2020/01/10

ミノア文明・「黄金の造粒技術・微細粒の装飾」 Gold Granulation


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マーリア遺跡・共同墓地からの「最高傑作の金製宝飾品」

ミノア文明の大規模な遺構、マーリア宮殿遺跡 Malia Palace はイラクリオン~東方35km、人気のリゾート・アギオス・ニコラオス~北西25km、クレタ島北海岸から最短で550m内陸の平坦な地形の場所に展開している。

クレタ島・中央北部・ミノア文明・遺跡 地図 Map of Minoan Sites, North-Central Crete/©legend ej
クレタ島・中央北部・ミノア文明・遺跡 地図
作図:legend ej

1915年、考古学者ジョセフ・ハジタギス J. Hazzidakis により、マーリア宮殿の建物遺構の一部が発見され、その後、本格的な発掘調査が開始された。1922年、在アテネ・フランス考古学チームが発掘ミッションを引き継ぎ、以降、継続的にマーリア広域遺跡の発掘を担当して来た。このため、この宮殿遺跡はフランスからのサマーツーリストが多いことでも知られている。

ミノア文明&ミケーネ文明 編年表/©legend ej
クレタ島ミノア文明&ギリシア本土ミケーネ文明 編年表
・ミノア文明・「旧宮殿時代」: 紀元前1900年~前1625年
・ミノア文明・「新宮殿時代」: 紀元前1625年~前1375年
ミケーネ文明(時代):  後期ヘラディック文明 LH期
作図:legend ej


GPS マーリア宮殿遺跡: 35°17’35”N 25°29’35”E/標高15m

ミノア文明・マーリア宮殿遺跡 Minoan Pillar Room, Malia Palace/©legend ej
マーリア宮殿遺跡・西翼部・支柱礼拝室
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1982年


金製《ミツバチ・ペンダント》

マーリアの広域遺跡では宮殿区域のほか、宮殿遺構~最短550mのエーゲ海岸までの間に市民が居住した「市街・アゴラ Agora」などの大規模な町遺構が発掘されている。発掘は現在も進行中で、5年単位ほどの間隔で新たな市街地の遺構が確認され、フランス考古学チームにより発掘レポートが公表され、遺構の整備・公開が行われている。

宮殿区域~北方550m(市街区域~400m)離れたポイント、海岸から150m付近では「クリィソラッコス Chrysolakkos」と呼ばれる、ミノア文明の共同墓地遺跡が見つかっている。

GPS クリィソラッコス共同墓地遺跡: 35°17’53.50”N 25°29’37”E/標高10m

ミノア文明・マーリア宮殿&市街地 地図/©legend ej
マーリア宮殿遺跡&周辺 地図
クレタ島・中央北部/作図:legend ej

共同墓地からは、かつて首都アテネ Athens の沖のサロニコス湾・アエギナ島のミケーネ文明遺跡から発見され、イギリス・大英博物館 British Museum が所蔵する有名な「アエギナの財宝 Aegina Treasure」に関連するとも言われた、金製《ミツバチ・ペンダント Bee-Pendant》が出土している。
1921年の発掘調査で見つかったこの金製ペンダントが作られた時期は、中期ミノア文明MMIIA期、「旧宮殿時代」の半ば、紀元前1800年~前1700年頃とされている。

研究者から「ミノア文明の最高傑作の金製宝飾品」の一つと言われている、二匹のミツバチが向かい合う形容の金製ペンダントの羽を初め、腹部や眼の周囲、そして集めた花粉玉などは精巧な金の微細粒、無数のビーズ(小球)装飾が施されている。この繊細・精緻な宝飾技法は「黄金の造粒技術 Gold Granulation」と呼ばれている。

ミノア文明・マーリア遺跡・金製「ミツバチ・ペンダント」Gold Bee-Pendant, Malia, Crete/©legend ej
マーリア遺跡・共同墓地出土・金製《ミツバチ・ペンダント》
「黄金の造粒技術 Gold Granulation」の最高作品
イラクリオン考古学博物館・登録番号559/高さ46mm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

