2020/11/17

ミノア文明・プラタノス遺跡 Platanos


メッサラ様式の円形墳墓が残るプラタノス遺跡

位置 クレタ島・南西部・メッサラ平野/フェストス宮殿遺跡~東南東10km
GPS プラタノス遺跡: 35°01′22″N 24°55′15″E/標高100m


プラタノス遺跡・「共同墓地」の位置

プラタノス村 Platanos は、古代ゴルティス遺跡~南南西4km、邸宅遺構のミトロポリス遺跡~南南西3km、メッサラ平野の中央部、民家40軒ほどのオリーブ栽培の小村である。

クレタ島南西部・メッサラ平野・ミノア文明・遺跡 地図 Map of Minoan Archaeological Sites at Messara/©legend ej
クレタ島南西部・メッサラ平野・ミノア文明・遺跡 地図
作図:legend ej

クレタ島・メッサラ平野・ミノア文明・プラタノス遺跡 周辺地図 Map of Minoan Archaeological Site at Messara/©legend ej
プラタノス村周辺・ミノア文明・遺跡 地図
クレタ島・メッサラ平野/作図:legend ej

古代ギリシア文明・ゴルティス(ゴルティン)遺跡 Gortyn, Crete/©legend ej
古代ゴルティス(ゴルティン)遺跡・オデオン円形劇場
右上の建物内部・壁面=「ゴルティス法典」の碑文
クレタ島・メッサラ平野/1982年


「新メッサラ考古学博物館」開館
ゴルティス遺跡~西南西1km、フェストス宮殿遺跡~東北東11km、幹線道路N97号脇、2020年、「新メッサラ考古学博物館 New Archaeological Museum of Messara」が開館した。

GPS 新メッサラ考古学博物館: 35°03′36″N 24°56′16″E/標高160m

プラタノス村の中心に建つ聖ゲオルギオス教会堂(St. Georgios 聖ジョージ)~西南西300m付近、地元で「Stavros」と呼ばれるスポットから、三基のミノア文明メッサラ様式の円形墳墓 Messara Style Circular Tomb、そして幾らかの方形墳墓などが発見されている。

ミノア文明・プラタノス遺跡・入口/©legend ej
プラタノス遺跡・サイト入口(金網)付近
オリーブの巨木が立つ農道の脇
クレタ島・メッサラ平野/1982年

墳墓群は共同墓地の形式をとり、コウマサの墳墓群と同様に初期ミノア文明EMII期・紀元前2500年頃から埋葬が始まり、中期ミノア文明MMII期・前1700年頃まで、非常に長期間に渡り色々な階層の人達の埋葬に使われた、と断定されている。

ミノア文明・コウマサ遺跡・円形墳墓 Messara Style Circular Tombs, Koumasa/(C)legend ej
コウマサ遺跡・墳墓群
左側=円形墳墓B/中央=円形墳墓E
遠方=クレタ島最高峰 標高2,456m 聖なるイダ山系
クレタ島・メッサラ平野/1994年


ミノア文明&ミケーネ文明 編年表/©legend ej
クレタ島ミノア文明&ギリシア本土ミケーネ文明 編年表
・ミノア文明・「旧宮殿時代」: 紀元前1900年~前1625年
・ミノア文明・「新宮殿時代」: 紀元前1625年~前1375年
ミケーネ文明(時代):  後期ヘラディック文明 LH期
作図:legend ej


共同墓地の発掘

プラタノスの共同墓地は、古くからその地に在った礼拝堂の基礎部分を掘削した時に確認され、その後、1914年~15年、イラクリオン生まれの考古学者 Stephanos Xanthoudides により本格的な発掘ミッションが実施された。
ただ、発掘作業が開始される100年以上前から、特に円形墳墓を構成していた多くの石材は地元の建物の建築材料として運び出され、さらに農作業で撹拌され、そして墓地エリアの真ん中を横断する形で道路ができたことにより、サイトの多くの部分が破壊されてしまった。
結果、現在見ることのできる共同墓地の遺構は、メッサラ様式の円形墳墓Aと円形墳墓Bのわずかな基礎部分、そして石板舗装された中庭の痕跡だけである。

