2022/03/26

ミケーネ文明・宮殿建築様式・「メガロン形式」 Megaron Complex


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ミケーネ文明・宮殿建築様式・「メガロン形式」の配置

ギリシア本土のペロポネソス地方を中心としたミケーネ文明の時代、王は宮殿に居住して、その強力なパワーを発揮、実務を遂行し国の安泰への責任を果たしていた。統治者の執務室である王の居室とその周辺区画の配置方法では、ミケーネ人の独特な宮殿建築様式が伝統化されていた。

ミケーネ時代の宮殿建築で最も重要な部屋は「王の居室 Throne room」である。その周辺の配置では、先ず「控えの間/入口&ポーチ Portico」と呼ばれる円柱で出口が開放された空間があり、次に「前の間 Vestibule」、最も奥まった位置に「王の居室」が連続して配置されていた。

この「三部屋続き」の配置方法を「メガロン形式 Megaron Complex」と呼ぶ。「メガロン形式」の起源はミケーネ文明の半ば・後期ヘラディックLHIIIA期が始まる時期、紀元前1400年頃とされている。

エーゲ海域・主要遺跡 地図 Map of Major Archaeological Sites, Aegean Sea/©legend ej
エーゲ海域・主要遺跡 地図
作図:legend ej

ミケーネ文明・ペロポネソス地方・宮殿遺跡 地図/©legend ej
ペロポネソス地方・ミケーネ文明・宮殿遺跡 地図
作図:legend ej

ミノア文明&ミケーネ文明 編年表/©legend ej
クレタ島ミノア文明&ギリシア本土ミケーネ文明 編年表
・ミノア文明・「旧宮殿時代」: 紀元前1900年~前1625年
・ミノア文明・「新宮殿時代」: 紀元前1625年~前1375年
ミケーネ文明(時代):  後期ヘラディック文明 LH期
作図:legend ej


ミケーネ文明・「メガロン形式」の宮殿&邸宅遺跡

王の居室とその周辺に「メガロン形式」を残すミケーネ文明の宮殿遺跡では、先ずアルゴス地方の世界遺産ミケーネ宮殿 Mycenae Palace を初め、ミケーネ宮殿~南南東15kmの世界遺産ティリンス宮殿 Tiryns Palace、さらに「トロイ戦争」で知られたネストル将軍の本拠地、南西ギリシア・メッセニア地方のネストル宮殿 Nestor's Palace が挙げられる。

下作図はミケーネ文明の三宮殿の「メガロン形式」の配置比較である。ネストル宮殿とミケーネ宮殿はほぼ同じような配置仕様だが、ミケーネ宮殿のそれはやや小さい。また、ティリンス宮殿の奥行きはネストル宮殿とミケーネ宮殿に比べ少しだけ「細長い」ことが分かる。

部屋の配置では、図の下部が二本円柱の入口・「控えの間」、次が「前の間」、そして図の上部が「王の居室」となり、王の居室には王座と四本円柱と「聖なる炉」が設けられていた。

ミケーネ文明・宮殿建築様式・「メガロン形式」 Mycenaean Megaron Complex/©legend ej
ミケーネ文明・宮殿建築様式・「メガロン形式」
三宮殿の配置仕様 比較
作図=legend ej
※学芸出版社発行書籍(著者代表 藤本和男)「住空間計画学」掲載図面/2020年12月


世界遺産/ミケーネ宮殿遺跡・「メガロン形式」

GPS ミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A: 37°43′49.50″N 22°45′23″E/標高240m

ミケーネ文明・ミケーネ宮殿遺跡・王の居室 Throne Room of Megaron Complex, Mycenae Palace/©legend ej
ミケーネ宮殿遺跡・「メガロン形式」
王の居室・「聖なる炉」~前の間~控えの間
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年
※学芸出版社発行書籍(著者代表 藤本和男)「住空間計画学」掲載写真/2020年12月


