から、一部の印影はクノッソス宮殿遺跡や遠く離れたエーゲ海サントリーニ島・アクロティーリ遺跡などからも、スクラヴォカンボスと同じ複数の金製印章で押印されたと確定できる、共通粘土印影が次々に見つかっている。

ミノア文明・グルーニア遺跡 Minoan Town, Gournia/©legend ej
グルーニア遺跡・南東区画
クレタ島・東部/1996年

キクラデス文化・サントリーニ島・アクロティーリ遺跡/©legend ej
アクロティーリ遺跡・北方~Δ地区
エーゲ海・サントリーニ島/1982年

この意味は、クノッソス宮殿から派遣された権限を持つ特定の監察官が、各地の宮殿や地方邸宅を巡回して、おそらくはクノッソス宮殿への租税(小麦・オリーブなど)の事前監査を行い、輸送前の収納箱や袋などを粘土封印する際、特定の金製リングで押印したと断定できる。これはミノア文明の高度な行政・財務管理システムを連想させる証拠と言える。

多くの粘土印影では、雄牛跳びは「一人」の人物が行っている。一方、クノッソス宮殿遺跡・西翼部・聖域の神殿宝庫からの印影では「二人」の男性が暴れる雄牛を相手に挑戦している。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・粘土印影「雄牛跳び」 Minoan Bull-leaping Seal Impression, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部出土・粘土印影
印影=男性二人による雄牛跳び・横15mm
印章=後期ミノア文明LMI期・紀元前1500年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号396
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


クノッソス宮殿遺跡・西翼部出土・粘土印影・雄牛角U型オブジェ

クノッソス宮殿遺跡・西翼部・聖域の発掘では、その印影のモチーフをして研究者から、「Mother Goddess」と呼ばれる粘土印影が、神殿宝庫周辺から少なくとも合計8点が見つかっている。ボロボロ状態でそれぞれ欠損があるが、印影を押したオリジナル印章は横29mm・縦19mmの楕円形(オーバル形状)であった。
印面の中央の丘には二頭のライオンの守護を受けた厚ぼったいスカート姿の女神が立ち、権威の象徴である王笏(装飾杖 おうしゃく)を掲げている。左側には複数の雄牛角U型オブジェで飾られた神殿 or 聖所、一方、右側には(欠損があり不明瞭だが)ロングヘアのミノアの青年が女神へ敬意を表している。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・神殿宝庫・粘土印影 Minoan Seal Impression, "Mother Goddess", Temple Repositories, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・西翼部出土・粘土印影《Mother Goddess》
印影=雄牛角の神殿~権威の女神&ライオン~敬意の青年
印章=後期ミノア文明LMII期・紀元前1400年頃/横29mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号141・166・168など
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



イソパタ遺跡・王家の墳墓出土・粘土印影の雄牛

クノッソス宮殿遺跡~北方2.8km、カイラトス川左岸(川~西方500m付近)、周囲よりわずかに標高がある丘に造られた、イソパタ遺跡 Isopata の「王家の墳墓 Royal Tomb」とされる遺構が確認された。イソパタでの発掘ミッションは、1904年、クノッソス宮殿遺跡の発掘者であるエヴァンズが担当した。

ミノア文明・イソパタ遺跡・王家の墳墓・プラン図 Plan of Minoan Royal Tomb, Isopata/©legend ej
イソパタ遺跡・「王家の墳墓」アウトラインプラン図
参考情報:サー・アーサー・エヴァンズ発掘レポート
The PALACE of MINOS at KNOSSOS v. IV(1935年)
Digital Library, Heidelberg U. (DE)
クレタ島・中央北部/作図:legend ej

王家の墳墓は歴史の中で盗掘が行われた結果、金銀財宝の出土品は無いに等しい結果であったが、切石組みの大型の墳墓からは、レンズ型の直径18.5mm、硬質な石製印章で押印された、雄牛の寝そべる姿と渦巻き線のある神殿?が刻まれている粘土印影・12点が見つかった。
埋葬室内で同じ表現の粘土印影が大量に見つかった意味は、王を初め王家親族の埋葬時、あるいはクノッソス宮殿での埋葬準備時に、宝飾品などを収納した少なくも12箱以上の木箱が、石製印章を持つ宮殿の葬儀担当者により封印され、遺体と共に副葬されたと無理なく想像できる。