ミノア文明・プラタノス遺跡/Google Earth
プラタノス遺跡・共同墓地
クレタ島・メッサラ平野
地図情報:Google Earth⇒テキスト挿入


円形墳墓A

プラタノス遺跡では、発掘により合計三基の円形墳墓が確認された。村に最も近い墳墓が円形墳墓Aと呼ばれ、トロス部壁面の東側半分は破壊されていた。
推定計測ではトロス内径=13m、壁の平均厚さ=2.4m、トロス部の円形外観サイズ=直径18mとなり、現在までに確認されているメッサラ様式の円形墳墓では「最大級」とされている。

ミノア文明・プラタノス遺跡・円形墳墓A&B Messara Style Circular Tomb, Platanos/©legend ej
プラタノス遺跡・メッサラ様式の円形墳墓A
墳墓Aの向こう側=円形墳墓B
クレタ島・メッサラ平野/1982年

ミノア文明・プラタノス遺跡・円形墳墓A&B・プラン図/©legend ej
プラタノス遺跡・墳墓遺構 アウトラインプラン図
左=円形墳墓B/中間=舗装中庭/右=円形墳墓A
クレタ島・メッサラ平野/作図:legend ej

円形墳墓Aでは、ギリシア本土ミケーネ文明のトロス式墳墓の標準構造である通路ドロモスはなく、存在したであろう東側の入口の外部には、6~8部屋を数える東西に狭長い部屋で構成された付属建物があり、さらにトロス部の南側・外部には擁壁のような仕切り構造の複数の空所が確認された。

発掘では、トロス内部の比較的表層レベルから、多数の遺体と共に銅製短剣、金装飾タイプを含む60本を数える青銅製の短剣、そして多数の石製容器や24個の印章などが出土した。また、プラタノス遺跡全体では、宝飾品を中心に金製品81点・銀製品9点が確認されているが、その多くはトロス式墳墓Aからもたらされた。
これらの出土品は初期ミノア文明EMIII期・紀元前2200年~中期ミノア文明MMI期・紀元前1800年頃に遡ると判断された。
トロス内部で「火」を燃やした痕跡が確認されたが、これは遺体の火葬ではなく、埋葬時の儀式で何かを燃やしたものと断定された。

ミノア文明・プラタノス遺跡&コウマサ遺跡・銅製短剣 Minoan Copper Dagger, Platanos and Koumasa/©legend ej
プラタノス遺跡&コウマサ遺跡出土・銅製短剣
初期ミノア文明EMIII期・紀元前2200年頃
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

また、円形墳墓Aから「へら形容」の銅製ブレード(握りナイフ)が見つかっている。全長=70mm、握る側の端面を叩いて捻じ曲げ、小さな輪を付けた刃物で、おそらく紐などで結んで腰に掛けていたのかもしれない。

プラタノス遺跡・銅製ブレード(ナイフ) Copper Blade-Knife, Platanos/©legend ej
プラタノス遺跡出土・銅製ブレード(握りナイフ)
イラクリオン考古学博物館/長さ70mm
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

ミノア文明の最初の文字・絵文字《アルカネス・文字体系》
先史時代の印章研究が最も盛んなドイツ・ハイデルベルグ大学・研究プロジェクト CMS(Das Corpus der minoischen und mykenischen Siegel. Heidelberg U.)初め、先史文明の印章&文字の研究者は、特に絵文字の印章出土例が顕著なアルカネス遺跡からの印章スクリプト Archanes Script を中心に表現モチーフを整理、《アルカネス・文字体系 Archanes Formula》として分類・解析を行っている。
この絵文字を線文字Aに含めた見解を提唱する研究者も居るが、既にほぼ解読・判明している絵文字では、人体の部位や動物の具象が最も多く、家屋の部分(ドアー・窓)、野菜を含めた植物の葉、海洋生物なども頻繁に登場している。また、単純な太線や三角形やカーブ紋様なども印面のスペースを埋めるためか、かなり表現されている。

多くの研究者の見解では、この《アルカネス・文字体系》で表現された絵文字/象形文字は、「線文字Aよりやや早い時期にクレタ島で使われ始めた」と考えている。この論説に従えば、《アルカネス・文字体系》の絵文字は、「ヨーロッパ最初の文明」であるミノア文明で「最も早く使われ始めた文字」、「ヨーロッパで最初の文字」と言うことができる。