黄金の造粒技術・微細粒の装飾 Gold Granulation

マーリア遺跡からのミツバチ・ペンダントを印象付けている「黄金の造粒技術&微細粒の装飾」の技法は、 紀元前3500年頃、中東チグリス・ユーフラテス川流域のバビロニア地方で都市文明を成立させたシュメール人が起源とされ、その後、東方パレスチナ方面からクレタ島ミノア文明へ伝播された高度な装飾技術である。

金の微細粒・小球ビーズを作る工程・「造粒技術」では、先ず可能な限り薄い金シートを作り、狭幅にカット、それを微細な方形にカットする。その微細片を互いに接触させずに加熱・融解してビーズを作り、サイズ区分けをする。切断した金シート幅と方形の大きさが金の微細粒、ビーズの大きさを左右する。
あるいは金の細線を細かにカットしてペレットを作り、同様に加熱・融解でビーズを作る方法、さらに目の粗い現代の「ヤスリ」や「おろし金」のような器具で柔らかな金インゴットを削り、砂粒状のランダムな削り片を同様に加熱・融解してビーズ化することもできた。

現代の溶接技法
同種・異種の金属やプラスチックやセラミック材などを接合する現代の溶接技法では、母材と溶加材を加熱・溶解して接合する「融接法」、あるいは金属の接合部に機械的な摩擦と圧力を掛ける「圧接法」、そして母材同士、または母材と部材を加熱・溶解せずに、隙間を低融点の溶加材で接合する「ろう接法」がある。
母材を加熱しないで溶解した低温の溶加材で接合する「ろう接法」では、現代で言えば、溶加材の融点が450℃以下で行う技法を「はんだ付け」、そして450℃以上のやや高温で行う技法を「ろう付け」と呼ぶ。いずれも接触面の隙間に流し込んだ、浸透拡散した溶加材(接着材)の溶融・冷却・凝固作用を利用した接合法である。

主な金属の融解温度(融点)
鉄 1,536℃  銅 1,084.5℃  金 1,064℃  銀 962℃  鉛 327.5℃  錫 232℃  プラチナ 1,769℃  青銅(主成分 銅+錫)700℃~1,000℃

高純度の金の抽出・「灰吹法」
金や銀など鉱石に含まれる貴金属の量は極めて少なく、通常、硫化物の状態で鉱物に含まれている。貴金属硫化物を含む鉱石と方鉛鉱、または方鉛鉱から抽出した鉛を高温で一緒に溶解すると、金属は溶け合って「貴鉛」と呼ばれる合金が生成される。
「貴鉛」と動物の骨灰や松葉灰や酸化マグネシウムなどを一緒に高温溶解した場合、鉛は酸素と反応して表面張力の低い酸化鉛となり灰の中へしみ込み、一方、表面張力の高い金や銀などの貴金属は酸化せずに「灰吹銀」と呼ばれる粒状金属となり分離される。
取り出した粒状の「灰吹銀」から金への純度精錬では、再び鉛と硫黄を加え、鉛と銀の化合物である硫化銀を生成させ分離して、残った高純度の金を取り出すという、手間のかかる錬金技法が「灰吹法」と呼ばれ、先史・古代の時代から行われて来た。

先史の時代、貴金属、特に金と銀の微細粒・ビーズを宝飾品の表面に付着させる「微細粒の装飾技法」では、「ろう接法」とその応用技法が採用された。「ろう接法」では、特に銀と添加物を溶加材として使うなど、450℃以上のやや高温で行う技法の「ろう付け」が行われた。
また、薄い金シートからカットされた薄片や細かなペレットを加熱・融解して造粒する工程で、木の炭を付加することで出来た金の微細粒・ビーズの表面には、炭素や酸化物の薄い皮膜が形成される。