当然、王家の墳墓に副葬された木箱には無数の金銀財宝・宝飾品が納められていたはずで、それらは盗掘者を大興奮・大満足させるに十分過ぎる非常に豪華な品々であった。また、この雄牛の粘土印影とまったく同じ印影が、王家の墳墓~南方1.8km、クノッソス宮殿遺跡~北方1km、ザフェール・パポウラ遺跡の二人が埋葬された横穴墓・56号墓からも出土している。

ミノア文明・イソパタ遺跡・「王家の墳墓」・雄牛の粘土印影  Minoan Bull Clay Seal Impression, Isopata/©legend ej
イソパタ遺跡・「王家の墳墓」出土・粘土印影
印影=寝そべる雄牛・渦巻き線の神殿?
印章=硬質石製・レンズ型・直径18.5mm
Ashmolean Museum, U. Oxford (UK)
登録番号AN1938-1082
※Sir Arthur John Evans 寄贈(1938年)
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



ザフェール・パポウラ遺跡出土・石製印章・ライオンと雄牛

雄牛を刻んだ石製印章では、クノッソス宮殿遺跡~北方1km付近、ザフェール・パポウラ遺跡の共同墓地・横穴墓・99号墓から、カーネリアン(赤玉髄)製の印章がある。
270cm四方・正方形の埋葬室には「家族三人」が埋葬されていたが、エジプト産スカラベ印章を初め、金製・象牙・水晶・滑石(ステアタイト)・青銅製など合計19点のネックレース・ビースも出土した。

円形(直径17mm~18mm)、カーネリアン製のビーズ形式の印章では、ミノアの印章で顕著に登場する典型的なシーン、印面下部のライオンが上部の逃げる雄牛の下腹部に噛み付いている表現である。

ミノア文明・ザフェール・パポウラ遺跡・カーネリアン製印章・「雄牛を襲うライオン」 Minoan Carnelian Seal, Bull attacked by Lion, Zafer Papoura/©legend ej
ザフェール・パポウラ遺跡出土・石製のビーズ型印章
印章=円形カーネリアン製・直径18mm
印面=逃げる雄牛を襲撃するライオン
イラクリオン考古学博物館・登録番号687
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


カタンバ遺跡出土・石製印章・ライオンと雄牛

クノッソス宮殿の「港」の一つ、イラクリオン市街の南東地区のカタンバ遺跡の岩盤を切削した岩窟墳墓Bからは、カーネリアン製の印章が出土した。
レンズ型の直径19mmの印面には、部分欠損があるが、ザフェール・パポウラ遺跡からの印章に共通するが、ライオンが雄牛の背にまたがり、頸部に噛み付いているシーンが刻まれている。製作は後期ミノア文明LMIIIA1期・紀元前1400年~前1375年とされる。

ミノア文明・カタンバ遺跡・石製の印章 Minoan Stone Seal, Lion attacks Bull, Katsamba/©legend ej
カタンバ遺跡・岩窟墓出土・石製の印章
印面=円形・カーネリアン製・雄牛を襲うライオン
イラクリオン考古学博物館・登録番号1598/直径19mm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



コウマサ遺跡出土・石製印章・雄牛角

南西部・メッサラ平野のコウマサ遺跡では、円形墳墓Aと墳墓Bを中心に、一部が円形墳墓Eと方形墳墓Γから、被葬者が身に着けていた約50点の印章が出土している。印章の素材の大半は軟質の滑石・ステアタイトが用いられ、そのほか緑泥岩、アメジスト(紫水晶)、さらに輸入されたカバの牙材、イノシシの牙材を初め動物の脚骨などである。