《アルカネス・文字体系》に含まれる絵文字を刻んだ印章の出土例は、クレタ島のミノア文明遺跡からは大量とは言えないものの、推定類似も含め結構な個数が見つかっている。
特徴的な《アルカネス・文字体系》の、アルカネス遺跡以外の目だった出土例を挙げれば、北海岸のマーリア遺跡出土・四面プリズム型の石製印章、そしてクノッソス宮殿遺跡からは飴色の滑石・ステアタイト製の凸円盤型の印章が見つかっている。

ミノア文明・マーリア遺跡&クノッソス宮殿遺跡・石製印章・絵文字 Minoan Hieroglyph Stone Seal, Malia and Knossos Palace/©legend ej
ミノア文明・《アルカネス・文字体系》の石製の印章
左印章=マーリア遺跡出土・プリズム型(四面)
・紀元前1900年~前1600年/横長さ16mm
・イラクリオン考古学博物館・登録番号2184
右印章=クノッソス宮殿遺跡出土・円盤型(二面)
・紀元前2100年~前1900年/滑石製・直径13mm
・Ashumolean Museum (UK)登録番号AN1938-929
※Sir Arthur Evans 寄贈(1938年)
クレタ島・北海岸&中央北部/描画:legend ej

二点の印章のモチーフがすべて共通とは言えないが、多くの絵文字が《アルカネス・文字体系》の絵文字に合致、または近似している。
クノッソス宮殿遺跡からの印章は、初期ミノア文明の末期・EMIII期・紀元前2100年~「旧宮殿時代」の初め頃・中期ミノア文明MMIA期・紀元前1900年頃に属するとされ、一方、マーリア遺跡の四面プリズム型の印章はクノッソス印章より少し遅れた、「旧宮殿時代」~「新宮殿時代」の初め頃に遡ると判断されている。
印面が円形二面のクノッソス印章では、両刃斧と魚と人の脚部、もう一方の印面では立ち樹や植物とアンフォラ型容器などが確認できる。一方、マーリア印章の絵文字では、視覚的には雄牛角や家のドアーか窓、道具のブレード(握りナイフ)、人の脚部や眼球、植物の葉やリボン紋様などと判断できる。

プラタノスの円形墳墓Aから出土した銅製のブレード(握りナイフ)が、初期ミノア文明EMIII期~中期ミノア文明MMI期に属するなら、ほぼ同じ時代にクレタ島で使われた《アルカネス・文字体系》の絵文字の中、(左マーリア印章・上から二番目・中央絵文字)「ブレード」の形状に一致する可能性がある。もしそうならば、ブレードは当時のミノアの人々の間で(絵文字デザインに採用された)相当な高い意識対象物であったと言える。


円形墳墓Aでは銅製ブレード(握りナイフ)と同じような形容、金の薄板を円錐状に丸めて小さな輪とチェーンを付けたペンダントも見つかっている。ペンダントトップの下部にわずかに打ち出しの突起が確認できるが、目立つ加工もない単純な形容だが、チェーンは現代にも通用できる楕円輪を隣の輪に通して折り返す「loop-in-loop」のキレイな仕様となっている。
また、このペンダントとほぼ同じ形容で同じような「loop-in-loop」のチェーンの金製ペンダントが、北海岸のモクロス遺跡からも出土している。

ミノア文明・プラタノス遺跡・金製ペンダント Minoan Gold Pendant, Platanos/©legend ej
プラタノス遺跡出土・金製ペンダント&チェーン
・ペンダントトップ=輪含む高さ約33mm
・チェーン長さ=約50mm(長さ省略)
イラクリオン考古学博物館
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

プラタノス遺跡・金製ペンダントトップ
ペンダントトップの形状は、ある研究者の説によれば、クレタ島に咲くオオキバナカタバミ(Oxalis pes-caprae 大黄花片喰)のつぼみ(蕾)が膨らみ、花被片が開花する瞬間の形容からヒントを得たとされる。
オオキバナカタバミは世界有数の野生花(ワイルドフラワー)の咲く南アフリカが原産、繁殖力が旺盛な雑草、現在では世界中に拡散、特に除草剤への耐性が強く、農耕地での完全除去は難しいとされている。ハート型の葉に特徴的な紫斑点があり、花は五弁で鮮やかなレモンイエローである。
クレタ島の情報発信の「west-crete.com」によれば、クレタ・オオキバナカタバミは葉がヤギのひづめ(山羊の蹄)の形をした草と呼ばれ、1月~5月、特に標高600m付近のオリーブ耕作地や果樹園の地面をまっ黄色に染めるほど咲き誇る。