世界遺産/ティリンス宮殿遺跡・「メガロン形式」

GPS ティリンス宮殿遺跡: 37°35′56″N 22°48′01″E/標高25m

ティリンス宮殿では後世に王の居室の「聖なる炉」と王座は撤去され、さらに「メガロン形式」の三部屋を貫通するように南北に長い壁面が建築された。この理由から、現状、見た目に「合計6部屋」が存在するような感じを受けるが、ミケーネ文明のオリジナル配置は元来の三部屋続きの「メガロン形式」であった。

ミケーネ文明・ティリンス宮殿遺跡・「メガロン形式」Throne Room of Megaron Complex, Tiryns Palace/©legend ej
ティリンス宮殿遺跡・「メガロン形式」
円柱礎・控えの間~前の間~王の居室/「聖なる炉」&王座=後世に撤去
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

ミケーネ文明・ティリンス宮殿遺跡・「メガロン形式」Throne Room of Megaron Complex, Tiryns Palace/©legend ej
ティリンス宮殿遺跡・「メガロン形式」
控えの間~前の間~王の居室/「聖なる炉」&王座=推定位置
三部屋を通過する壁面=後世に追加建築された
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年


ネストル宮殿遺跡・「メガロン形式」

GPS ネストル宮殿遺跡: 37°01′38″N 21°41′42″E/標高195m

ミケーネ文明・ネストル宮殿遺跡・メガロン形式 Throne Room of Megaron Complex, Nestor's Palace/©legend ej
ネストル宮殿遺跡・「メガロン形式」の王の居室
王の居室の奥部~前の間~控えの間(右上)を見る
「聖なる炉」の側面に「サメの背びれ紋様」が残る
ペロポネソス・メッセニア地方/1982年

ミケーネ文明・ネストル宮殿遺跡 Throne Room, Nestor's Palace/©legend ej
ネストル宮殿遺跡・王の居室&「聖なる炉」
「聖なる炉」の右側に王座が置かれていた
ペロポネソス・メッセニア地方/描画:legend ej

ミケーネ文明で「メガロン形式」の建築様式を取り入れたのは主に宮殿造営だが、一部では高貴な造りの邸宅レベルでも採用された。
例えばミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓Aの南東側にあった「傾斜路の邸宅」、あるいはミケーネ遺跡のパーキング場近くの「西の邸宅」などでも、小規模だが内部に「メガロン形式」の配置を見ることができる。

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「メガロン形式」と「聖なる炉」

「聖なる炉」のある王の居室/吹抜け構造の建築

ギリシア本土のミケーネ文明の諸宮殿では、通常、「メガロン形式」の王の居室の中央部に「聖なる炉」が設置され、絶やすことなく火が焚かれていた。最も完全な形で残されているネストル宮殿の王の居室の「聖なる炉」は、床面から20cmの高さ、直径4mの小規模な相撲の土俵のような形容である。

ネストル宮殿の「聖なる炉」の側面は、サメの「背びれ」のようなノコ歯的な紋様で装飾され、炉の上面の縁周りには色鮮やかな渦巻き紋様の連鎖装飾が施されていた。3,200年の時間の経過により色彩は幾分劣化しているが、装飾紋様は今日でもはっきりと確認することができる。

ミケーネ文明・ネストル宮殿遺跡 Throne Room, Nestor's Palace/©legend ej
ネストル宮殿遺跡・王の居室・「聖なる炉」
炉上面:連座する渦巻線紋様/炉側面:サメの背びれ紋様
ペロポネソス・メッセニア地方/1982年

文明が先行したクレタ島ミノア文明の諸宮殿遺跡では「聖なる炉」の存在は確認されていない。「聖なる炉」の発想はミケーネ人の独自の文化であったが、メッセニア地方を治めたネストル宮殿の「聖なる炉」の上面外周に描かれた渦巻き紋様を見る限り、装飾モチーフは明らかにミノア文明からヒントを得ていると判断できる。