滑石・ステアタイト製のビーズ形式、長さ17mmの三面プリズム型の印章では、三面の印面には人が歩む姿、雄牛頭をアレンジした形容、さらに渦巻き線と植物の葉の形容などが刻まれている。これらはミノア文明の最も古い絵文字である《アルカネス文字体系 Archanes Formula》の可能性がある。

ミノア文明・コウマサ遺跡・三面プリズム型の石製印章 Minoan Stone Seal, Koumasa/©legend ej
コウマサ遺跡・円形墳墓A出土・石製の印章
三面プリズム型・《アルカネス文字体系》?
印面=歩む人・雄牛頭・渦巻き線/長さ17mm
中期ミノア文明MMI期~MMII期・紀元前1800年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号528
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej



フェストス宮殿遺跡・カリヴィア共同墓地出土・石製の印章の雄牛

メッサラ平野・フェストス宮殿遺跡~東北東1.3km、カリヴィア共同墓地の後期ミノア文明LMIIIA期・紀元前1400年~前1300年に遡るされる、横穴墓・1号墓からの円形のメノウ製の印章では、頭の向きは正反対だが、互いに上下対面する配置の雄牛二頭が刻まれている。
印面の一部は欠損しているが、結構、動的な感じの二頭の雄牛が、互いに頭部を突き合わせているイメージで表現したのかもしれない。
直径22mmのレンズ型のほぼ円形、硬質石材の印面に隙間なく彫刻した丁寧な加工技術からして、このメノウ製の印章の所有者(被葬者)はフェストス宮殿に関係する高位な男性であったと推測できる。

ミノア文明・フェストス宮殿遺跡・カリヴィア共同墓地・メノウ製の印章 Minoan Stone Seal, Phaestos-Kalivia/©legend ej
フェストス宮殿・カリヴィア共同墓地出土・メノウ製の印章
印面=部分欠損・円形・ 雄牛二頭・直径22mm
後期ミノア文明LMIIIA期・紀元前1400年~前1300年
イラクリオン考古学博物館・登録番号170
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

同じカリヴィア共同墓地の横穴墓・7号墓からはカーネリアン製の印象が出土した。横18mm・縦14mmの硬質素材、クッション形状の印面には、牛飼いであろう筋肉質で髭(ひげ)顔の男性が左膝を地面に付けて、飼育している雄牛の角に手をやり、「コミュニケーション」をとっている姿が刻まれいる。
表現モチーフが決して気取らないミノア人の日常生活の極普通の優しい情景であり、この赤色宝石の印章の所有者(被葬者)の人柄が連想できる遺品と言える

ミノア文明・フェストス宮殿遺跡・カリヴィア共同墓地・カーネリアン製の印章 Minoan Carnelian Seal, Phaestos-Kalivia/©legend ej
フェストス宮殿・カリヴィア共同墓地出土・カーネリアン製の印章
印面=クッション形状・牛飼い男性と雄牛
後期ミノア文明LMIIIA期・紀元前1400年~前1300年
イラクリオン考古学博物館・登録番号169/横18mm
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej



粘土印影&石製印章の「牛の授乳」シーン

クノッソス宮殿遺跡・西翼部・中央大階段の踊り場付近から、紀元前1375年頃、宮殿崩壊時に上階(二階~三階)から崩落したと断定できる粘土印影が見つかっている。横17mm、ほぼ円形、レンズ型のステアタイト製?のビーズ形式の印章で押印されたと推測できる、牛の授乳シーンが残されている。
大階段付近から、エヴァンズの発掘では複数の粘土印影が見つかっていることから、間違いなく宮殿・西翼部の上階には印章を押し、粘土封印した宝飾品など貴重品を収めた多くの木箱が置かれていたことを推測させる。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・中央大階段・牛の授乳の粘土印影 Minoan Clay Seal Impression, Breastfeeding, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・中央大階段「踊り場」出土・粘土印影
印章=軟質石材円形・横17mm・牛の授乳シーン
後期ミノア文明LMIIIA1期・紀元前1375年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号221
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