クレタ島に咲くオオキバナカタバミの花/west-crete.com
クレタ島に咲くオオキバナカタバミの花
 写真情報:west-crete.com
※開花直前のつぼみ(印)=ペンダントトップの形状

南アフリカ・マナクワランド地方・デージーの花咲く荒野 Wild-flower, South Africa/©legend ej
南アフリカ・半砂漠カルー帯・ワイルドフラワーの咲く荒野
早春(9月下旬~10月初旬)野生のデージーが咲き乱れる
西ケープ州・マナクワランド地方/2008年

円形墳墓Aの東側の付属建物跡からは、遺体のほか、数百器の小さな石製容器が見つかっている。ただ、500器を数える石製の円錐カップが出土した、同じメッサラ様式のカミラーリ遺跡の円形墳墓Aとは異なり、プラタノスの円形墳墓では円錐カップはまったく無かったとされる。
副葬品の流行や埋葬時代の差異からか、カミラーリ遺跡からわずか13kmの距離にあるプラタノスでは、故人を悼みワインなどを飲む埋葬儀式で円錐カップより「ぐい呑み」のような小型の石製容器を使う習慣があり、容器は各自が持ち帰らずにそのまま副葬されたと考えられる。

ミノア文明・カミラーリ遺跡・円形墳墓 Messara Style Circlar Tomb, Kamilari/©legend ej
カミラーリ遺跡・メッサラ様式の円形墳墓A
クレタ島・メッサラ平野/1994年



円形墳墓Aからは小型の石製容器のほか、24個を数える石製・象牙・動物の脚骨製の印章が出土している。石製印章の素材にはほとんど滑石・ステアタイト(タルク)が使われていた。象牙系ではゾウの象牙のほか、カバの牙や動物の脚骨を素材とした印章も出土している。
その内、動物の骨(象牙?)製の印章では寝そべっている牛の外観、底面が印面となる穴付きスタンプ形式である。横30mm・幅24mmの長方形の印面は渦巻き線の装飾で縁取られ、ライオンのような形容、おそらくヒヒと思われる四つ足の動物二頭が歩行しているシーンが刻まれている。交流があったエジプトの影響が生活の中へも浸透していたと思われる。

ミノア文明・プラタノス遺跡・動物骨(象牙?)印章 牛形容 Minoan Bull shaped Lion Ivory Seal, Platanos/©legend ej
プラタノス遺跡・円形墳墓A出土・動物骨(象牙?)製の印章
外観=寝そべりの牛/印面=渦巻き線&ヒヒ(ライオン?)
初期ミノア文明EMIII期・紀元前2200年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号1044/横30mm・縦24mm
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

カバの牙を使った特徴的な異径円筒型の印章は合計5個見つかっている。すべての印章の側面に二つの小穴があることから、紐を通して首にかけていたと想像できる。カバの牙では外面は素材のままで浅い縦溝と幾分ザラザラ状、牙材なので印章の両端の外径が微妙に違う「異径」となり、その両印面に軟質石材と同じ技法で彫刻が施されている。

出土品の内、異径円筒型の一つを例に挙げれば、小径印面には三匹のサソリが右回りで移動しているシーン、反対側の大径印面では外周に7頭のライオンが右回り歩行、そしてセンターの小円の周りに6匹のクモが左回りで移動している様相が表現されている。
ほかの印章もラクダ?を含め、ライオン近似の四つ足動物や花弁など、エジプト風のモチーフが彫刻されていた。

ミノア文明・プラタノス遺跡・カバ牙製の異径円筒型印章 Minoan Hippo Ivory Cylinder Seal, Platanos/©legend ej
プラタノス遺跡・円形墳墓A出土・カバ牙の異径円筒型の印章
・小径印面・幅32mm=サソリ三匹・右回り移動
・大径印面・幅35mm=ライオン7頭&クモ6匹
初期EMIII期~中期MMIA期・紀元前2200年~前1900年頃
イラクリオン考古学博物館・登録番号1039
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