母材となる金製宝飾品の表面に金の微細粒・ビーズを連続的に並べ加熱する時、金と酸化物の液相線温度(固相から液相へ変化する時に平衡を保つ温度)に達した時、溶融が起こり、金の微細粒・ビーズと母材や隣り合う微細粒の表面がわずかに溶融して接合される。
工房職人に高度な集中力が求められるこの精緻な宝飾細工は、極めてデリケートな作業であった。熱伝導率が高い金や銀は加熱温度に敏感であり、加熱不足なら接合へ至らず、反面、わずかでも過剰加熱なら微細粒・ビーズのみならず、母材の宝飾品自体も変形や溶解を起こし、細工が「失敗」してしまう恐れがあった。

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「黄金の造粒技術」のほかの作品

クノッソス宮殿遺跡・「アヒル」形容の金製宝飾品

マーリア遺跡出土の金製の「ミツバチ・ペンダント」より微細粒・ビーズの数は少ないが、ミノア文明の最大センターのクノッソス宮殿遺跡・東翼部、王の居室コンプレックスの北側の東階段通路(東西通廊)から出土した、静かな表情の「アヒル」の胴体~羽部分~尾にかけて、「黄金の造粒技術」を活かした微細粒の装飾を見ることができる。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・金製「アヒル」宝飾品 Gold Granulation, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部出土・金製「アヒル」の宝飾品
イラクリオン考古学博物館・登録番号123/長さ26mm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


また、造粒技術ではないが、クノッソス地区の墳墓からは海洋民族らしく、「」を形容した小型の金製宝飾品が出土している。おそらく地中海の魚・ヨーロッパキダイ(黄鯛)からモチーフヒントを得て、ペンダントトップとして作られたと思われる。

ミノア文明・クノッソス地区墳墓・金製宝飾品・ペンダント?「魚」Gold Fish for Pendant, near Knossos/©legend ej
クノッソス地区・共同墳墓出土・金製「魚」形容の宝飾品
イラクリオン考古学博物館・登録番号125/長さ約11mm
クレタ島・中央北部/描画:legend ej



コウマサ遺跡・「ヒキガエル」形容の金製宝飾品

ミノア文明の「黄金の造粒技術」で作られた宝飾品では、マーリア遺跡のミツバチ・ペンダントやクノッソス宮殿遺跡からのアヒルのほか、クレタ島南西部・メッサラ平野のコウマサ遺跡の共同墳墓から出土した、「ヒキガエル」を形取った小型の金製宝飾品なども知られている。

クレタ島南西部・メッサラ平野・ミノア文明・遺跡 地図 Map of Minoan Archaeological Sites at Messara/©legend ej
クレタ島南西部・メッサラ平野・ミノア文明・遺跡 地図
作図:legend ej

ミノア文明・コウマサ遺跡・円形墳墓群 Koumasa/©legend ej
コウマサ遺跡・墳墓群
左側=円形墳墓B/中央=円形墳墓E
遠方=クレタ島最高峰 標高2,456m 聖なるイダ山系
クレタ島・メッサラ平野/1994年

ミノア文明・「黄金の造粒技術」Minoan Gold Granulation/©legend ej
ミノア文明・「黄金の造粒技術」・宝飾品
左:カラティアーナ遺跡出土・金製渦巻紋様・長さ10mm
イラクリオン考古学博物館/登録番号391
中:コウマサ遺跡出土・金製「ヒキガエル」形容・長さ11mm
イラクリオン考古学博物館/登録番号386
右:クレタ島出土・金製「雄牛頭部」形容・高さ34mm
イラクリオン考古学博物館・登録番号553
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

GPS カラティアーナ遺跡: 35°06′10″N 24°55′52″E/標高450m
GPS コウマサ遺跡: 34°59’00”N 25°00’47”E/標高360m


「新メッサラ考古学博物館」開館
ゴルティス遺跡~西南西1km、フェストス宮殿遺跡~東北東11km、幹線道路N97号脇、2020年、「新メッサラ考古学博物館 New Archaeological Museum of Messara」が開館した。