ミケーネ人の宮殿で「聖なる炉」が設置され始めた紀元前1400年頃、この時期はすでにミノア文明の諸宮殿とほとんど全ての主要邸宅などは、「侵攻ミケーネ人」により完全に破壊(紀元前1450年頃)されてしまっていた。
しかし、装飾など工芸や美術分野では高レベルであったミノア文明の伝統が、特にクレタ島に近いネストル宮殿のあるペロポネソス・メッセニア地方では模倣的に継承されていた、と考えて良いだろう。


宮殿建築の定番となった「メガロン形式」の王の居室の中央に「聖なる炉」を設け、それを取り囲む4本の細い支柱の設置が行われたのは、アルゴス地方のミケーネ文明の宮殿では、「メガロン形式」が定着してからおおよそ1世紀後、後期ヘラディックLHIIIB1期、紀元前1300年~前1250年頃とされている。

「聖なる炉」を残すネストル宮殿の王の居室は南北約13m、東西約11m、フレスコ画と同じような技法でその広い床面を石膏表装した後、一辺約1mのほぼ正方形の枠内にそれぞれ色彩豊かな幾何学パターンの見事な装飾が施されていた、と研究者は考えている。これが事実であったなら、王の居室は美しさを超越した見事なアートの世界であったであろう。

ミケーネ文明・ネストル宮殿遺跡・王の居室・床面パターン Decoration of Throne Room, Nestor's Palace/©legend ej
ネストル宮殿遺跡・王の居室・床面装飾(復元描画)
「聖なる炉」・タコ紋様・幾何学紋様のランダム・パターン
1パターン=約1m四方/ホーラ考古学博物館
ペロポネソス・メッセニア地方/1987年

また、ネストル宮殿を例に見るように、王の居室の天井は、「聖なる炉」から立ち昇る煙を外部へ排出できるように吹抜け構造であった。
ギリシア本土のミケーネ文明のみならず、エーゲ海クレタ島のミノア文明の宮殿や高貴な邸宅などでも、天空に開口した様式、あるいは屋根付きで階上へ吹抜ける構造の部屋や空間が多く配置され、明るさを確保すると同時にフレッシュ・エアーのヴェンチレイトの役目を果たしていた。

比較的雨の少ないミノア文明のクノッソス宮殿やザクロス宮殿などでは、屋根無しの完全に天空に開口した明り取り用の採光吹抜け構造が建築に採用された。複雑な造りの高層建物の中にあっても部屋にランプなどを備える必要がなく、採光吹抜けからの十分な照明を確保できる高度な建築仕様であった。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・列柱の間 Pillar Hall, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部・列柱の間(一階~二階)
吹き抜け構造の空間美/「8の字形」のフレスコ画
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1982年


ネストル宮殿遺跡・王妃の間・「聖なる炉」or「装飾台座」?
ネストル宮殿・南東翼部の「王妃の間」の中央には、「メガロン形式」の王の居室に比べ一回り小さな感じだが、「聖なる炉」と同じ形容の小規模な破壊状態の円形の「盛り上がり」が確認されている。
ミケーネ時代、王妃の間でも常時絶やすことのない「聖なる火」が焚かれていたかどうかは、部屋の広さと構造面からは判断できない。もしかしたら、この盛り上がり部分は「聖なる炉」ではなく、王妃の好んだ花や彫刻などが置かれていた装飾用の台座であったかもしれない。