カバの牙に関して、先史時代にカバがクレタ島に生息していたとは考えられないことから、象牙と同様に素材はエジプトからの輸入品であろう。クレタ島で豊富な石材とは異なり、輸入の象牙やカバ牙などは希少価値の高い素材であったはず。
また、ライオンやサソリやヒヒのモチーフ表現からも古代エジプトの影響が連想できる。円形墳墓Aの埋葬が初期ミノア文明EMIII期・紀元前2200年以降であるので、ミノア文明のかなり早い時期にメッサラ平野の居住地では、エジプトとの交易・交流が行われていたことを連想させる。

また、円形墳墓Aの付属建物付近から、腐食が進行した青銅薄板の両刃斧も見つかっている。

ミノア文明・プラタノス遺跡・円形墳墓出土・青銅製両刃斧 Minoan Bronze Double Ax, Platanos/©legend ej
プラタノス遺跡・円形墳墓A出土・青銅薄板の両刃斧
左斧=横幅130mm・右斧=横幅175mm
イラクリオン考古学博物館/支持棒=推測
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

なお、円形墳墓Aの南外壁に付属する区切り空所からは、遺体のほか比較的粗末な副葬品だけが出土しているので、この区画はやや貧しい階層の人達の埋葬に使われた、と推測されている。

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円形墳墓B

円形墳墓A~西方35mほど、円形墳墓Bと呼ばれる墳墓の基礎遺構が残されている。ただ、遺構の多くは発掘者 Xanthoudides が、ミッション終了後に「補修&復元」したものである。
推定計測では円形墳墓Bのトロス部内径=10m強、壁の平均厚さ=2.45m、トロス部の円形外観サイズ=直径15mとなり、円形墳墓Aと並んでメッサラ様式では「最大級」とされている。

ミノア文明・プラタノス遺跡・円形墳墓/©legend ej
プラタノス遺跡・メッサラ様式の円形墳墓B
左側・大型石材=トロス部の入口遺構
クレタ島・メッサラ平野/1982年

円形墳墓A~墳墓Bの中間付近、緑青色系の石板で舗装されたスペースが確認できる。おそらくはやや遅れて施工された、墓地の「中庭」の可能性が高く、埋葬時にこの場所で何かの儀式などが行われたと想定できる。

舗装スペースの西側には、円形墳墓Bの入口に接続していた付属建物の遺構がわずかに確認できる。この付属建物跡からは、円形墳墓Aと同様に埋葬時に副葬された多くの小型の石製容器が見つかっている。

年代的には初期ミノア文明EMIII期・紀元前2200年~前2100年頃に遡るとされる、円形墳墓Bのトロス部からの遺体は全体的に破壊が進み、状態は非常に「悪かった」とされた。
発掘では、墳墓内からは78個を数える石製印章を初め、多くの石製容器などが見つかった。しかし、規模的には「最大級」の墳墓でありながら青銅製短剣はわずか数点だけ、豪華な副葬品は多くなく、金装飾の青銅製短剣を含む金製宝飾品など上質な副葬品が多数出土した円形墳墓Aのそれより、遥かに粗雑な品々と低い品質であったとされる。
この事実からは、円形墳墓Bは歴史の中で盗掘された、という可能性をほのめかしていると判断できる。


円形墳墓Bからの出土品/エジプト&中東地域との関連

円形墳墓Bからの出土品では、特に古代エジプトや中東地域との交流を裏付ける、タマオシ(玉押し)コガネ属の「聖なる甲虫」を形容した、「再生・復活・創造」のシンボルのスカラベ印章が少なくとも三個、そして硬質石材の赤鉄鉱石(ヘマタイト)の円筒型のバビロニア印章が一個 確認されている。
東方から輸入されたこれらの石製印章は、円形墳墓Aのカバ牙製印章よりわずかに遅い時期、紀元前18世紀~前17世紀の作品である。プラタノスの円形墳墓が中期ミノア文明MMII期・紀元前1700年頃まで使われたとするならば、特にバビロニア印章の所有者(被葬者)は、当地の「最終埋葬」の人物の一人と推測できる。

円筒型の印章はメソポタミアの都市国家バビロン・第六代ハンムラビ王(Hammurabi 在位=紀元前1792年~前1750年頃/バビロン帝国・初代王)の時代の作品とされ、円筒型印面には縦三行の碑文が刻印、その右側には武器を背負いローブを羽織ったシュメール神話の美・愛・戦争の高位女神《イシュタル》が立っている。
イシュタル神の右手には長い湾曲刀(三日月刀)、左手には権標(権威棒)が捧げられ、左足はライオン頭のワシを踏み付けている。イシュタル神の右側の台座の上には権標(権威棒)を携えた戦闘帽の王(or 高位男性)が立ち、その後ろには衣装からして下位の女神(or 普通の上位女性)が両手を捧げ女神に敬意を示している。