1915年、イラクリオンの東方、ニロウ・カーニ遺跡 Nirou Khani~東方2.5km、海岸グールネス地区 Gournes で実施された発掘ミッションでは、後期ミノア文明LMIII期の複数の墳墓が確認された。
紀元前1300年頃に属する横穴墓から、円形のカーネリアン製の印章が出土した。横19.5mm・縦19mm、レンズ型の印面にはミノア文明の牛の授乳シーンが刻まれている。

ミノア文明・グールネス遺跡・カーネリアン製印章・牛の授乳 Minoan Seal, Gurnes,/©legend ej
グールネス遺跡・カーネリアン製の印章
印面=レンズ型・ほぼ円形・牛の授乳シーン
後期ミノア文明LMIII期・紀元前1300年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号1249
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



宝飾品の「雄牛」&「雄牛跳び」

アルカネス遺跡出土・金製リング・《雄牛跳び》

エヴァンズの発掘レポート(1930年)で確認できるが、(ピンポイント場所=不明)アルカネス近郊の横穴墓の発掘では、ミノア文明の工芸モチーフの代表格である「雄牛跳び」を刻んだ金製リングが見つかっている。
かつて自身が館長を務めたエヴァンズが、オクスフォード大学 Ashmolean 博物館へ寄贈したとされる、横幅34mm・縦幅22mmのオーバル形、やや凸状の印面にインタリオ(凹)で刻まれた、極めて動的で迫力ある雄牛跳びのシーンでは、短めの巻き毛の青年が走る雄牛の背上で逆立ちする姿を捉えている。弓なりで腰巻姿の青年の両足は雄牛の尾を越えて風圧で雄牛の後方へ延び、右腕は雄牛の浮き出た肋骨(あばらぼね)付近、左腕は背骨に置かれている。

ミノア文明・アルカネス遺跡・金製リング「雄牛跳び」 Minoan Gold Ring of Bull-leaping. Archanes/©legend ej
アルカネス近郊・横穴墓出土・金製リング・《雄牛跳び》
後期ミノア文明LMII期・紀元前1450年~前1375年
Ashmolean Museum, U. Oxford (UK)
登録番号AN1896-1908-AE2237/横幅34mm
※Sir Arthur John Evans 寄贈
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



クノッソス地区・王家の墳墓 Temple Tomb 出土・金製リングの雄牛角U型オブジェ

クノッソス宮殿遺跡の南方、ジプサデスの丘 Gypsades の東斜面、王家の墳墓 Temple Tomb の遺構(正確にはその地表面)から、発掘者エヴァンズをして《ミノス王の金製リング Gold Ring of King Minos》と呼ばれる素晴らしい金製リングが見つかった。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡 周辺 Minoan Palace of Knossos/©legend ej
東方の丘~クノッソス宮殿遺跡&周辺の眺め
・撮影場所=標高140m/カイラトス川=標高70m付近
・宮殿区域=標高95m/アクロポリスの丘=標高170m
クレタ島・中央北部/1982年

ミノア文明・クノッソス地区・王家の墳墓・金製リング《Gold Ring of King Minos》Temple Tomb, Knossos Area/©legend ej
クノッソス地区・王家の墳墓 Temple Tomb 出土・金製リング
エヴァンズ=《Gold Ring of King Minos》と名称
新宮殿時代の初期~中期・紀元前1600年~前1450年
イラクリオン考古学博物館/重さ約30g
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

金製リングの楕円形(オーバル形状)の印面の左右に三分割聖所(神殿)があり、左神殿の枝葉を延ばした聖なる樹木に右手を置き振り向くような姿勢の大きな女神が、右神殿には聖なる雄牛角U型オブジェが飾られ、しゃがみ姿勢のやはり大きな女神が居る。
印面の中央には聖なる樹木が茂る山頂聖所が建ち、左斜面に二羽のハト(or 水鳥)が佇んでいる。聖なる枝葉に右手を置いた若い「祭祀王 Priest King」、あるいは「王子 Prince」など尊貴な人物、または活発な「ミノア青年」が今まさに、左手に携えたリュトン杯を山頂聖所に奉納しようとしている。
祭祀王(or 王子 or 青年)の下方は小波の立つ海か、雄牛角U型オブジェを積んだタツノオトシゴの上半身を形容したような舳先の舟を女神(or 上位階級の女性)が漕いでいる。一方、右上方には小さな刻みだが、天から別な女神が聖なるシーンを見守っている。