GPS 新メッサラ考古学博物館: 35°03′36″N 24°56′16″E/標高160m

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「線状細工(細線加工)」の技法

上述描画(左)・カラティアーナ遺跡の金製宝飾品は、中心に約2.5mmの通し穴があり、両端の摩耗・変形の突起痕からおそらくペンダント、またはネックレースのビーズの一つとして使われていたと考えられる。

母材の表面を装飾する渦巻線は細い金線を造粒技術と同じ技法で付着させたもので、この技法を「線状細工 Filigree(細線加工)」と呼ぶ。
造粒の技法とはやや異なり、線状細工では母材と用いる細線全体の接触面は広がり剥離の心配は少ないが、細線を母材表面に平均的に付着させる難しさがある。


プライソス遺跡・金製リング

東部地区、シティア~南南西9.5km、ザクロス宮殿遺跡~西方17km、新石器文化~ミノア文明~クラシック文明~8世紀頃まで居住が継続されたプライソス居住地 Praisos/Praesus がある。居住が長期間行われたことから、プライソス遺跡の範囲は東西約2km、三か所の丘を中心に色々な時代の遺構が点在する。

ミノア文明の「新宮殿時代」より後に属するが、プライソス遺跡の墳墓から出土した金製リングは、最初に線状細工で母材に固定された渦巻線と「S字カーブ」の細線に沿って、全面に約430粒の黄金の微細粒・ビーズで装飾されている。製作には工房職人の集中力と細心の技巧が求められる作品と言える。

ミノア文明・プライソス遺跡・金製リング Gold Ring, Praisos/©legend ej
プライソス遺跡・墳墓出土・金製リング
イラクリオン考古学博物館・登録番号765
クレタ島・東部/描画:legend ej

GPS プライソス遺跡・ミノア様式邸宅: 34°07’30”N 26°04’27”E/標高240m
   遺構: 東西約2kmの範囲 三か所の丘を中心に点在する


クレタ島・「雄牛頭部」形容の金製イヤリング

「黄金の造粒技術」のそのほかの出土例では、クレタ島ミノア文明の遺跡から複数の金製イヤリングが出土している(上述描画・右)。
非常に精緻に加工された金の微細粒・ビーズを使ったこの種のイヤリングのモチーフは、ミノア文明の「パワー」の象徴である雄牛をイメージしている。先端を細くした角部のカーブを利用して耳たぶにセットされ、微細粒が散りばめられた見事な垂れ下がり部分は、雄牛の頭と顔を形容している。
また、登録番号553・金製イヤリングの対として、同じ発掘スポットから角部先端が閉じた同じデザインのイヤリング(登録番号544)も同時に発見されている。

ミノア文明・クノッソス小宮殿遺跡・雄牛頭型リュトン杯 Bull-head Rhyton, Knossos Little Palace/©legend ej
クノッソス小宮殿遺跡出土・雄牛頭型リュトン杯
「新宮殿時代」・紀元前1500年~前1450年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号1368
クレタ島・中央北部/1982年



アルカネス遺跡・墳墓出土・ネックレース用金製ビーズ

クノッソス宮殿遺跡~南方7km、ミノア文明の重要な居住地・アルカネス遺跡のフォウルニ共同墓地 Fourni から出土したカーネリアン(紅玉髄)のネックレースの一部に金製ビーズがあり、わずかだが造粒技術の微細粒の装飾が確認できる。

ミノア文明・アルカネス遺跡・金製ビーズとカーネリアンのネックレース Minoan Gold and Carnelian Necklace, Archanes/©legend ej
アルカネス遺跡・共同墓地出土・カーネリアン・ネックレース
金製部分=「黄金の造粒技術」の装飾
イラクリオン考古学博物館・登録番号2268
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