ミノア文明・プラタノス遺跡・円形墳墓B出土・バビロニア印章 Babylonian Stone Seal, Minoan Platanos, Messara/©legend ej
プラタノス遺跡・円形墳墓B出土・円筒型のバビロニア印章
赤鉄鉱石/古代バビロン・ハンムラビ王の統治時代
三行碑文・女神イシュタル・王(高位男性)・下位女神(上位女性)
イラクリオン考古学博物館・登録番号1098/縦24mm
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

神や統治者・王などの前で上位階級を含め、崇拝者や一般庶民が敬意を示す崇敬シーンは、古代バビロニアでは円筒型印章の標準的な表現モチーフであった。また、黒~銀灰色~やや褐色系、「ブラックダイヤモンド」の別称の如く磨くと金属光沢を呈し鏡鉄鉱とも呼ばれる赤鉄鉱石(ヘマタイト)は、バビロニアで最も好まれた円筒型印章の代表的な素材である。
なお、ハンムラビ王は有名な《ハンムラビ法典 Code of Hammurabi》の制定者でもある。

円形墳墓Bから大量に出土した印章のうち、動物の脚骨を使ったフラット系円筒型(クッション形状)の穴付きビーズ形式の印章がある。腐食が進んでいるが、ほぼ正方形の印面にはやや痩せた動物が左方へ歩み、周囲にはおそらくツバメと思われる数羽の鳥が飛び交っている。単純なモチーフだが、所有者(被葬者)の優しい人柄を連想できる作品である。

ミノア文明・プラタノス遺跡・動物骨製の印章 Minoan Bone Seal, Platanos/©legend ej
プラタノス遺跡・円形墳墓B出土・動物の脚骨製の印章
フラット系円筒型(クッション形状)・縦16mm
印面=四つ足動物の歩行・飛び交うツバメ
初期ミノア文明EMIII期・紀元前2200年~前2100年
イラクリオン考古学博物館・登録番号1070
参考情報:CMS, Heidelberg U. (DE)
クレタ島・メッサラ平野/描画:legend ej

メッサラ様式の「円形墳墓」とミケーネ様式の「トロス式墳墓」
初期ミノア文明の末期EMIII期・紀元前2200年~中期ミノア文明MMI期・紀元前1800年頃の、主にクレタ島南西部で流行した埋葬形式が、メッサラ様式の円形墳墓 Messara Style Circular Tomb である。

現在までのメッサラ平野周辺の発掘調査では、合計75墳墓を数えるメッサラ様式の円形墳墓が確認されている。
その主な発掘場所では、先ずゴルティス(ゴルティン)遺跡の北方のカラティアーナ遺跡周辺、フェストス宮殿遺跡アギア・トリアダ遺跡周辺、プラタノス遺跡周辺、コウマサ遺跡周辺、さらにリビア海岸のレンダス Lendas ~海岸沿いに西方のカロイ・リメネス Kaloi Limenes~聖ファランゴ渓谷 Agio Farango ~ Odigitrias修道院周辺などに点在する。
ただ確認された円形墳墓の数で言えば、コウマサ遺跡周辺と聖ファランゴ渓谷 Agio Farango とその周辺に集中している。

メッサラ様式の円形墳墓の構造形式が、後にギリシア本土で流行するミケーネ様式のトロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb へ発展したと考えられている。
ミケーネ様式のトロス式墳墓では、流行初期にはクレタ島に距離的に近いペロポネソス・メッセニア地方で小型サイズの墳墓が造られた。その後、ミケーネ文明の発展と同期するように、ミケーネ文明の前半、後期ヘラディックLHI期・紀元前15世紀頃には、ミケーネ宮殿周辺などアルゴス地方や中部ギリシア地方の文明センターでも大型サイズのトロス式墳墓が造営されるようになった。

ミノア文明・円形墳墓&ミケーネ文明・トロス式墳墓 Minoan Circular Tomb and Mycenaean Tholos Tomb/©legend ej
ミノア文明・円形墳墓&ミケーネ文明・トロス式墳墓
・ミノア・メッサラ様式の円形墳墓(地上式)
・ミケーネ様式のトロス式墳墓(半地下式)
・ミケーネ様式のトロス式墳墓(地下式)
作図:legend ej