ミケーネ文明・ネストル宮殿遺跡・王妃の間/©legend ej
ネストル宮殿遺跡・王妃の間・円形の「盛り上がり」
ペロポネソス・メッセニア地方/1982年


ミノア文明/宮殿建築様式・「三部屋続き」の構成

クレタ島のミノア文明の宮殿では、壁を設けずに円柱で外に開放される場合、あるいは採光吹抜けの部屋を含めた「三部屋続き」の王の居室区画の構成に特徴があり、本土ミケーネ文明の宮殿で採用された「メガロン形式」に似た配置様式であった。
この配置様式が明確に残るのは、クレタ島ミノア文明の最大センターであったクノッソス宮殿とメッサラ平野のフェストス宮殿の王と王妃の間の区画である。また、クレタ島北海岸のマーリア宮殿と最東部のザクロス宮殿でも「三部屋続き」の王の居室が「確認」こそできるが、壁面や支柱の基礎部の痕跡もほとんど崩壊状態になっている。

クレタ島ミノア文明・宮殿群 地図 Map of Minoan Palaces in Crete/©legend ej
クレタ島・ミノア文明・宮殿遺跡 地図
作図:legend ej




クノッソス宮殿遺跡・「三部屋続き」の構成/王家の「プライベート生活区画」

GPS クノッソス宮殿遺跡: 35°17′53″N 25°09′47″E/標高95m

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・「王家の生活区画」Plan of Minoan Royal Apartments, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部
「王家の生活区画」一階・アウトラインプラン図
・左上=列柱の間(or 柱廊の間)
・右上=王の居室コンプレックス
・左下=王妃の間コンプレックス
クレタ島・中央北部/作図:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・王の居室 外部 King's Room Complex, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部・王の居室コンプレックス外部
木枠=前の間/円柱内側=控えの間(1980年代)
(現在 円柱&角柱より内側=立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・王の居室 Double-Axe Room Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部・王の居室=両刃斧の間
壁面&渦巻線フレスコ画は発掘時の状態
木製王座は複製/「聖なる炉」はない
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1982年


エーゲ海先史 ミノア文明ミケーネ文明
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ミノア文明の崇拝シンボル・「両刃斧」
ミノア文明では、複数の宗教的な崇拝シンボルの中で最も神聖とされた「両刃斧/ラブリュス」がある。
ミノア文明の時代、人々は聖なる両刃斧を木製の長い棒で支え、その支持棒を穴加工した石製角錐台に差込み、宮殿や邸宅の宝庫や貯蔵庫など大切な資産や宝飾品を保管する場所に立てていた。あるいはクノッソス宮殿遺跡・支柱礼拝室に例を見るように、部屋の支柱に両刃斧の記号を刻み、「聖なる場所」を指定する場合もあった。
通常、装飾用の両刃斧が立つ場所、部屋の支柱や壁面などに両刃斧の刻み、記号のある部屋への立ち入りは特別な身分の人、例えば王や王族、あるいは祭司・神官などが許され、これ以外の一般の人々の立ち入りや接近は禁止されていた、と考えられている。

研究者の間でクノッソス宮殿の王の居室が「両刃斧の間」と呼ばれるのは、この部屋には先端に装飾用の青銅製の大型両刃斧を付けた、高さ2m前後の支持棒が石製角錐台に差し込まれ立ててあった、と想像したことに拠る。この想定が正しければ、その大型両刃斧&支持棒は、王座の両脇に立ててあったはずである。

ミノア文明・両刃斧/©legend ej
ミノア文明・崇拝シンボルの「両刃斧」
左=黄金の両刃斧の宝飾品/イラクリオン考古学博物館
中=両刃斧の刻み記号  右=青銅製両刃斧&石製角錐台
描画:legend ej


フェストス宮殿遺跡・「三部屋続き」の構成

GPS フェストス宮殿遺跡: 35°03′05″N 24°48′51″E/標高85m

ミノア文明・フェストス宮殿遺跡・王の居室 King's Room Complex, Phaestos Palace/©legend ej
フェストス宮殿遺跡・北翼部・王の居室コンプレックス
「三部屋続き」の王の居室/北側=テラース形式の部屋
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