造粒技術の範疇ではないが、豪華な出土品があったアルカネス遺跡を初め、ミノア文明センターのクノッソス宮殿の周辺の墓地&墳墓遺跡、あるいはメッサラ平野のアギア・トリアダ遺跡などから、高位の女性達が身に着けていた色々な宝飾品がもたらされた。
特に金製ネックレースのモチーフとしては、自然主義を貫いたミノアの人々は身近な植物や動物の形容をアレンジして、石製の「型(モールド)」を用いて、均一パターンのビーズ製品を量産した。

ミノア文明・アルカネス遺跡・トロス式墳墓Γ・緑色ジャスパー&金製ネックレース Minoan Gold Necklace with Green-jasper, Archanes/©legend ej
アルカネス遺跡・トロス式墳墓Γ出土・金製ネックレース
緑色ジャスパー・象牙ビーズ
紀元前2200年~前2000年
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・中央北部/描画:legend ej


ミノア文明・金製ネックレース・モチーフ例 Minoan Motif of Gold Necklace/©legend ej
ミノア文明・金製ネックレース・モチーフ例
上=パピルスの花/中=ツタの葉/下=アオイガイ(タコ属)
石製型(モールド)を使い均一的に量産された
描画:legend ej

ミノア文明の金製宝飾品・ネックレース・ビーズ
宮殿王家の関係者が埋葬されたイソパタ遺跡・「王家の墳墓」やザフェール・パポウラ遺跡の共同墓地などから出土する金製ネックレースのビーズでは、パピルスの花を初めツタの葉、ユリの花、そしてアオイガイなどを形容したものが多い。
これらは石製の「型(モールド)」を使って、現代の「ダイキャスト加圧鋳造」や「砂型鋳造」と同じ、型の端面に刻んだ注ぎ口から溶融した金を流し込み、型(製品となるキャビティ空間)に金を充填させる方法で量産された。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・金製宝飾品の石製「型」 Stone Mold for making Gold Jewelry, Knossos Palace/Ashmolean Museum
クノッソス宮殿遺跡・工房区画出土・石製の「型」
金製ネックレース・ビーズ量産=パピルス・ユリの花・貝の「8の字」
滑石(ステアタイト)・横110mm/裏面=女神・ユリの花など
Ashmolean Museum, U. Oxford (UK)登録番号AN1910-522
※Sir Arthur John Evans 寄贈(1910年)

ミノア文明・パライカストロ遺跡・金製宝飾品用の石製型(モールド)Minoan Stone Mold for processing Gold Jewelry Goods, Palaikastro/©legend ej
パライカストロ遺跡出土・金製宝飾品用の石製の「型」
片岩製/表面=大小サイズ両刃斧・裏面=両刃斧を持つ女神
金製宝飾品の鋳造法/モールド&溶融金材料の注湯&完成品
イラクリオン考古学博物館・登録番号116/横幅225mm
クレタ島・最東部/描画:legend ej

キプロス島・エンコミ遺跡&マローニ遺跡からの造粒技術・金製イヤリング

「黄金の造粒技術」のイヤリングでは、19世紀末の1897年、遠く東地中海のキプロス島東部・エンコミ都市遺跡 Enkomi の墳墓から出土した、イギリス・大英博物館所蔵の金製イヤリングがある。
そのほか、この種の金製イヤリングはキプロス島中央南部・世界遺産・新石器文化のキロキティア遺跡 Khyrokitia~南南東5kmのマローニ遺跡 Maroni からも出土している。

キプロス島・新石器文化~青銅器文明・遺跡 地図/©legend ej
キプロス島・新石器文化~青銅器文明 遺跡 地図
作図:legend ej

キプロス島・エンコミ遺跡・金製イヤリング/イギリス・大英博物館
キプロス島(北キプロス)・エンコミ遺跡出土・金製イヤリング
写真情報:イギリス・大英博物館・Onlineデータ