埋葬の使用期間が数世紀~1,000年単位の長期となった大型のメッサラ様式の円形墳墓では、当初、フェストス宮殿の王族や貴族階級の人々の埋葬に使われた。その後、紀元前1450年頃、ギリシア本土からクレタ島へ攻撃を仕掛けた「侵攻ミケーネ人」によりミノア宮殿システムが破壊された後には、カミラーリ遺跡・円形墳墓Aが典型例であるように、円形墳墓は庶民の埋葬にも使われて来た。
一方、ミケーネ文明では、特に大型のトロス式墳墓においては、ほとんどすべての墳墓が地域を統治した王族や貴族など、高位な身分階級の人達の埋葬に限定的に使われてきた。

構造仕様は言及せずに単純に「トロス内径」だけを比較した場合、時代的に早いメッサラ様式の円形墳墓より、ミケーネ様式のトロス式墳墓の方が遥かに大型サイズであることが分かる。代表的な墳墓とトロス内径を挙げるなら;

メッサラ様式の円形墳墓
プラタノス遺跡・円形墳墓A:トロス内径13m(クレタ島最大級)
プラタノス遺跡・円形墳墓B:トロス内径10m
カミラーリ遺跡・円形墳墓A:トロス内径7.6m(上述写真)
コウマサ遺跡・円形墳墓B:トロス内径9.5m(上述写真)

ミケーネ様式のトロス式墳墓
ミケーネ遺跡・「アトレウスの宝庫」:トロス内径15m(ギリシア本土最大級)
オルコメノス遺跡・「ミニュアースの宝庫」:トロス内径14m
カコヴァトス遺跡・トロス式墳墓A:トロス内径14m
ペリステリア遺跡・トロス式墳墓2号墓:トロス内径12m
ヴァフィオ遺跡・トロス式墳墓:トロス内径10m

ミケーネ文明・ミケーネ遺跡・「アトレウスの宝庫」Atreus Tholos Tomb, Mycenae Palace/©legend ej
世界遺産/ミケーネ遺跡・「アトレウスの宝庫」
ミケーネ様式のトロス式墳墓最大級/トロス内径=15m
ペロポネソス・アルゴス地方/1982年

ミケーネ文明・オルコメノス遺跡・トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb, Orchomenos/©legend ej
オルコメノス遺跡・「ミニュアースの宝庫」
内径=14mのトロス内部~入口
ボイオティア地方/1982年


ミケーネ文明・ペリステリア遺跡・トロス式墳墓2号墓 Mycenaean Tholos Tomb, Myron-Peristeria/©legend ej
ペリステリア遺跡・ミケーネ様式のトロス式墳墓・2号墓
ランダム石材の構造/トロス内径=12m
ペロポネソス・メッセニア地方/1987年


ミケーネ文明・ヴァフィオ遺跡・トロス式墳墓 Mycenaean Tholos Tomb, Vaphio/©legend ej
ヴァフィオ遺跡・ミケーネ様式のトロス式墳墓(1982年)
スパルタ・メネライオス王家の墳墓/トロス内径=10m
ペロポネソス・ラコニア地方/描画:legend ej

なお、スパルタ近郊・ヴァフィオ遺跡の「メネラオス王家」のトロス式墳墓からは、クノッソス宮殿・金属工房で製作され、王家へ贈呈されたと推測できるミノア様式の見事な金製カップが出土している。

ミケーネ文明・ヴァフィオ遺跡・金製カップ Gold Vaphio Cup/©legend ej
スパルタ近郊ヴァフィオ遺跡出土・金製カップ(動的シーン)
ミケーネ文明LHIIA期・紀元前1500年頃
アテネ国立考古学博物館・登録番号1758/口縁径108mm
ペロポネソス・ラコニア地方/1982年


エーゲ海先史 ミノア文明ミケーネ文明
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円形墳墓Γ(C)

円形墳墓B~北方へ約20m、道路の北側に広がるオリーブ耕作地では、トロス部内径=7m強、壁の平均厚さ=1.8m、中型のメッサラ様式の円形墳墓Γ(C)の痕跡が確認された。
ただ、現在は農業耕作による損壊が激しく、数個の印章が見つかったが、墳墓の遺構は消滅している。円形墳墓Γ(C)もメッサラ様式の伝統的な構造、東側に入口&付属建物が存在したと推測され、その痕跡も確認されている。


プラタノスの共同墓地の「被葬者」は誰か?