極めて微細で精緻加工が特徴の、この金製リングのモチーフは間違いなく「エピファニー表現 Epiphany scene」であり、極めて尊貴な人物と女神、聖なる樹木の山頂聖所と神殿、聖なる雄牛角U型オブジェや特徴ある高貴な舟など、非常に高尚にして厳粛な宗教的な情景を印面に隙間なく刻んでいる。表現内容からして王家に深く関わると連想でき、ミノア文明の宝飾品を代表するに相応しい見事な作品と言える。

女神の履く厚ぼったい感じのミノア風スカートからの判断では、この金製リングの製作はミノア文明が最も繁栄した「花ほとばしる新宮殿時代」の前半、中期ミノア文明MMIII期・紀元前1600年~後期ミノア文明LMI期・紀元前1450年と断定できる。



ギリシア本土・ヴァフィオ遺跡出土・金製カップ・雄牛

ミノア文明の雄牛のモチーフ表現ではギリシア本土ミケーネ文明へも大きな影響が及んでいた。ギリシア人考古学者 Ch. Tsuntas は、1889年、ペロポネソス・ラコニア地方、スパルタ近郊のヴァフィオ村 Vaphio で発掘ミッションを実施した。
ミケーネ様式のトロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb の発掘では、明らかにミノア文明の影響を受けた、あえて言えばクノッソス宮殿の金属工房で製作されたと確定できる、ミノア文明の象徴的なモチーフ・雄牛を表現した見事な金製カップが見つかった。

ミケーネ文明・ヴァフィオ遺跡・トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb, Vaphio/©legend ej
ヴァフィオ遺跡・ミケーネ様式トロス式墳墓
ミケーネ文明・後期ヘラディックLHIIA期
崩壊トロス部=直径10m(1982年)
ペロポネソス・ラコニア地方/描画:legend ej

トロス式墳墓の中心部の地中埋葬ピットから、対として二個見つかった金製カップの独特なハンドル形式とカップ形容は、その後、研究者から陶器や金属容器の器形モデル・「ヴァフィオ型カップ Vaphio Style Cup」と呼ばれ、広く考古学世界へ知られるようになる。
一つ目の金製カップの側面には暴れ狂う雄牛とロープで獲り抑えようとする、間違いなくミノアの若者を「動的」に、もう一つのカップには網で捕獲された雄牛の「静的」なシーンを精巧な打出し加工で表現している。

ミケーネ文明・ヴァフィオ遺跡・金製カップ Gold Vaphio Cup/©legend ej
ヴァフィオ遺跡出土・金製カップ
動的=激しく暴れ狂う雄牛/口縁径108mm
ミケーネ文明LHIIA期・紀元前1500年頃
アテネ国立考古学博物館・登録番号1758
ペロポネソス・ラコニア地方/1982年

ミケーネ文明・ヴァフィオ遺跡・金製カップ Gold Vaphio Cup/©legend ej
ヴァフィオ遺跡出土・金製カップ
静的=網で捕えられた雄牛/口縁径108mm
ミケーネ文明LHIIA期・紀元前1500年頃 アテネ国立考古学博物館・登録番号1759
ペロポネソス・ラコニア地方/1982年

二つの金製カップの製作は、ミノア文明が大繁栄した「花ほとばしる新宮殿時代」の半ば、後期ミノア文明LMIB期、ギリシア本土ではミケーネ文明の初期、後期ヘラディックLHIIA期に相当する時期、紀元前1500年頃である。