ミノア文明・フェストス宮殿遺跡・王妃の間 Queen's Room, Phaestos Palace/©legend ej
フェストス宮殿遺跡・北翼部・王妃の間コンプレックス
「三部屋続き」の王妃の間/西部屋=石製ベンチあり
クレタ島・メッサラ平野/1982年


ミノア文明の「三部屋続き」の配置は、すでに紀元前1600年より以前に完成していたとされる。後発のミケーネ文明では、工芸やフレスコ画技法などでミノア文明から大きな影響を受けていたことから、建築様式分野でも、紀元前1400年頃、ミケーネ人はミノア文明の「三部屋続き」の配置を模倣して「メガロン形式」へ発展させたと考えられる。

なお、クレタ島のミノア文明の諸宮殿では、王と家族の「プライベート生活区画」に属していた王の居室には、思想的なのか、あるいは暖かいエーゲ海の島という自然環境的な理由からか、ギリシア本土ミケーネ文明の宮殿に存在した「聖なる炉」を設けなかった。


ミノア文明とミケーネ文明の宮殿建築/センスと風格と規模

ミノア文明とミケーネ文明の宮殿建築の異なり

宮殿の建築様式と規模を比べる時、王の住む宮殿でありながら城壁や城門さえも設けなかったクノッソス宮殿を例に見るように、無防備な宮殿でありながらも、クレタ島ミノア文明の宮殿の方が、明らかにギリシア本土ミケーネ文明の宮殿より遥かに大規模であった。

・クレタ島中央北部・クノッソス宮殿
・クレタ島南西部・メッサラ平野・フェストス宮殿
・クレタ島中央北部・北海岸・マーリア宮殿
・クレタ島最東部・ザクロス宮殿

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・王座の間 Throne Room, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・王座の間
火炎で焼けた石製王座&石膏石ベンチ&床面
西~北壁面(西側)フレスコ画=1913年復元
北壁面(東側)フレスコ画=1930年復元
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1982年


ミノア文明・フェストス宮殿遺跡 Great Staircase, Phaestos Palace/©legend ej
フェストス宮殿遺跡・大階段周辺
クレタ島・メッサラ平野
1982年/描画:legend ej


ミノア文明・マーリア宮殿遺跡 Minoan Pillar Room, Malia Palace/©legend ej
マーリア宮殿遺跡・西翼部・支柱礼拝室
(現在 立入禁止区域)
クレタ島・中央北部/1982年


ミノア文明・ザクロス宮殿遺跡 Minoan Zakros Palace/©legend ej
ザクロス宮殿遺跡・北翼部~西翼部~中央中庭
クレタ島・最東部/1996年


さらに建築と構造、細部の仕様、内部装飾に至るまで、どれを取ってもミケーネ文明の宮殿より、ミノア文明の宮殿は平和と自然主義を貫いた「王の住む宮殿」に相応しい風格・品格、さらに優雅な美的センスさえも備わっていた。
部屋数1,000室を誇ったクノッソス宮殿では、ほとんどの部屋や大広間、長い通廊の壁面や天井は、「フレスコ画の宮殿」と比喩されている通り、3,500年以上前から美しいミノアの女神や女性達を初め、鳥や小動物、草や花をモチーフにした華やかにして色彩豊かなフレスコ画で装飾されていた。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・推測模型/©legend ej
クノッソス宮殿・推測模型(木製)
部屋数1,000室/東翼部~中央中庭~西翼部
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・中央北部/1996年


ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画《青の婦人達》 Fresco Ladies in Blue, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・東翼部出土・フレスコ画《青の婦人達》
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・中央北部/1994年


ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・フレスコ画の邸宅・《青い鳥》 Fresco Blue Bird, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・「フレスコ画の邸宅」出土
フレスコ画《青い鳥》/高さ約60cm
イラクリオン考古学博物館/紀元前1550年~前1500年頃
クレタ島・中央北部/描画:legend ej