現在の道路下に埋没した複数の墳墓、さらに円形墳墓Γ(C)の北東側5m~30mの範囲からは、後期ミノア文明の陶器片が見つかった方形墳墓の痕跡が確認されたが、現在は消滅している。
プラタノスでは、初期ミノア文明EMII期から共同墓地の使用が始まり、特に三基の円形墳墓は同時に埋葬が行われていた。研究者は青銅製の短剣類の出土点数が顕著な最大の円形墳墓Aは、比較的高位な身分の人達の埋葬に使われ、墳墓Bと墳墓Γ(C)と方形墳墓群はやや庶民的な身分階級の人達の埋葬に使われた、と考えている。
また、円形墳墓のトロス内部や付属建物内ではなく、外側の空所などでの埋葬遺体はより身分の高い人達に仕えた使用人を含む身分の低い人達であった、と考えられている。


訪ねた1982年&1994年・雑草に覆われた遺構

私が最初に訪ねた1982年には、プラタノスの遺構サイトは保護カバーなどもない野晒しのまま、1914年のXanthoudidesの発掘ミッション以降、年月の経過でかなり崩壊が進み、わずかに残る円形墳墓Aと墳墓Bの遺構は雑草に見え隠れの状態であった。
その後10年以上が経過した1994年に再訪したが、時候崩壊がさらに進行、やはり雑草が覆い、相変わらず保護カバーなどは設備されていなかった。

現在、当局による遺構の保存&整備が行われ、雑草は除去され、幾分見栄えが良くなった感じだが、4,000年前の円形墳墓Aと墳墓Bのトロス部の石材が元に戻され、少なくともカミラーリ遺跡・円形墳墓Aと同じような明確な遺構、メッサラ平野で「最大級」の円形墳墓を連想するに適する姿へ戻ることはない。


プラタノス遺跡 周辺のミノア文明遺跡

プラタノス遺跡~西北西10kmにはメッサラ平野を管理していたミノア文明・フェストス宮殿遺跡 Phaestos Palace が、プラタノス遺跡~北北東3kmの平坦な農地の中にミトロポリス遺跡・邸宅遺構 Mitropolis がある。
さらにプラタノス遺跡~南東3kmの岩尾根にはアペソカリ遺跡・円形墳墓 Apesokari が、そしてプラタノス遺跡~南東11kmには三基の円形墳墓が残るコウマサ遺跡 Koumasa がある。

ミノア文明・フェストス宮殿遺跡 Great Stairs Case, Phaestos Palace/©legend ej
フェストス宮殿遺跡・大階段周辺
クレタ島・メッサラ平野
1982年/描画:legend ej


ミノア文明・ミトロポリス遺跡 Minoan House of Mitropolis/©legend ej
ミトロポリス遺跡・邸宅遺構
発掘で出土したピトス容器が残されている
クレタ島・メッサラ平野/1994年


ミノア文明・ヴァシリカ・アノージャ遺跡 Minoan Larnax Sarcophagus, Vasilika Anogia, Messara/©legend ej
アペソカリ遺跡・円形墳墓の岩尾根
手前=オリーブ耕作地が広がる乾燥したメッサラ平野
背景=樹木のないアステロウシア山系の険しい岩山群
クレタ島・メッサラ平野/1994年



メッサラ平野の交通アクセス

イラクリオンから路線バスで連絡できるフェストス宮殿遺跡を除き、メッサラ平野では交通アクセスに非常に難があり、公共交通・KTELバスのルートと便数も限定的と言える。このため研究者以外に知られていない小規模遺跡へのアクセス手段は限られ、現地を訪れるためには相当の時間的余裕が求められる。

クレタ島・メッサラ平野・小さな礼拝堂 Small Chapel, Messara/(C)legend ej
クレタ島・メッサラ平野に佇む小さな礼拝堂
蒼過ぎる空と真っ白な壁面と朱色の屋根のコントラストが美しい
遠方=クレタ島最高峰 標高2,456m 聖なるイダ山系
Vagionia村~南南西2km/1994年

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