GPS ヴァフィオ遺跡: 37°01’13”N 22°28’04”E/標高195m


ギリシア本土・ミケーネ宮殿遺跡出土・金製宝飾品・ライオンの雄牛狩り

ギリシア本土の世界遺産ミケーネ宮殿遺跡では、1876年、「宝探しの考古学者」のシュリーマン J.H. Schliemann が、「アガメムノンの金製デスマスク」などが副葬された、円形墳墓Aの発掘ミッションを行った。
子供を含め男性・女性の成人、王族など合計19人の被葬者が眠る、内径25mの石板で円周された円形墳墓Aは、ミケーネ宮殿内部の硬い石灰岩の岩盤を深く掘り下げ、大小6か所の竪穴墓 Shaft Grave を設けた、他に例を見ない非常に独特な墳墓形式であった。

過去に未盗掘であったことから、シュリーマンの発掘により、円形墳墓Aからは「黄金のミケーネ」を象徴する大量の眩い金製&銀製の宝飾品・石製品・装飾短剣などが出土した。そのうちの一つ、六角宝飾箱の側面は「雄牛狩りのライオン」などを打出し加工した金製の薄板で表装されていた。

ミケーネ文明・ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・《アガメムノンの金製マスク》Agamemnon's Gold Mask, Grave Circle A, Mycenae Palace/©legend ej
ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A出土・《アガメムノンの金製マスク》
後期ヘラディックLHI期・紀元前1550年~前1500年
アテネ国立考古学博物館・登録番号624/高さ315mm
ペロポネソス・アルゴス地方/1987年

世界遺産/ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A Grave Circle A, Mycenae Palace/©legend ej
世界遺産/ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A
後期ヘラディックLHI期・紀元前1550年~前1500年
内径25m・竪穴墓6基・被葬者19人
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

ケーネ文明・ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・六角宝飾箱 Gold Pyxis, Mycenae Palace/©legend ej
ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A出土・金表装六角宝飾箱
雄牛狩りのライオン・渦巻き線の打出し表現
後期ヘラディックLHI期・紀元前1550年~前1500年
アテネ国立考古学博物館・登録番号808/811/高さ85mm
ペロポネソス・アルゴス地方/描画:legend ej


ギリシア本土・アイドニア遺跡出土・金製リング・雄牛角U型オブジェ

ギリシア本土の世界遺産ミケーネ宮殿遺跡~北西20km、古代クラシック文明遺跡が点在するネメア~西北西7km、人口350人の小村アイドニア Aidonia で確認されたミケーネ文明の共同墓地から出土した金製リングがある。
地元で「豚の(飼育)洞窟」と呼ばれる、軟質岩盤を掘削した横穴墓を中心に竪穴墓など合計27基のミケーネ文明の墳墓が確認された。ただ、数基を除き墳墓のほとんどは既に盗掘され、内部は考古学的な情報が得られないほど荒れた状態であったとされる。

ミケーネ文明・アイドニア遺跡/Google Earth
ミケーネ文明・アイドニア遺跡・共同墓地
ペロポネソス・コリンティア地方
地図情報:Google Earth⇒テキスト挿入

盗掘されていたとは言え、墳墓内部のピット墓は盗掘者達が見落としたことから、横穴墓・7号墓の床面下から四個の金リングを初め、ミケーネ文明の繁栄を連想できる豪華な宝飾品や陶器などの副葬品が出土した。

1996年、ギリシア政府へ返還された過去の盗掘品の二個の金製リングを含め、公的な発掘調査で見つかった四個の金製リングは《アイドニアの財宝 Aidonia Treasure》と呼ばれることになり、現在、ネメア考古学博物館 Nemea Archaeological Museum で展示公開が行われている。

盗掘品であった金製リングの一つでは、各々片手に花を持つ二人の女神が雄牛角U型オブジェの聖所(神殿)へ歩む姿が刻まれている。神的なシーンを刻んだ「エピファニー表現」に近似する金製リングのシーンは、明らかにクレタ島ミノア文明の影響を受けている、またはリングはミノア王からの献上品であったかもしれない。