一方、分厚い城壁に囲まれたミケーネ宮殿やティリンス宮殿を例に見るミケーネ文明の宮殿建築では、好戦的な民族主義を反映した城門を備えた「要塞・城砦」に相当する堅固な構造の宮殿である。
この点にほぼ同時期にエーゲ海域で繁栄した二つの文明の宮殿建築分野での大きな異なりと特徴を見ることができる。

・ペロポネソス・アルゴス地方・ミケーネ宮殿(城門・城壁)
・ペロポネソス・アルゴス地方・ティリンス宮殿(城門・城壁)
・ペロポネソス・メッセニア地方・ネストル宮殿(城門&城壁はない)

世界遺産/ミケーネ文明・ミケーネ宮殿遺跡・ライオン門 Lion Gate, Mycenae Palace/©legend ej
世界遺産/ミケーネ宮殿遺跡・「ライオン門」と分厚い城壁
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

ミケーネ文明・ネストル宮殿遺跡 Nestor's Palace/©legend ej
ネストル宮殿遺跡・西翼部・階段
階段は宮殿の二階部分の存在を推測させる
ペロポネソス・メッセニア地方/1982年


UNESCO 世界遺産

クレタ島ミノア文明のクノッソス宮殿遺跡は発掘後、重要と思われる多くの区画で発掘者のイギリス人考古学者サー・アーサー・エヴァンズ Sir Arthur J. Evans とその後のギリシア政府による「復元・複製」が行われ、その作業は現在も引き続き実行されている。
数千人が乗船する巨大エーゲ海クルーズ船の寄港地でもあるクレタ島、その最高の観光スポットのクノッソス宮殿遺跡を訪れる人は、公式データでは年間70万人以上。

しかし、鉄筋コンクリートと化学塗料を使った復元・複製により、先史文明の大遺跡に期待して世界からやって来るツーリストに「見せるためのキレイな遺跡」と化したことが理由なのか、ヨーロッパの「最初の文明」、エーゲ海文明の最大規模の遺構にも関わらず、ミノア文明のクノッソス宮殿遺跡は、UNESCO 世界遺産の登録から外されている。
UNESCO世界遺産・登録基準
「世界遺産の登録基準」の一部を確認すると、「完全性」と「真正性」が強調されている。

---ある資産が顕著な普遍的価値を有するとみなされるには、当該資産が「完全性」、及び「真正性」の条件について満たしている必要がある。この「完全性」とは、世界遺産の顕著な普遍的価値を表すものの全体が残されていることを言い、「真正性」とは、文化遺産の形状、材料、材質などがオリジナルな状態を維持していることを言う---

現状のクノッソス宮殿遺跡を観る時、「真正性」においては、発掘後~今日に至るまで遺跡の多くの箇所で復元・復元が行われ、その材料・材質面では鉄筋コンクリートや化学塗料を多用している事実からして、とても「世界遺産の登録基準」に適合できるとは言えないだろう。
復元・複製の箇所が増加する度に、近未来にクノッソス宮殿遺跡が世界遺産に登録される可能性は、誠に残念ながら、よりゼロに近接してしまう。

ミノア文明・クノッソス宮殿遺跡・北入口 North Gate, Knossos Palace/©legend ej
クノッソス宮殿遺跡・北翼部・北支柱広間~北入口
・北入口の建物=エヴァンズのコンクリート復元
・手前・大型角柱群=発掘時の状態の北支柱広間
クレタ島・中央北部/1982年


反面、ほとんど「崩壊遺跡」とも言えるギリシア本土アルゴス地方のミケーネ宮殿遺跡とティリンス宮殿遺跡は、ほぼ発掘時の状態を保ち、何れも世界遺産に登録されている。

世界遺産/ミケーネ文明・ティリンス宮殿遺跡 Mycenaean Gate, Tiryns Palace/©legend ej
世界遺産/ティリンス宮殿遺跡・入城門
巨大な石材構造・ミケーネ様式の城門&城壁
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年