GPS キプロス・エンコミ遺跡: 35°09’58”N 33°52’13”E/標高5m

キプロス島・マローニ遺跡・金製イヤリング/イギリス・大英博物館
キプロス島・マローニ遺跡出土・金製イヤリング
写真情報:イギリス・大英博物館・Onlineデータ

視覚的にはエンコミ遺跡のイヤリングの角下に渦巻線で「耳」を付けたデザインが、マローニ遺跡からのイヤリングと言える。高さこそ異なるが、耳部の装飾を除けば両者はまったく同じデザインである。
キプロス島はエジプトとクレタ島などエーゲ海域の丁度中間点、先史の時代から中継交易が盛んであったはず。さらに青銅器文明ではキプロス島で産出する銅は、エジプトやクレタ島を含め東地中海域の隅々まで交易舟で運ばれた。
エンコミ遺跡はキプロス島の東部海岸、一方マローニ遺跡は南岸の平地、双方の距離は直線で約65km離れている。当然のことだが、共に海岸エリアで繁栄したエンコミとマローニ居住地との間には交易舟を介して密な交流があり、宝飾品のデザインに共通点があっても不思議ではない。


ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A・金製イヤリング

ギリシア本土ミケーネ文明の作品では、ペロポネソス・アルゴス地方の世界遺産・ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓Aから出土した非常に美しい金製イヤリングがある。このイヤリングの内縁周の装飾に「黄金の造粒技術」が応用されている。イヤリングは女性用、通常、墳墓遺跡から女性被葬者と共に対(2個)として出土する。

ミケーネ文明・ミケーネ宮殿遺跡・「円形墳墓A」出土・金製イヤリング Mycenae Gold Earrings, Mycenae Palace/©legend ej
ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A出土・金製イヤリング
後期ヘラディック文明LHI期・紀元前1550年~前1500年頃
アテネ国立考古学博物館・登録番号61・外幅76mm
ペロポネソス・アルゴス地方/描画:legend ej

世界遺産/ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓 A Grave Circle A, Mycenae Palace/©legend ej
世界遺産/ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

GPS ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A: 34°43’49.50 N 22°45’23”E/標高240m


ミケーネ文明・アイドニア遺跡・金製リング

ギリシア本土ミケーネ宮殿遺跡~北西20km、古代クラシック文明遺跡が点在するネメア~西北西7km、人口350人の小村アイドニア Aidonia で確認されたミケーネ文明の共同墳墓から出土した金製リングがある。
1970年代の初め、アイドニア村~東方450mの共同墓地遺跡では、地元民による盗掘が横行してほとんどの墳墓が荒らされてしまった。しかし、その後の公的な発掘ミッションでは、墳墓内の床面下が未盗掘の横穴墓・7号墓から素晴らしい金製リングが四個発見された。これらの宝飾品は《アイドニアの財宝 Aidonia Treasure》と呼ばれている。

そのうちの一つ、横幅25mmの楕円形(オーバル形状)の金製リングの印面には、クレタ島ミノア文明で見られる典型的な厚ぼったいスカートを履いた高位身分の三人の女性が、手に花か苗を持ち神殿へ歩んでいるシーンが刻まれている。岩丘の神殿にはミノア文明のような雄牛角U型オブジェはなく、大きな聖なる樹木が生えている。
押し潰された形容で発見されたため、金製リングのアーム(輪部分)は部分破断で変形しているが、その外周には「黄金の造粒技術」の微細物の装飾が施されている。金製リングの製作はミケーネ文明=後期ヘラディック文明LHI期~LHII期・紀元前1500年頃とされる。

ミケーネ文明・アイドニア遺跡・金製リング・黄金の造粒技術 Mycenaean Gold Ring with Gold Granulation, Aidonia Treasure/©legend ej
ミケーネ文明・アイドニア遺跡出土・金製リング
《アイドニアの財宝》・「黄金の造粒技術」
花を持つ三人の女性・神殿・聖なる樹木
後期ヘラディック文明LHI期~LHII期・紀元前1500年頃
ネメア考古学博物館・登録番号549/横25mm
ペロポネソス・コリンティア地方/描画:legend ej

GPS アイドニア遺跡: 37°50′25″N 22°34′59″E/標高355m

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