ミケーネ文明・アイドニア遺跡・金製リング Mycenaean Gold Ring, Aidonia Treasure/©legend ej
ミケーネ文明・アイドニア遺跡出土・金製リング
《アイドニアの財宝》・マウント外周・アーム外周=宝石象嵌
印面=楕円形・雄牛角オブジェ・女神・パピルス・ユリの花
後期ヘラディック文明LHII期~LHIIIA期・紀元前1400年頃
ネメア考古学博物館・登録番号550/横20.3mm
ペロポネソス・コリンティア地方/描画:legend ej

GPS アイドニア遺跡: 37°50′25″N 22°34′59″E/標高355m


ミノア文明・キプロス文明遺跡からの出土・金製イヤリング・雄牛頭の形容

雄牛の頭部の形容をアレンジしたユニークな宝飾品では、女性用のイヤリングがある。雄牛の角部が内傾して耳に装着できる仕様、顔面などはミノア文明のお得意の「黄金の造粒技術・微細粒の装飾 Gold Granulation」が施されている。
この宝飾技法の作品では、クレタ島ミノア文明遺跡のみならず、東地中海・キプロス島の青銅器文明遺跡からも出土している。

ミノア文明・「黄金の造粒技術」Minoan Gold Granulation/©legend ej
ミノア文明・「黄金の造粒技術」・宝飾品
左:カラティアーナ遺跡出土・金製渦巻紋様・長さ10mm
イラクリオン考古学博物館/登録番号391
中:コウマサ遺跡出土・金製「ヒキガエル」形容・長さ11mm
イラクリオン考古学博物館/登録番号386
右:クレタ島出土・金製「雄牛頭部」形容・高さ34mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号553
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

キプロス島・エンコミ遺跡・金製イヤリング/イギリス・大英博物館
キプロス島(北キプロス)・エンコミ遺跡出土・金製イヤリング
写真情報:イギリス・大英博物館・Onlineデータ

GPS キプロス・エンコミ遺跡: 35°09’58”N 33°52’13”E/標高5m

キプロス島・マローニ遺跡・金製イヤリング/イギリス・大英博物館
キプロス島・マローニ遺跡出土・金製イヤリング
写真情報:イギリス・大英博物館・Onlineデータ



象牙加工品の「雄牛」&「雄牛跳び」

クノッソス宮殿遺跡・東翼部出土・象牙製の《雄牛跳びをする人》

エヴァンズの発掘では、クノッソス宮殿遺跡・東翼部、美しい吹抜け構造の列柱の間の南側、王妃の間付属・王妃のバスルームの北側に配置された、上階へ連絡する折返し階段付近から、やや腐食が進んでいたが象牙製の彫刻品が出土した。これが後に象牙製《雄牛跳びをする人 Bull-leaper/Bull-leaping》と呼ばれるアクティブな男性像である。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・「王家の生活区画」南西セクション・プラン図 Plan of Southwest section, Royal Apartment, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部
「王家の生活区画」一階・南西セクション・アウトラインプラン図
・列柱の間~両刃斧の間~宝庫~王妃の間コンプレックス
・排水路システム&「デーモン印章の区画」&竪坑堆積層
クレタ島・中央北部/作図:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・象牙製《雄牛跳び》Ivory Bull-leaping, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部出土・象牙彫刻品
《雄牛跳びをする人》・左手先~足先=245mm
中期ミノア文明MMIIB期・紀元前1700年~前1600年
イラクリオン考古学博物館・登録番号3
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

象牙製《雄牛跳びをする人》は、クノッソス宮殿遺跡で見つかったほかの多くの出土品より幾分古い時代に属する作品の一つ、中期ミノア文明MMIIB期・紀元前1700年~前1600年、「旧宮殿時代」の後期に遡ると推定されている。
故に西翼部・聖域・神殿宝庫から出土した「旧宮殿時代」の末期~「新宮殿時代」の初期に遡るファイアンス製《蛇の女神像 Snake Goddess》の製作より、この象牙像の方が少し早い時期に作られたことになる。

折返し階段は木製であったとされ、これをエヴァンズは「業務用階段 Service Staircase」と呼び、《雄牛跳びをする人》のほか、ミノア文明を代表する象牙製品、さらに陶器や青銅製品、18点を数える粘土印影などが出土した。
特に少なくとも五点を数えるライオン頭の人間似の「怪獣 or 精霊」の粘土印影の出土から、エヴァンズはこの階段周辺を「デーモン印章の区画 Daemon Seal Area」と呼んだ。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・粘土印影「デーモン印章」 Minoan Daemon-Clay Seal Impression, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部出土・粘土印影
「デーモン印影」=二頭の怪獣・精霊&人の脚部二本
印章=軟質石材(ステアタイト?)円形・直径18mm
後期ミノア文明LMIIIA1期・紀元前1400年頃
Ashmolean Museum (UK) 登録番号AN1938-1046
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



カタンバ遺跡出土・象牙宝飾品・雄牛狩り

クノッソス宮殿の「港」の一つ、イラクリオン市街の南東地区のカタンバ遺跡からの重要な出土品の一つ、中東地域から素材輸入された貴重な象牙加工の円筒型容器(宝石箱)がある。象牙を輪切りして、内部を中ぐり加工、外周面に彫刻を施した上質な作品である。
上空に鳥が飛び、周囲はヤシの木が生える険しい崖下のような場所、雄牛を捉えようと男性三人の「雄牛ハンター」が、荒れ狂う雄牛に果敢に挑むシーンが刻まれている。一人のハンターは雄牛の角の上部に逆さま状態でしがみ付き、地上の二人のうち一人は長槍で雄牛をけん制、さらに一人は危険からやや逃げ腰の姿である。
象牙容器の製作は「新宮殿時代」の後半、後期ミノア文明LMII期~LMIIIA1期・紀元前1450年~前1350年とされる。

ミノア文明・カタンバ遺跡・象牙製の円筒容器 Minoan Ivory Pyxis with Bull-hunting seen, Katsamba/©legend ej
カタンバ遺跡出土・象牙製の円筒容器(宝石箱)
男性三人・「雄牛狩り」のシーン
紀元前1450年~前1350年
イラクリオン考古学博物館・登録番号345
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



プラタノス遺跡出土・動物骨製の印章・牛の形容

ミノア文明では、海外交易を通じて東方のエジプトや中東地域との関わりが顕著であり、クレタ島では存在しない貴重な素材である象牙やサイの牙材などの輸入が行われていた。象牙製品の高級品は宮殿などの宝飾品として加工されたが、庶民が使う汎用品ではアフリカ系の動物やシーンを刻んだ印章にも特徴的な作品が多い。

南西部・メッサラ平野のプラタノス遺跡の円形墳墓Aからは、小型の石製容器のほか、24個を数える石製・象牙・動物の脚骨製の印章が出土している。石製印章の素材にはほとんど滑石・ステアタイトが使われていた。象牙系ではゾウの象牙のほか、カバの牙や動物の脚骨を素材とした印章も出土している。
その内、動物の骨(象牙?)製の印章では寝そべっている牛の外観、底面が印面となる穴付きスタンプ形式である。横30mm・幅24mmの長方形の印面は渦巻き線の装飾で縁取られ、ライオンのような形容、おそらくヒヒと思われる四つ足の動物二頭が歩行しているシーンが刻まれている。交流があったエジプトの影響が生活の中へも浸透していたと思われる。

ミノア文明・プラタノス遺跡・円形墳墓A&B Messara Style Circular Tomb, Platanos/©legend ej
プラタノス遺跡・メッサラ様式の円形墳墓A
墳墓Aの向こう側=円形墳墓B
クレタ島・メッサラ平野/1982年

ミノア文明・プラタノス遺跡・動物骨(象牙?)印章 牛形容 Minoan Bull shaped Lion Ivory Seal, Platanos/©legend ej
プラタノス遺跡・円形墳墓A出土・動物骨(象牙?)製の印章
外観=寝そべりの牛/印面=渦巻き線&ヒヒ(ライオン?)
初期ミノア文明EMIII期・紀元前2200年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号1044/横30mm
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej


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